倉敷・藤戸合戦の歴史 次世代へ 史跡保存会が標柱建て替え

藤戸史跡保存会が新調した「浮洲岩跡」の標柱

 源氏と平氏による「藤戸合戦」の古戦場として知られる倉敷市藤戸地区などの住民有志が、地域に残る史跡を示す標柱2基を建て替えた。天下分け目の戦いの舞台として名を刻む地元の歴史を次世代へ伝えるのに役立てる。

 源平合戦は平安時代末期の1180年に始まり、全国各地で繰り広げられた。84年の藤戸合戦は、本土と児島半島を隔てる海峡だった藤戸地区一帯で両軍が激突し、地元の漁師から岸を結ぶ浅瀬の存在を聞き出した源氏の武将・佐々木盛綱が、馬で海峡を渡って平氏軍を襲撃。源氏を勝利へと導いたとされる。

 地区にはゆかりの史跡が10カ所残り、多くに名前が入った標柱が建つ。木製の一部については老朽化が進んでいたため、設置を手がけた歴史グループ「藤戸史跡保存会」が新調に着手。浅瀬の秘密を守るため殺された漁師の秘話を描いた謡曲の題材にもなった「浮洲岩(うきすいわ)跡」と、漁師の母親が「佐々木と聞けば笹まで憎い」と山の笹を全部ちぎり取った伝説が残る「笹無山」の2カ所を新たに石製にした。

 保存会は2021年、盛綱が源氏の先陣として上陸したとされる「先陣庵」など3カ所を建て替えており、取り組みは第2弾。他の箇所は石製で、対策はこれで一区切りとなる。保存会は「新しくしてより分かりやすくなった。地域に残る重要な記録として合戦の歴史を若い世代に引き継いでいければ」としている。

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