【ウクライナ侵攻1年】真鶴の避難親子「戦争の真実知って」 突然の砲撃、悪夢 体が凍り、心臓が音を立てた

1月末に真鶴町に避難してきたズラータさん(左)とユリヤさん(右)親子=真鶴町真鶴

 市街地に砲弾が落ちる瞬間まで、戦争が起きるとは誰も想像していなかった─。ロシア軍によるウクライナ侵攻の開始から、24日で1年。戦禍に見舞われたウクライナ北東部の都市から、神奈川県真鶴町に避難してきた母娘が訴える。「私たちが体験した戦争の真実を知ってほしい」。母国に残る親族の身を案じ、一日も早い終結を祈りながら。

 突然、雷に似た大きな音が聞こえ、衝撃が街全体を揺らした。一瞬で体が凍りつき、心臓がバクバクと音を立てた。

 昨年2月24日午前4時半ごろ、ロシア国境近くのハルキウ。9階建てマンション3階の自宅で、芸術家のボンダレンゴ・ユリヤさん(47)は声を震わせた。「砲撃があったんだ。仕事どころではない」。いつもどおりの朝が一転し、想像を絶する悪夢が始まった。

 窓越しに見えたのは異様な光景。「上層階の住人が窓から荷物を投げて、車で避難していった。道路はどこも大渋滞。経験したことがないほどの恐怖だった」。ユリヤさんは3駅先の街で暮らす母親に電話し、「何をすればいいのかわからない、どうしよう」と吐露。長女のブラヒナ・ズラータさん(17)も「本当に怖くて、現実を信じることができなかった」と不安を口にした。国外の友人からは、安否を気遣う連絡が次々と寄せられた。

 侵攻開始から約2週間、自宅に身を潜めながら過ごした緊張の日々。ユリヤさんは「爆撃の振動で窓ガラスが揺れた。近くの市場で煙が上がる様子や、地下鉄駅で戦車を見たこともあった」。

 その後もロシア軍の攻撃はやまず、半年以上にわたり約200キロ南のドニプロやチェルカスなどを転々とした。4月に一時帰宅した自宅マンションは着弾跡が残り、上層部が半壊。慣れ親しんだ市場なども焼き尽くされ、焦げた臭いが漂っていた。

 「憧れだった日本に家族旅行で来られたら、どんなによかったか。母国に残った人々がいつか殺されてしまうのではないかと思うと怖くてたまらない」

 今年1月末、ユリヤさんと一緒に真鶴に避難したズラータさんは、ウクライナに残った兄(24)と祖母を思いながらうつむいた。一方、ユリヤさんは「私たちの国はいま、自由をつかもうともがいている。日本人にも、もっとウクライナの文化や歴史を知ってほしい」と訴える。

 いま、真鶴に砲撃音が響くことはないけれど、動悸(どうき)がすることも少なくない。「壊されたのは街や建物だけじゃない。みんなが今も恐怖の中で暮らしている。戦争が残した傷は数え切れないほど多い」。同胞が集うときはいつも、多くの市民が犠牲になった1年前の“あの朝”に祈りををささげている。

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