連載小説=自分史「たんぽぽ」=黒木 慧=第136話

 それと私と美佐子の今後の面倒は、やはり、悟と瑞枝に一番お世話になるだろうからとの思いもあるようだ。私と美佐子の財産はこの土地以外に、サンパウロ市リベルダーデ区サンジョアキン通り一六〇番に一つのアパートを持ち、美佐子の名義で、今貸家としてコーセン不動産を通じて、毎月九百レアイス位の家賃は美佐子の収入になっている。このアパートは今二十五万レアイス以上の価値があるそうだが、美佐子が死ぬまで売るつもりはない。でも美佐子の死後、三人の娘達に相続するか、売却して三人で分けるかする事も出来る。ともあれ、私共夫婦の財産(不動産)は土地とアパート一つだけである。それ以外は、それぞれの子供達にブラジルで生活する「力」をつけてやった位かなあ?これもひとつの眼に見えない財産だよね。
・十二月十五日(土) 宮崎の南十字星の会(毎年二名づつブラジルで研修した宮崎の農業青年のOB会・その大半は私がブラジルで世話をした)の三十周年記念式典が宮崎で開催され、ブラジルより大浦洋人理事、国府ジョーナス君、それに宮崎で留学・研修中の甲藤雪美・中村小百合・大原フェルナンド・吉田正男(パラグアイ)が出席した。
・十二月二十六日(水) 長女瑠璃子とミゲ―ル夫婦が初めて訪日した。

 二〇一三年 へび年  慧 七十八歳、 美佐子 七十四歳
・一月一日(火) 今年の年越しも、子供達・孫達それぞれ遊びに出ていて皆が揃わず、サンロッケのみずえの家で前田のトメ子ばあちゃんと恵美の家族が来てお祝いをした。弟巳知治には電話で挨拶をした。巳知治は今年の末七十二歳になる巳年(へびどし)の年男である。彼は一昨年、自分が創り上げたKTYの会社を辞めて退職し、金と時間の自由が出来たら、酒に溺れて体調までくずして、やる気を失い、家の中で一日中テレビを観て暮らしている。妻の美都子さんが気づかってアルコールを控えるよう努めているようで、しばらくはこの様な生活が続くだろう。私もずい分気にかけてその厚生施設(クリニカ・デ・アルコール)を探して、入院を奨めたけど、本人がその気にならないと何も始まらない。巳知治のソーグラは同じビルのアパートに住んでいるが、九十八歳で寝たきりで、独身の娘のさちみさんが看病している。

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