夫は前線に行けないまま戦死した「それでも彼は私の誇り」 ロシアのウクライナ侵攻1年、奪われた幸せな日々

「ウクライナ軍人の日」の式典で、涙をぬぐうスニジャーナさん=2022年12月6日、キーウ近郊ブチャ(共同)

 あの日からすべてが一変した。ロシアによるウクライナ侵攻によって、人々は当たり前の日常を失った。首都キーウ(キエフ)近郊ブチャで暮らすスニジャーナ・オレフィルさん(34)は、「大切な人を奪われ、私の心は引き裂かれた」と悲痛な表情を見せる。結婚から間もない2022年5月、夫で兵士のイーゴルさん=当時(31)=はロシア軍のミサイル攻撃で帰らぬ人となった。彼女はいま、自宅で一枚一枚、思い出のアルバムをめくる。口づけを交わす2人や子どもと遊ぶ夫、家族の記念写真。アルバムの続きは、幸せな日々の様子で埋め尽くされるはずだったのに―。侵攻から1年。スニジャーナさんが最愛の夫への思いを語ってくれた。(共同通信=金子卓渡)

 ▽幸せだった夫婦生活

 夫イーゴルとは、おととし8月に結婚したばかりでした。一度離婚して先夫との間に娘がいたから、再婚にはためらいもありました。それでも彼はひたむきで、諦めずに娘を学校に迎えに行ったり、遊んでくれたり。私たちの心を開こうとしてくれました。2人の間に娘ソロミーヤも生まれ、1歳の誕生日に正式に結婚した。本当に仲良しで、よくばかなこともしました。カードで負けた夫が、罰ゲームとして裸でそりに乗って外を走ったのも、今となってはいい思い出です。当時の夢は自分たちで自動車整備の店を持つこと。とにかく毎日がすごく幸せでした。

2021年8月、キーウ近郊で開かれたスニジャーナさん(右)とイーゴルさんの結婚式(共同)

 ▽迫るロシア軍、故郷ブチャからの退避

 昨年2月24日朝、ロシア軍の侵攻が始まりました。突如聞こえる爆発音。故郷ブチャから近いホストメリの空港で激しい戦闘となり、近所の住民と地下壕(ごう)で生活を始めました。戦車が通るたびに激しく揺れ、子どもたちはおびえていました。そのころから夫は「軍に入隊しなければ」と繰り返すようになりました。

キーウ近郊に残るロシア軍戦車の残骸=1月8日(共同)

 約半月後、不審なチェチェン人が家を訪ねて来ました。「もうすぐ終わるから良い生活ができる」。親切そうなそぶりで家族構成を聞き出そうとしました。住民を調べ、占領を進める目的だったようです。そのとき既に村はロシア兵に囲まれていました。背後に戦車が迫る中、家族でブチャを離れる決意をしました。キーウまで避難してすぐに電車に乗り、10時間以上かけて知人宅のある西部イワノフランコフスクへと移動しました。

2022年5月、北部チェルニヒウで軍服姿の夫イーゴルさん(右)と写真に納まるスニジャーナさん(共同)

 ▽「国旗は誰が守る」と軍に志願

 戦闘が激化する中、夫は軍に入隊する決意を固めていきます。「あなたがいないと生きていけない。お願い。行かないで家族を守って!」と私は訴えました。返ってきた答えは「みな家族を守りたい。でも国旗は誰が守る…」。結局夫は志願し、北部チェルニヒウの訓練施設に入りました。
 昨年の5月16日、電話口の夫はトランシーバーの調子が悪いと不機嫌でした。少し間を空けて、蚊が嫌いな彼に「そっちまでスプレーを届けに行く」とスマートフォンで送ると、夫は「ありがとう。あなたがいなければ私はどうしたらいいの?」と、おどけて返してきました。「大丈夫。死ぬまで一緒にいるから」。それが彼への最後のメッセージとなりました。

キーウ近郊ブチャの破壊されたショッピングモール=2022年12月26日(共同)

 ▽変わり果てた姿

 5月17日、この日は訓練施設で夫に会う予定でした。彼の大好きな肉料理を作って化粧をしていたとき、ニュースで訓練場へのミサイル攻撃を知りました。胸騒ぎを覚えても「きっと大丈夫」と自分に言い聞かせました。施設に向かう道中、「どうか生き残って。大丈夫?」とメッセージを送り続けましたが、夫から返信はありません。施設付近の森には、多くのウクライナ兵が潜み緊迫しているようでした。その中を走りながら捜し回りましたが、夫は見つかりません。どうしようもなくその場を引き揚げると、不安で涙が止まらなくなりました。
 翌日、知人の兵士から恐ろしい言葉を聞かされました。「あなたの旦那の名前が死亡者リストにある」―。その後の記憶はありません。人間のものとは思えない声を上げていたと、後から知りました。
 遺体安置場には入れず、写真で見せられた夫の顔はやけどを負い変わり果てていました。腕には見慣れたタトゥーがありました。

自宅で遊ぶソロミーヤちゃん。イーゴルさんがよく遊んでくれたクマのぬいぐるみを持って「パパ」と呼んだ=2022年12月13日、キーウ近郊ブチャ(共同)

 ▽「ウクライナに栄光を!」

 夫が亡くなってから半年余り、昨年12月の「ウクライナ軍の日」にブチャで兵士をたたえる式典が開かれました。次々と名前が読み上げられ、壇上で戦死した夫の勲章と花束を受け取りました。参列者から拍手が響き、国歌が流れる。最前列の席に戻ると娘を抱えたまま、こらえ切れずに涙がにじみました。「ウクライナに栄光を!」。壇上で勲章を受け取った兵士たちが胸に手を当て何度も叫びました。

「ウクライナ軍人の日」に授与されたイーゴルさんの勲章

 イーゴルが軍に行かないようにもっと強く説得できたかもしれません。別の言い方があったかもしれません。私は自分をずっと責め続けてきました。でも夫は「行かないと自分をくそ野郎と思い続ける」と言っていました。そう後悔し続けるのなら、好きにさせてあげたかった。前線には行けなかったけど、それでも彼は私の誇りです。

自宅で娘のソロミーヤちゃんを抱くスニジャーナさん。右は長女のクリスティーナさん=2022年12月13日、キーウ近郊ブチャ(共同)

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