【イラストでたどる石州街道】 No.11「古戦場跡と古墓」

▲文・イラスト=古谷眞之助

 宮野温泉・山口ふれあい館を過ぎると右手の山裾に地蔵堂と古墓が見えて来る。永禄12年(1569)毛利氏の大友攻めと同時に、その隙を突いて大内義隆の従兄弟、大内輝弘は大内氏再興を狙って山口を攻撃した。その際に津和野の吉見氏は毛利方に援軍を送り、宮野岩杖で戦いが繰り広げられた。古墓は戦死した吉見氏配下の赤木金次郎、伊藤左近らのものと言い伝えられており、この付近には多くの五輪塔も残っているという。

 その輝弘は、高嶺城に立て籠もった毛利の城番役、市川経好の妻が率いる守備軍の激しい反撃にあってこれを落とせず、やがて毛利本軍が引き返してくると、撤退を余儀なくされ、防府の富海で自害するのである。

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