欧州各地で行われるUEFAチャンピオンズリーグ。RBライプツィヒはホームにマンチェスター・ユナイテッドを迎え撃つ。
それを前にライプツィヒのドイツ代表FWティモ・ヴェルナーは『The Sun』のインタビューに答えた。
チェルシーでのトーマス・トゥヘル監督からの冷遇などについて率直な思いを語っている。
「チェルシーでの最初の半年間はとてもよかった。サポーターやクラブが僕に期待していた通りだったよ。ゴールを決めたし、いい試合もしていた。
ドイツやチェルシーで経験したような成功というのは…1年目のシーズンはほぼ全試合に出場したし、2021年にはチャンピオンズリーグで優勝し、レアル・マドリーとの準決勝でゴールを奪うなど多くの得点を決めたんだ。
その後、そのすべてが監督によって少し忘れ去られてしまう、それはフェアではなかった。
ライプツィヒに戻らなければならなかった理由もそこにある。 楽しさをもう一度取り戻すためにね。
もはやそれを感じていなかったが、成功するためにはそれが必要なんだ。
結局、監督も選手をえり好みする。それはまったく当たり前のことだし、受け入れなければならない。
そうかもしれないね…最終的には出て行きたかったんだ。
最大の問題は、ほぼ全試合に出場してチャンピオンズリーグを優勝した後の2年目に彼(トーマス・トゥヘル監督)が僕の前にロメル・ルカクのようなストライカーを置いたことだ」
「自分にとって最も厳しい瞬間だった。非常に優秀な選手を、1.2億ユーロ(172億円)の選手を目の前に置かれたことは。
ロメルは大型ストライカーで、あれだけのコストをかけた以上はプレーしなければいけなかった。自分はあまり光栄だと感じなかった。それも浮き沈みになった理由かもしれない。
僕を獲得してくれたフランク・ランパード監督が数ヵ月後に解任されたことは、彼と話し合って加入した選手にとって最高なことではなかった。
結局、僕は何度かチャンスを逃してしまったし、VARの判定もついてなかった。僕が自信をなくしているのが分かったはずだ。
外から見れば、メディアやコーチ陣が僕をスケープゴートにするのは簡単なことだった。
でも、少なくともファンのみんなはずっとは僕を応援してくれていた。彼らを悪く言うことはできないよ。
(コロナ禍のせいで) 最初の数ヶ月は、何も開かれず、いつも家にいて、クリスマスも大晦日もひとりで過ごして、いつも試合に出ていた。
大変だったよ。それが、うまくいかなかった理由の一つかもしれない。
ちゃんとした生活、友人や家族が周りにいれば、また違っていたかもしれない。 そういうことを非難するのは簡単だ。しょうがない。
(チェルシーではなく、同じように獲得を狙っていたリヴァプールに移籍していればよかったか?)
それは言うのは難しいね。チェルシーに移籍するまでの2年間は、本当にドアが閉まっていたわけではなかった。
当時はリヴァプールへの移籍を実現させられなかった点がたくさんあったんだ。
コロナの存在は大きかったし、多くのクラブがお金を使うことができない一方、チェルシーは選手の獲得に全力を尽くすことができた。
でも、何かを後悔しているか?もう遅すぎるよ」
監督が選手をえり好みするのは普通としつつ、ルカクとの共存には苦しんでいたようだ。
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それでも、チェルシーのサポーターは常に自分の味方だったと感じているとのこと。