「斜面都市」 被災者の支援、潜む危険箇所… 対策は途上 長崎大水害から40年<2>

のり面が崩落した戸町3丁目の現場。復旧の見通しはまだ立たない=長崎市

 5月12日午後7時、突然落雷のような音を立てて、長崎市戸町3丁目の高台に立つ住宅ののり面が崩れ落ちた。2日後にインフラは復旧したが、斜面地の狭い道路に重機が入れず、市管理の里道に流れ込んだ土砂は今もそのままだ。
 のり面が崩落した住宅と近隣3軒の計4世帯6人は現在も避難生活が続く。周辺住民も急角度の仮設階段を昇り降りしており、転倒の危険が付きまとう。
 崩れた住宅の男性(84)は市営住宅に一時的に身を寄せているが、いつ復旧するのか、市から説明はない。「住む家がなくなってしまった…。戻るにしても工事費用は1千万円を優に超えるだろう。行政が市民の立場でいろいろ考えて、アドバイスをくれないと不安だ」。男性は途方に暮れる。
 入船町でも6月21日、住宅の石垣が崩れ、4本ある土台の通し柱のうち1本が欠落。復旧の見通しは立っていない。しかし、完全に崩れていないことから、市は罹災(りさい)証明書の発行と避難を促すことしかできず、住宅には80代女性が住み続ける。
 同町自治会長で一級建築士の資格を持つ中村亨一さん(71)は「行政は被災者支援のためもっと柔軟に対応する必要があるのではないか」と指摘する。
 これまで、数々の災害に翻弄(ほんろう)されてきた斜面都市・長崎。1982年の長崎大水害では、急斜面地の奥山地区と鳴滝地区でそれぞれ24人の死者・行方不明者が出た。「坂の町」であるが故に、がけ崩れや土石流などの被害が拡大しやすく、木場地区などでも谷あいに雨水が集まり大規模な山崩れにつながった。
 戸町の災害も、発生のメカニズムは類似する。
 長崎大大学院の蒋宇静(ジャンイジン)教授(地盤防災工学)は、戸町の災害に関し「24時間で20ミリ程度しか雨が降らなかった」と首をひねり、長年の累積雨量で地盤が緩み、のり面の崩落を引き起こしたとみる。市も、ボーリング調査などの結果▽崩落した住宅の土台となる盛り土がそもそも弱く、長年の雨風で風化▽水が集まりやすい谷あいに位置-などと要因を分析する。
 大水害後、斜面都市のもろさを克服するため種々の対策が進められたが、危険箇所は今もあちこちに潜む。「水害に強いまち」に向けた取り組みはまだ途上だ。被災者の生活再建をどう支援していくのか、被害が発生する前に危険箇所をどこまで手当てするのか-。課題は少なくない。
 「これまで何もなかったからこの先も何も起こらないというわけではない」。蒋教授は警鐘を鳴らす。


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