【読書亡羊】「どうしてウクライナは降伏しないの?」という前にまずはこれを読もう 鶴岡路人『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

三日で終わると言われながらの一年

三日で終わる、と言われながらひと月続き、半年が過ぎ、一年が経ったロシアのウクライナ侵攻。メディアでは節目を前に、改めて情勢を伝えるとともに、この一年を振り返り、今後の展望を分析する解説が報じられている。

しかし実際には、ロシアのウクライナ侵攻は2014年を起点として考えなければ、その実態は分からない。

そう指摘するのが、今回、取り上げる『欧州戦争としてのウクライナ侵攻』(新潮選書)だ。

筆者の鶴岡路人氏は慶應大学准教授で、欧州政治・国際安全保障を専門としている。この一年、さまざまなメディアで欧州政治から見るウクライナ情勢を解説してきた。本書はその「中間報告」だ。

ロシアのウクライナ侵攻に関してはさまざまな視点から、多くの記事や書籍が刊行されてきた。中でも本書は、今回の戦争を「欧州戦争」の視点から分析している。まさに「この視点からの解説が読みたかった!」という待ってましたの一冊なのだ。

本書は、侵攻開始からその時々に書かれた解説を時系列的にまとめたものでありながら、それぞれのトピックが独立して読めるスタイルになっている。

それゆえに、頭から読めば「この頃は停戦協議もやっていたが、こういう経緯で破綻したんだな」「最初はウクライナ支援に及び腰だった欧州各国は、どのあたりから積極姿勢に転じたんだっけ?」という状況の変遷をつかめる。ロシア自身のスタンスの変遷をも抑えており、後出しの自己正当化を許さない。

さらにトピックごとに見ても特に論争になりやすいテーマを扱っており、例えば「ロシアがウクライナに攻め込んだのは、NATOの東方不拡大の約束を破ったからでしょ?」「プーチンの戦争か、ロシアの戦争か、政府と国民の関係について、どう考えればいいのか」など、迷った時には本書の該当部分を開けば判断材料となる解説に辿り着ける、というわけだ。

明らかにプーチンのオウンゴール

侵攻開始一年の節目を前にした2023年2月22日、プーチン大統領は年次教書演説で〈ウクライナ紛争を煽り、拡大させ、犠牲者を増やした責任は、すべて西側エリート、そしてもちろん、キエフの現政権にある〉とし、侵攻の責任はロシアではなく、西側諸国とウクライナにあると断言した。

だが本書は、欧州が結束し、フィンランド・スウェーデンがNATO入りし、ウクライナが決定的に西側に立つことになったのは「ロシアにとってのオウンゴールというほかない」と断言する。

〈こうした事態を招いたのは、2014年のクリミア併合以降のロシアの行動であり、最終的には2022年2月以降のウクライナ侵略である〉

そもそもウクライナにしても、元は親露派の住民もいて、親露派の大統領が誕生してもいた。しかし〈200万もの人口を擁するクリミアと、ロシア(ロシアが支配する勢力)が占領したドネツク、ルハンシク両州の一部地域の人口200万名以上が、人口4300万名程度のウクライナから「切り離された」〉ことで、ウクライナの親露派が減り、親露派大統領が勝利する見通しがなくなり、さらに今回の侵攻でウクライナの「ロシア離れ」は決定的なものとなった。

それは西側の責任では全くない。〈プーチンは、自ら作り出した敵と戦っている〉という鶴岡氏の指摘は、プーチンにとって最も耳の痛いものに違いない。

「停戦しても終わらない戦争」

この一年、驚かされたのは日本国内の「戦争観」だった。「ゼレンスキーは早く降伏すべきだ」という降伏論から始まり、「ウクライナに武器を与えるから戦争が長引くんだ」「早く停戦しろ」という声が多くあり、今なお聞こえてくる。ここへきて朝日新聞系列のサイト「GLOBE+」も「かき消される即時停戦の声」という記事を掲載している。

ウクライナ侵攻、「戦え一択」にかき消される即時停戦の声 被爆地・広島からの訴え:朝日新聞GLOBE+

こうした意見について鶴岡氏は本書で〈停戦しても終わらないのが今回の戦争〉と述べる。

ロシアの長期的な目的が「ウクライナの無害化」である以上、ウクライナがロシアを押し返し、一年前の状態にまで押し戻したとしても、ウクライナを潰したくて仕方がない核保有国・ロシアが隣国であり続けることに変わりはない。つまり、将来的な侵攻の可能性は停戦後も残り続ける。

かといってここで降伏し、ロシアによる占領を許せばウクライナ国民がどんな目に遭わされるか分からない。弾圧、虐殺の可能性は高い。だからウクライナは安易な停戦を受け入れず、戦い続けているのだ。

すべての戦争が、日本が降伏した1945年8月15日のように「白旗を上げれば戦争が終わる」わけではない。事実、この時もソ連は降伏後の日本に侵攻し、北方領土を奪い取っている。

こうした現実を前に、「そもそもウクライナが西側に近づかず、中立的な緩衝地帯として存在していればこんな目に遭わないのだ」と居丈高に述べる有識者もまだまだいるが、ウクライナからすればたまったものではない。少なくとも日米安保体制下にある日本がウクライナに説教できる立場ではないだろう。

さらには、「ロシアを追い詰めすぎた西側の責任」を持ち出し、結果的にロシアの行為の正当化に手を貸す声もある。

だが本書にもある通り、西側はウクライナのNATO入りを拒んできた。それでもウクライナが西側を頼り、軍事的に力をつけざるを得なくなったのは、ロシアによる2014年のクリミア侵攻があったからだ。

理解に苦しむ朝日の社説

侵攻開始一年の2023年2月24日の朝日新聞社説は、「冷戦後の西側の傲慢」がロシアに与えた影響を指摘している。

だがそれを言うなら、ソ連崩壊後も国連安保理理事国にとどまり続ける核大国・ロシアが感じてきた「引け目」など、敗戦国日本が背負ってきたものとは比べ物にならないだろう。

朝日新聞が日本国内の世論や政治の右傾化に同情的だったことは一度もないが、なぜそれがロシアになると「隣国への侵攻」においてさえも汲んでやるべき一要素になるのか、理解に苦しむ。

(社説)ウクライナ侵攻1年 戦争の理不尽 許さぬ知恵を:朝日新聞デジタル

国際秩序に挑戦するロシアの行為を、ともすれば「米国一極支配に対する、やむにやまれぬ弱者の一撃」ででもあるかのように擁護する向きが日本国内で絶えないのは、「ロシアが(日本より)気の毒な国だから」という認識があるからかもしれない。あるいは、「ウクライナびいきにならず、アメリカとも距離を取り、日本が仲介役を果たすべきだ」という意見も同様だ。

だがこれは大きな間違いだ。

鶴岡氏はあとがきで東大先端研の小泉悠専任講師の言葉を引き、「チェスで言えば日本はアメリカや中国、ロシアのような『プレイヤー』ではなく、大国の論理で動かされる『駒』である」という視点が重要だと述べる。

その通りで、実際の日本は、首相がロシアと話が出来ないどころか、ウクライナ入りすることすらままならないのが現状なのだ。一体どうやって停戦を仲介するというのか。当初ヘルメットの供与だけ行うとして責められたドイツの姿を日本は笑うことはできない。

日本が学ぶべきは「駒」の視点、それゆえの苦悩であり、欧州各国の動向から学ぶことは多い。日本の防衛費増大に「いつか来た道」との懸念を示す向きも絶えないが、今や日本は侵攻を企図するロシア側でなく、周辺のプレイヤーから領土を脅かされかねないウクライナに近い立場であることも知らなければならない。

何よりもまず、「ウクライナはどうしてすぐに降伏して、停戦しないんだろ?」という疑問をお持ちの方に、本書をお勧めしたい。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

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