U2の名曲「Pride」を振り返る:新録アルバム発売記念連載企画

2023年3月17日にリリースされるU2のニュー・アルバム『Songs Of Surrender』は、彼らの40年を超えるキャリアを通して発表してきた最も重要な40曲を、過去2年間に行われたセッションで2023年版として新たな解釈で新録音したアルバム。

このアルバムの発売を記念して、U2の名曲を振り返る記事を連載として公開。元ロッキング・オン編集長であり、バンドを追い続けてきた宮嵜広司さんに寄稿いただきます。第3回は「Pride (In the Name of Love)」。

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1. 楽曲発売当時のバンドの背景

1980年のデビューから今年で44年目を迎えるU2。これまで解散はおろかメンバーチェンジすらなかったU2の稀有な歴史にはいくつかのフェーズがある。その物語はまるで片田舎の少年たちがいつしか世界の頂に至るまでの冒険譚のようでもあった。

最初のフェーズはファースト・アルバム『Boy』(1980年)から『October』(1981年)、そして『WAR』(1983年)までのまさに「少年期」で、地元アイルランドのダブリンで出会ったパンク好きのハイティーンたちがやがて隣国の音楽大国イギリスを席巻するに至るまでの時代。

ふたつめはこの回で紹介する『The Unforgettable Fire』(1984年)から『The Joshua Tree』(1987年)、そして『Rattle and Hum』(1988年)で、このフェーズでU2は欧州、そして最大のマーケットであるアメリカを制し、文字通り「世界最高のロック・バンド」となる。

以降のU2は1990年代に音楽性を大胆に拡張した俗に言う「ポップ三部作」をリリース、21世紀に入るとさらなる音楽的前進と洗練そして野心的なライヴ・ツアーで世間を驚かせ、現在、新たな試みとして『Songs of Innocence』『Songs of Experience』そして今回発売される『Songs Of Surrender』という「Songs of 〜」シリーズを発表している。

こうして説けば順風満帆な軌跡のようにもみえるが、これまで書いてきたようにそのプロセスにはさまざまな転換、そしてそう促した苦難があった。それらはときにはそれまでの自分たちをある意味脱ぎ捨て、生まれ変わるほどの覚悟を要求してきたわけだが、今回紹介する「Pride (In the Name of Love)」は、その意味で、当時の若き彼らを現在のU2にまで導くことになった、最大のきっかけとなった曲だったと言えるだろう。

『WAR』が英国で1位を獲得、アメリカでも耳の早い批評家たちが「気鋭の新人」として紹介するようになっていた当時のU2は、そのツアーの最後にスケジューリングされた1983年11月にはついにハワイまで飛び、ツアー・ファイナルを初めての日本で迎えられるまでになっていた。

翌年の1984年10月にリリースされることになる『The Unforgettable Fire』は、故郷ダブリンからちょうど地球の反対側まで来てしまった彼らの「違和感」からスタートしたのだという。

「どうしてイルカが僕の(部屋の)窓の脇をジャンプしているんだ?」ホノルルでのライブのために宿泊したハワイのホテルで、ボノはそんな感覚に襲われた。ダブリンの高校生たちが灰色の地下室で思い描いていた幼い夢物語は今、まばゆい陽光降り注ぐハワイでライブを演る自分という現実となって目の前にある。しかし、リゾート地特有の「文化の歪曲」が周囲を飾り立てているようなその島でボノは「どうして僕はこれを楽しめないんだ? どうして嫌な気分になっているんだ?」と混乱したのだという。

「その答えとは、自分がやるべきことを見失うことなくマーティン・ルーサー・キングの歌を書くということだった」(ボノ)。早速その歌「Pride (In the Name of Love)」はハワイ公演(1983年11月16日)のサウンドチェックから生まれている。

成功を手にすることで「はじめたときの思い」を忘れてしまうことは多い。しかしそのときの彼らはあくまで「遅れてきたパンク世代」のバンドとして歌うべきテーマを見誤ることはなかった。しかし、それでも彼らはここで大きく変わったと言わざるを得ないだろう。

それは決して間違った変化ではなかったが、それまでの自分たちを捨て、二度と戻れない場所に行くことを意味していたと思う。どういうことかと言えば、それはそれまでのようにいわば自分の周囲「半径5メートル」の出来事を歌うことから、「はるか遠く、大きな世界」で起きているさまざまな出来事を歌うことへの決定的で抜本的な変化だった。

ボノは当時、マーティン・ルーサー・キング牧師の伝記本とマルコムXについての本を読んでいたという。その2冊から公民権運動や暴力と非暴力の異なる側面について知ることになった。「(それらは)僕にとって重要な本だった。次のアルバムは、人間の、同じ人間に対する残酷さや、窓の外を泳ぐイルカのことを考えながら、ハワイでスタートしたんだ」

マーティン・ルーサー・キング牧師のことを歌った「Pride (In the Name of Love)」は1984年9月、新作『The Unforgettable Fire』(同年10月発表)の先行シングルとしてリリースされた。英国のシングル・チャートでは3位となり初のトップ5入り、全米では33位で初のトップ40入りを記録。また、ニュージーランドでは1位に輝きU2にとって初めての「シングル・チャート1位」を達成した曲ともなった。大きな世界を歌おうと決意したU2は、文字通り、その大きな世界で広く支持されたのである。

2. この曲が伝えてきたものとは?

「Pride (In the Name of Love)」が収録されているアルバム『The Unforgettable Fire』のタイトルは、バンドがシカゴの平和博物館で観た同名の企画展示から採られている。そこでは広島・長崎の被爆者たちが描いた絵画が展示されていた。しかしU2はそこに「反核」のメッセージだけでなく、彼ら被爆者が「一種のセラピー」として絵を描いていたことに着目し、テーマを深めている。

一方「Pride (In the Name of Love)」がトリビュートしたキング牧師のことは、さらに「4th of July」「MLK」で掘り下げられ、地元ダブリンで蔓延していたヘロインのことや(「Bad」)、エルヴィス・プレスリー、そしてアメリカのことなど(「Elvis Presley and America」)、『The Unforgettable Fire』が取り上げた題材はこれまでにない広がりをみせている。

バンドの世界観が劇的に広がったということは、それを伝える音楽も同じように、奥行きを持つものへと変化しなければならない。

「スリー・コードと正直さだけでもかなりうまくやってきたように思えたけれど、僕らの楽曲を違う方向に導き、新しいテクスチャーを加え、スタジオの新しい使い方を探ることが出来る誰かが必要だったんだ」(ラリー・マレン・ジュニア)

パンクな「少年期」をともにしたプロデューサー、スティーヴ・リリーホワイトとの蜜月を終え、彼らは「まだ聴いたことのない音」を生み出す新しいプロデューサーへの刷新を求めた。白羽の矢が立ったのは当時プロデュース業から引退を仄めかしていたブライアン・イーノ。しかしこの「音の魔術師」は、U2からのオファーに当初まったく興味を示さなかったという。実際、イーノは当時一緒に仕事をしていた「弟子」のダニエル・ラノアをバンドに引き合わせ、ラノアにU2の新作を担当させてしまおうとすら考えていたという。しかしボノを始めとしたバンドは彼らの当時の最新ライブEPだった『Under A Blood Red Sky』をイーノに聴かせ、翻意させたと言われている(結果的にラノアも参加)。

「Pride (In the Name of Love)」がトリビュートしているキング牧師はインド独立の父マハトマ・ガンジーの非暴力・非服従運動に感銘を受け、激しい偏見と差別の嵐にさらされながら、1950年代から1968年に暗殺されるまで公民権運動を非暴力の下先導したことで有名である。しかし、この「Pride (In the Name of Love)」が、キング牧師が凶弾に倒れた日のこと以外で具体的にその人となりや活動を描いているわけではない。むしろ歌い手はひとりの英雄を讃えることに終始しつつ、その英雄的振る舞いがなぜ崇高であったのか、その理由を「愛の名の下に」それが行われたからだと説いていると言える。

U2が「Love」という単語を曲名に使ったのはこれが初めてである。その後、さまざまに表現スタイルを変貌させながらも、バンドが一貫して歌うことになる「崇高なる愛」というテーマが、ここで明確になった瞬間だったのではないか?と今あらためて思う。U2はこのとき、世界と向き合うことを決意したのと同時に、自分たちが貫くべきものが何であるのかも発見したのではないか。そんなふうに思うのである。

3. 新作で新録された音源は何がどう変わったのか?

1863年1月1日、エイブラハム・リンカーン第16代アメリカ合衆国大統領は「奴隷解放宣言」を行った。1968年4月4日、公民権運動を掲げたマーティン・ルーサー・キング牧師は凶弾に倒れた、そして2013年1月20日。アフリカ系アメリカ人として初めて、バラク・オバマが第44代アメリカ合衆国大統領への就任を宣誓した。

その前々日に、祝賀公式行事として「We Are One :オバマ就任祝典」コンサートがリンカーン記念堂の前に設けられた特設ステージで行われている。

スティーヴィー・ワンダー、ビヨンセ、ブルース・スプリングスティーンなどなど錚々たるスーパースターたちがパフォーマンスを披露する中、U2が登場した。

許されていた2曲のセットリストのうち、1曲目に披露したのは「Pride (In the Name of Love)」だった。ボノは曲が終わろうとする中、キング牧師のあまりにも有名は「I have a dream」の一節を引用し、「これはアメリカだけの夢じゃない」と世界各地の国、民族の名前を挙げながら問いかけている。それは1980年代半ばに世界に向けて投げかけた問いが、30年に届こうとする時を経てさらに大きく広がった瞬間だった。

そんなふうに、U2にとってもっともパワフルでエネルギーに満ちた曲といってもいいこの「Pride (In the Name of Love)」だが、今回の「reimagined」に際してまず歌詞の「修正」が施されている。すでにライブでは変更して歌っている箇所で、キング牧師暗殺の時間帯をオリジナルでは「Early Morning」としていたのを史実通りに「In the  Evening」に正している(リリックビデオでは歌詞は「Early Evening」と表記されているが実際には「In the  Evening」とボノは今回歌っている)。

その他では2番目のヴァースで「One man washed on an empty beach(誰もいない浜辺に打ち上げられた男)」が「One boy washed up on an empty beach(誰もいない浜辺に打ち上げられた少年)」に、「One man betrayed with a kiss(口づけとともに裏切られた男)」が「One boy never will be kissed(決してキスされることのない少年)」と表現を変えている。このあたりは深読みを誘っている。

歌詞の変更以上に「reimagined」バージョンでは、オリジナルの持っていた雄々しさがカラフルな幸福感に変わっているのが印象的だ。オリジナルでは悲壮感すら感じさせたボノのヴォーカルも、「reimagined」では肩の力の抜けたものになっている。

もっとも大きな変更は後半のサビ部分で、アレンジはサイケデリックな印象すらある。U2はパンクに出自を持つ故にいわゆるヒッピー・カルチャー的なものに与しないが、この後半の展開(インド訪問でサイケデリックに変わったザ・ビートルズを思わせるサウンドだ)には、キング牧師のその先にガンジーのインドすら見えてくるようである。

これまで「Pride (In the Name of Love)」が持っていたメッセージ性はU2とそれを聴くわれわれの世界を途方もなく遠くへと旅させてきたが、あたかも今回のアレンジ変更は「Love」をテーマにその源流を遡ったかのようにも思えたのだが、どうだろうか。

Written By 宮嵜 広司


U2『Songs Of Surrender』
2023年3月17日発売

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