東日本大震災の身元確認、大きく貢献したソフトを作ったのは、遺体安置所にいた1人の歯科医だった #知り続ける

東日本大震災当時の遺体安置所=2011年5月、福島県相馬市

 2011年3月11日に発生した東日本大震災では、死者・行方不明者が(震災関連死を含め)2万2千人超に上った。津波で犠牲になった遺体の身元を割り出すのに威力を発揮したのが、歯科所見による照合だ。中でも、ある歯科医が独力で作った照合ソフトが多くの身元判明に役立ったことは、ほとんど知られていない。
 岩手県花巻市の歯科医、狩野敦史さん(68)。12年前は遺体安置所で身元確認などの活動をしていた。「たくさんの人が使いやすいように」とエクセルで作ったソフトはその後、ウェブアプリになり、身元究明を学ぶ医大生向けの実習などで今も活用されている。(共同通信=山口恵)

 

警察歯科委員会のメンバーによる、身元確認作業(狩野敦史さん提供)

 ▽「逃げちゃだめだ」。安置所の光景、今も
 狩野さんは震災発生から約3週間後の4月1日、岩手県歯科医師会の理事の1人に就任した。警察から依頼を受け、身元不明遺体が出た際に、歯による身元確認に協力する歯科医(警察歯科医)をまとめる役回り。死因究明や身元確認を担う岩手医大・法医学教室の出羽厚二教授(当時)らと連携した。
 出羽さんらは、犠牲者の多さに当初からソフトの必要性を指摘していた。余震や停電が続く中、法医学や法歯学の全国組織に「照合ソフトはどうするか、指示してほしい」と繰り返し問い合わせたが、明確な回答はなかった。
 「もう自分たちで作るしかない」。狩野さんが理事に就任したのはそんな時期。出羽さんは、あいさつもそこそこに尋ねた。「パソコンできますか?」
 「…多少は」
 数日後、狩野さんは初めて安置所を訪れた。体育館に足を踏み入れた途端、異様な雰囲気を感じた。広い板張りに、ずらりと並んだひつぎ。行方不明の家族を探し、中をひとつひとつのぞき込む人々の姿。毛布にくるまれたセーラー服姿の遺体もあった。「これは逃げてはいけない。しかも、急いでやらなければ」
 それから、昼間は診療、夜はソフト作りに取り組み、約1カ月で基本形を完成させた。ベースにしたのは、オフィスソフトとして広く使われているエクセルだ。「エクセルなら、他地域との情報共有も容易なはず」

ウェブアプリ版、サブロク検索のサンプル画面。生前と死後の歯のデータを照合し、同一人物かどうかの「一致率」を算出できる=熊谷章子さん提供

 ▽津波、火災で失われたカルテ。執念の生前データ集め
 作成したソフトには「サブロク検索」と名付けた。ネーミングの由来は歯の番号。成人の歯は親知らずを入れて32本あり、すべてに番号が振られている。このうち、3番の歯(犬歯。糸切り歯とも呼ぶ)と、6番の歯(第一大臼歯)の有無に着目した。
 この2種類の歯は、上下左右で計8本ある。いずれも表面積や根が大きく、死後も抜け落ちにくいなどの特徴があり、照合にうってつけだ。
 サブロク検索は、遺体から採取する“死後データ”と、歯科医院のカルテなどから集めた“生前データ”をエクセルに入力し、同一人物である可能性があるかないかを探す仕組み。死後データは、狩野さんら岩手の歯科医師や、応援に来た全国の歯科医師らが、遺体安置所で採取した。死後データの基となった歯科所見は、約2600件。口の中を調べ、治療痕や入れ歯の有無などの特徴を記録していった。
 問題は生前データの収集だ。岩手県沿岸は小さな歯科医院が多く、カルテの電子化は進んでいなかった。紙のカルテは津波に流されたり、火災で焼失したりしていた。
 このため、「後期高齢者医療広域連合」などからレセプト(診療の明細書)を入手し、記載された治療記録からデータを作成したり、犠牲者が多かった高校から歯科検診の資料を取り寄せたり。「やれることはすべてやった」
 狩野さんや警察歯科委員会のメンバーらは、こうして集めた情報をソフトに入力し、データベース化。対象者を一定程度絞った後は、生前と死後の資料を見比べ、詰めの作業を行った。同一人物の可能性がかなり高いと類推できれば、警察に書面で情報提供した。
 メンバーはみな、自分の歯科医院の診療が終わった夜などに集まり、ほぼ手弁当でこうした地道な作業を行ってきた。中には親戚を震災で失った人もいた。「例え内陸に暮らしていても、みんな誰かしら被災地に友人や親戚がいる。使命感でやっていた」と狩野さん。
 それでも、47体分の身元はいまだに分かっていない。多くは火災で全身が焼け焦げるなどして、十分に歯科所見が採れなかった。これ以上の分析は難しいが、狩野さんたちは未だに諦めきれない思いを抱えている。
 「ポータブルレントゲンで画像を撮っていれば特定できたかもしれない」「遺体が次々運び込まれる中で慌て、肉親を探すご遺族の姿に動揺してしまった。もう少し一体一体、詳しく記録できていれば、違ったかもしれない」
 震災から12年がたった今も、歯科所見の全国的なデータベースは整備されていないままだ。

「サブロク検索」について話す熊谷章子さん(左)と狩野敦史さん

 ▽留学先ベルギーで見た「スマート」な風景もヒントに
 狩野さんが作ったソフトのウェブアプリ化は、震災当時に狩野さんらと遺体安置所で活動していた熊谷章子さんのアイデアだ。岩手医科大学で法歯学を教えており、「あのサブロク検索を、授業の教材として使えないだろうか」と思い立った。
 東日本大震災の経験を踏まえ、「実践的な授業で次世代育成につなげたい」との思いが強かった熊谷さん。ソフトを使えば、歯科所見の採取から照合までの流れが分かりやすく学べるはず、と考えた。
 狩野さんからソフトのひな形をもらい、立ち上げようとしたが、エクセルのバージョンが古かったからなのか、うまく起動できない。「何とか生かしたいのに」
 そこで思いついたのがウェブアプリ化だ。専門業者に相談し、グーグルのスプレッドシートなどをアレンジして作った。これなら、オンライン上でどこからでも入力できる。
 例えば、住居から遠く離れた場所で亡くなった人でも、遺体安置所などで死後データを、遠隔地から生前データを入力するなどすれば、リアルタイムで身元照合を進められる。またデータ入力などの作業を被災していない地域で後方支援するなど、役割分担もより簡単になりそうだ。
 東日本大震災では、専用の紙の書式に書いたものを後でエクセルに転記していた。このため転記ミスの可能性があったが、このアプリなら直接入力も可能になる。
 アプリ化を進めるに当たっては、熊谷さんが震災後に留学したベルギーで見た光景もヒントになった。
 現地で爆破テロ事件が起き、熊谷さんも身元究明チームの一員として活動した。対策本部の一角には大型モニターがあり、遺体収容場所の中で得られた犠牲者に関する情報が、リアルタイムで共有されていた。身元の迅速な確認には、歯科医師や医師、警察などさまざまな機関の連携が不可欠だからだ。「情報共有が容易で、とてもスマートなやり方だ」

歯科医師や警察が参加した、「サブロク検索」の訓練=2022年12月、盛岡市

 ▽アップデートを目指して
 2022年12月、盛岡市で開かれた県歯科医師会と県警の合同研修会で、アプリを使った訓練が実施された。
 訓練は、二手に分かれてスタート。遺体に見立てたマネキンの口の中をチェックし、脱落や治療痕といった歯の情報を伝える側と、その情報を聞き取り、タブレットに入力する側だ。タブレットへの入力にまごつく人もいて「なかなか難しい」といった声も上がった。
 講師役として参加した熊谷さんは訓練後、壇上で強調した。「まだ使いにくさもあって、試行錯誤中だが、将来の広域災害などを考えても、こうした仕組みは欠かせない。セキュリティ面なども強化していきたい」
 アプリは今後も改良を重ね、希望する団体との共有も検討している。ただ、完成してもそれで終わりではない。「アプリはあくまで通過点。新しい技術も取り入れ、今後も災害対応をアップデートしていきたい。例えば近い将来、レントゲン画像や歯の写真といった画像データから直接、身元照合が可能になるのではないか」
 トルコ・シリア大地震の例を見るまでもなく、大災害はいつ起きるか分からない。「一人でも多くのご遺体を、家族の元へ」。熊谷さんも狩野さんも、東日本大震災で感じた思いを胸に、今も活動を続けている。

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