ブルーハーツ「人にやさしく」甲本ヒロトがシャウトする “ガンバレ” の意味  スージー鈴木の大好評連載! 「お前、元気だせよ!」みたいなことは、一切、言ってないんだよね(笑)

みんなのブルーハーツ ~vol.10
■ THE BLUE HEARTS『人にやさしく』
作詞:甲本ヒロト
作曲:甲本ヒロト
編曲:THE BLUE HEARTS
1988年3月21日

聴き手の心をギュッとつかむ歌い出し「♪気が狂いそう」

―― これは、よく言うたとえなんだけど。ぼくも、ロックンロールにすごく元気や勇気をもらうんだけれども、でも、その歌ってる歌詞の内容は、「お前、元気だせよ!」みたいなことは、一切、言ってないんだよね(笑)。

「ほぼ日刊イトイ新聞」(2021年2月24日)に掲載された甲本ヒロトのインタビュー。多少緊張感を強いられる『人にやさしく』の歌詞批評の前提として、まずはこの発言を前提とさせていただく。

1988年3月21日にシングルとしてリリース。しかし、前年1987年2月25日に、インディーズでリリースされていた。

まず聴き手の心をギュッとつかむのは歌い出しだろう――。

ーー ♪気が狂いそう

この歌い出しのインパクトは絶大だった。最初はラジオで聴いたのだと思うが、それよりもレナウンのCMで流れてきたときの衝撃たるや。

レナウンの「I.N.EXPRESS」というファッションブランドのCM。「I.N.」とは、ファッションデザイナー・池田ノブオのこと(余談だが経済学者の池田信夫とはまったくの別人)。彼の手掛けるブランドのCMにこの『人にやさしく』が使われたのだ。ちなみにCMのナレーションは山瀬まみ。

ブラウン管、それもCMから「♪気が狂いそう」とくるのだからたまらない。鷹揚な時代がしのばれる。ただ、インパクトに寄与したのは、決して文字面だけではない。私が注目するのは音列だ。

――「♪気が狂いそう」=「♪ドシラソミレド」

「ドシラソミレド」、ファを足せば「ドシラソファミレド」だ。何だこれ? 童謡みたいじゃないか。

世界でいちばん有名なポップソングのひとつ、ビートルズの『抱きしめたい』にも、「♪I Want to Hold Your Hand」=「♪ドシラソファミレド」が出てくるが、聴感上まったく異なる。ブルーハーツの方が、大胆かつ、いきなり。

この後に出てくる「♪僕はいつでも」「♪人にやさしく」が「♪シラソファミレド」と童謡っぽい。歌詞自体は問題作といっても決して過言ではないのだが、この階段のような、童謡のような下降音列が、印象を中和する。

もしや、この音列も、聴き手への「やさしさ」だったのかーー。

「人にやさしく」、「ガンバレ!」の深読み

前回の『ロクデナシ』の項で、いわゆる「がんばろう系J-POP」に対する違和感を表明した音楽評論家は、『人にやさしく』の「ガンバレ!」をどう評するのか。

額面だけ見れば、「ガンバレ!」とシャウトしているのだから、まさに「がんばろう系J-POP」だ。そのど真ん中だ。地上波歌番組の「元気をもらった歌詞ランキング」的な企画で、首位に躍り出そうな気さえする。

ただ、「ロックンロールにすごく元気や勇気をもらう」けれど、「その歌ってる歌詞の内容は、『お前、元気だせよ!』みたいなことは、一切、言ってないんだよね(笑)」と豪語する甲本ヒロトが、ど直球に「ガンバレ!」とシャウトするものだろうか。私が注目するのは、その「ガンバレ!」が、「どこ」から / 「どこ」で言っているのか、だ。ちょっと細かくなるが、付いてきてほしい。

1番では「歌を歌うときは マイクロフォンの中から」「ガンバレ!」と言うことになっている。これ、ちょっと曲者な表現だとは思わないだろうか。

というのは、例えば、その「歌」が『リンダリンダ』だとしよう。もちろん、あの曲の歌詞に「ガンバレ!」という文字列はない。でも、「『リンダリンダ』を歌うときは」「ガンバレ!」と言っているのだとしたら――。

「ガ・ン・バ・レ」という4文字を、実際には発語していないのではないか? 4文字は「マイクロフォンの中」から決して「マイクロフォンの外」に出ていかなかったのではないか?

3番では、より具体的だ。「心の中では」、そう、あくまで心で「ガンバレ!」と言っているのであって、こちらも実際には発語していない。

さらにその前置きとして「期待はずれの 言葉を言う時に」と、実際には「期待はずれの言葉」を発語していることが明かされている。「ガンバレ!」と言ってあげたい対象に対して、ついつい「期待はずれの言葉」をしゃべってしまう――。

誰にだって、そういう経験があるだろう。

以上、長くなったが、私の仮説は、『人にやさしく』の主人公はマイクロフォンの中、ひいては心の中だけで「ガンバレ!」と言うのであって、実際に口に出しては言っていないのではないかというものだ。

もし、これが言い過ぎ、深読みし過ぎかもしれない。ただ、少なくとも主人公は、安易に「ガンバレ!」と言ってしまうことの限界、「ガンバレ!」の無効性を重々知り尽くしているはずだと思うのだが、どうだろうか。

そういう限界・無効性を知り尽くしている音楽家からの「ガンバレ!」の方が、がぜん心に響くと、私は思うのだ。

「汗をかいて生きよう」、ブルーハーツは何に汗をかいていたんだろう?

歌詞の冒頭に戻る「♪このまま僕は 汗をかいて生きよう」と歌われる。

これも『ロクデナシ』の項で、「歌っている者自身がロクデナシ」だからこそ、あの歌が響くという意味のことを書いたが、ここでも、歌っている者自身が「汗をかいて生き」ているからこそ、先の「ガンバレ!」も(実際に発語していない可能性が高いにもかかわらず)響いてくるのだと思う。

じゃあ、当時のブルーハーツは何に汗をかいていたんだろう。

私がまず思うのは、30数年後の今になっても、ここで、あれこれ深読みできるような、奥行きのある日本語の歌詞を書くことだ。

「♪君はFunky Monkey Baby 」でもなく「♪あんたを見れば胸さわぎの腰つき」でもなく「♪この街のクレイジー・プリティ・フラミンゴ」でもなく、分かりやすくて、でも文学的で、それであれこれ深読みと解釈が出来る日本語。

そして、借り物でも造語でもない―― とっても人間くさい日本語。

そんな日本語で歌詞を書くのは大変だ。なぜなら前例がないのだから。新しいのだから。そりゃ、汗もかくだろう。

ブルーハーツの「人間くささ」とは?

さて、『人にやさしく』の項の締めとして、私が現時点で考えるブルーハーツの「やさしさ」を定義してみたい。それは「人間くさい」ことだと思う。ありのままの人間をさらけ出し、ありのままの人間を受け止める力を持っているというか。

例えば『ドブネズミの詩』(角川文庫)にこんなフレーズが載っている。

―― この会場には仕事やっとる奴、やっとらん奴、学校行っとる奴、行っとらん奴、いろんな人がおると思うけど、お前らはライヴを見に来とる、俺らはライヴをやりに来とる、それで問題はなかろう。

甲本ヒロトのMCだろう。人間をさらけ出している。人間を受け止めている。私の言うブルーハーツの「人間くささ」とは、こういうフレーズに横溢している。

そして最後に、例の言葉をもう一度繰り返しておきたい。

―― これは、よく言うたとえなんだけど。ぼくも、ロックンロールにすごく元気や勇気をもらうんだけれども、でも、その歌ってる歌詞の内容は、「お前、元気だせよ!」みたいなことは、一切、言ってないんだよね(笑)。

でも、その歌詞に元気が出る。「ガンバロウ!」と思う。それが人間なのだと思う。

カタリベ: スージー鈴木

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