「主婦論争」があぶり出す差別秘書官の感性 『婦人公論』初の女性編集長三枝佐枝子さんの仕事

By 江刺昭子

三枝佐枝子さん(1958年撮影)

 雑誌『婦人公論』で初めての女性編集長だった三枝佐枝子(さいぐさ・さえこ)さんが1月12日、102歳で亡くなった。大正時代の「母性保護論争」とともに、女性史上の二大論争とされている1950年代の「主婦論争」の火付け役となり、「専業主婦の妻と働く夫」という伝統的な家族観を揺さぶった人である。

 同性婚について「見るのも嫌」と差別発言をした総理秘書官が更迭され、逆に伝統的家族観が保守派の意識を深く、強固に支配していることが露わになった。今こそ、三枝さんの仕事と「主婦論争」を振り返り、その今日的意味をかみしめたい。(女性史研究者=江刺昭子、以下敬称略)。

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 三枝佐枝子は1920年生まれ。日本女子大を卒業して、戦況が激しさを加える42年に結婚したが、専業主婦の生活にあきたらず、自分の能力を生かした仕事をしたかった。敗戦の翌年、夫が新聞の3行広告に気付く。

 「婦人公論」の編集部員を求む。男女を問わず。

 婦人公論は16年の創刊時から女性解放のオピニオンリーダー的な存在だったが、戦時中に廃刊。46年4月に復刊したばかりだった。女性が参政権を初めて行使したのと同時期である。採用された三枝は25歳。編集部員は5人。グラビア4頁、本文64頁という貧弱な体裁だった。

 その上、占領軍の検閲があって、苦労して作った記事がボツになる。悔しい思いをしたが、三枝は著名な作家らに断られても断られても通い続けて原稿をもらってくる粘りが際立った。

 創刊500号を迎えた58年には婦人公論初の女性編集長になった。この頃は多くの女性誌が発行されているが、女性読者を相手にしながら女性編集長はほとんどいない時代。大手の商業誌では初めての抜擢である。

 その後10年間の編集長時代に10万部から30万部と部数を飛躍的に伸ばした三枝の編集手腕には次のような特色がある。

 大胆な企画で新しい書き手を起用したこと、国際的視野に立つ記事を次々に取りあげたこと、読者参加の記事で双方向の誌面作りをしたこと、古い生活秩序を打破して女性解放を進めるには「性」の問題は避けて通れないとして、応募手記による「わが性の記録」を特集するなど、タブーとされてきた性の問題にも取り組んだことなどだ。

 三枝が企画して大きな反響を呼んだのが、冒頭に挙げた「主婦論争」。経済白書が「もはや戦後ではない」と締めくくったのが56年、その前年の55年から始めて4年間続けた。

 第一弾のタイトルは「主婦という第二職業論」。書き手に、当時は無名だった評論家の石垣綾子を起用したのが新鮮だった。

石垣綾子さん(1968年撮影)

 アメリカ生活が長かった石垣は、電化生活が始まって家事の省力化が進んだ時代を背景に、今の主婦は退屈で変化のない生活を送る消費者になりさがっており、このままでは女性は退化せざるを得ないと警告した。

 女性も男性のように社会に出て、視野を広く持ち、知識を豊かにし、人間としての自信を持つ必要があると説き、女性は「職場という第一の職業と、主婦という第二の職業を兼ねてゆかねばならない」とぶちあげた(55年2月号)。

 刺激的な論考の反響は大きく、評論家、経済学者、文学者、主婦自身を含めて30人を超える多彩な論者が登場し、主婦のありようをめぐって論戦を交わした。その最後に三枝編集長が原稿依頼したのが梅棹忠夫で、39歳の気鋭の文化人類学者による「妻無用論」(59年6月号)は、今日のジェンダー論を先取りしている。

梅棹忠夫さん(1960年撮影)

 サラリーマン家庭の夫と妻の関係は「封建体制のまっすぐな延長」で、「働くものは男だけ。女はその附属物であり、せいぜいのところ補助物にすぎない」と梅棹は断じる。そして大胆な予測に踏み込む。

 「家事労働がしだいに専門業者や機械に肩がわりされて、家庭の主婦の手から離れてゆくとすれば」、主婦はしだいに妻としての存在意義の基礎を失う。「今後の結婚生活というものは、社会的に同質化した男と女の共同生活、というようなところに、しだいに接近してゆくのではないだろうか。それはもう、夫と妻という、社会的に相異なるものの相補的関係というようなことではない。女は、妻であることを必要としない。そして、男もまた、夫であることを必要としないのである」

 結婚を選択しない男女が増えている現代を見通したような知見だ。結婚したとしても、専業主婦家庭より共働き家庭が増えた今日、家族の形も、夫と妻の関係も大きく変わってきているし、今後も変わっていかざるを得ない。

記者団の取材に臨む岸田首相。左は荒井勝喜秘書官=2022年11月、首相官邸

 そんな現実を直視しようとせず、相も変わらず、武家時代から続く専業主婦家庭をモデルにした家族観にしがみついている保守系の政治家たち。彼らの感性が打ち出す子育て政策も、同性婚や夫婦別姓や妻の扶養控除問題への取り組み方も、伝統を振りかざした時代遅れの家族観に由来している。その拠って立つ基盤を根本的に考えなおさない限り、人々の共感は得られないだろう。

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