マニアック!80年代アイドル総選挙にエントリーされなかった金の卵たち(1980-1984)  シッカリと記憶に刻まれた存在感

リマインダー&昭和40年男&DJ BLUE 共同主催で行われた「80年代アイドル総選挙」の投票結果が2023年2月16日に発表され、それを濃密にまとめた『昭和40年男』増刊『80年代アイドル総選挙!ザ・ベスト100』(ヘリテージ)が3月8日に発売される。

当企画は、運営サイドが絞りに絞った200組のなかから投票するシステムが採用された。つまり、その200組にエントリーされなかった80年代女性アイドルは、投票対象から漏れるかたちになった。

そのモヤモヤをなんとか晴らしたい。そこで、この場を借りて「80年代アイドル総選挙」にエントリーされなかったアイドルたちのことを、敬意を込めてリマインドしておきたい。

ただし、全アイドルの詳細を掲載すると膨大になりすぎるので、前編【1980年〜1984年】、後編【1985年〜1999年】の二部構成とし、デビュー年ごとに名前を掲載し、特筆点がある人物、グループにかぎり、情報を書き添える形式とする。また、時代背景をわかりやすくするために、「80年代アイドル総選挙」で30位以内に入った同年デビューのアイドル名も併記したい。こちらを、前述の『80年代アイドル総選挙!ザ・ベスト100』の副読本のような位置づけで捉えていただければ幸いである。なお、人選についてはすべてライターの主観によるものであることをご理解いただきたい。

【1980年デビュー】佐藤恵利はビジュアルをコピーして “ポスト百恵” を狙った

☆上位ランクインしたアイドル
2位:松⽥聖⼦、5位:河合奈保⼦、21位:柏原よしえ、27位:岩崎良美

☆エントリーされなかったアイドル
石崎はるこ、伊藤典子、鹿取洋子、佐藤恵利、ダンシング・ドール、千葉まなみ、野中菜美、パティ、パティ・リン、浜口啓子、舟倉たまき、ベティ&ペディ、麻野星子、水島ゆみ

この年の春に山口百恵の引退が決まり、新人女性アイドルは、“ポスト百恵” 候補として扱われた。なかでも自らそのイメージをトレースしたのが佐藤恵利だ。彼女は山口百恵に顔や雰囲気が似ていたことから、映画撮影時にそのボディダブルとしての活動歴があった。この経歴を前提に、本家に限りなくビジュアルを寄せた状態でデビューしたのである。それは正解だったのか?

また、当時はニューミュージックの人気が高く、純粋な女性アイドルの新人はそれほど多くない。「ゴーイン・バック・トゥ・チャイナ」でデビューした鹿取洋子は、どちらかというとニューミュージック系のイメージだった。ちなみに、ここに挙げたパティとパティ・リンは別人で、前者は父親がアメリカ人で母親が日本人、後者は台湾出身というプロフィールの持ち主である。

【1981年デビュー】八木美代子はテレ東歌番組で司会者、かつ大門軍団のアイドル

☆上位ランクインしたアイドル
9位:薬師丸ひろ⼦、20位:松本伊代、29位:伊藤つかさ

☆エントリーされなかったアイドル
アンジュネッツ、和泉友子、伊庭紀子、岡田真弓、川上麻衣子、斉藤智美、嵯峨聖子、スクールメイツピープル、二科恵子、平山磨美、ヘレン笹野、水野ますみ、八木美代子

この年は新人賞レースに近藤真彦、沖田浩之、竹本孝之、ひかる一平、堤大二郎と男性アイドルが集中し、新人女性アイドルの出番が少なかった。

そのなかで、和泉友子は『クイズ・ドレミファドン!』(フジテレビ系)やペプシのCMなど、露出の機会に恵まれたがブレイクならず。『3年B組金八先生』(TBS系)の第2シリーズに出演し、今も俳優として活動中の川上麻衣子は、スウェーデン出身ということで「白夜の世代」というデビュー曲が用意されるも、こちらもパッとしなかった。

八木美代子は『美代子の夕焼け歌謡曲』(テレビ東京)という夕方のミニ歌番組のMCを務めていたことでマニアには知られる存在だ。その後、『西部警察』(テレビ朝日系)で、刑事たちが集うスナックの専属歌手の役でレギュラー出演する。

【1982年デビュー】中野美紀は、小泉今日子、中森明菜と同時期の「スタ誕」出身者

☆上位ランクインしたアイドル
1位:中森明菜、3位:⼩泉今⽇⼦、15位:原⽥知世、18位:早⾒優、22位:堀ちえみ、24位:⽯川秀美

☆エントリーされなかったアイドル
青葉久美、伊藤かずえ、かとうゆかり、佐々木よしえ、清水舞子、中野美紀、ナンシー・ルー、花井その子、ヒーロー・キャリー、真柴えり、ミルクパン、百瀬まなみ、吉成香、ラジオっ娘、ルー・フィン・チャウ

新人女性アイドルの豊作年だが、その一方で目立つ成績を残せなかった者も多かった。エントリーされなかったなかにはビッグネームの伊藤かずえもいる。大映テレビ作品で一斉を風靡する前の彼女は、「哀愁プロフィール」という曲で82年組のひとりとして歌手デビューしていたのだ。

佐々木よしえはプロレスラーのロッキー・イヤウケアと結婚。オーディション番組『スター誕生!』(日本テレビ系)出身の中野美紀は、「未経験」という曲で小泉今日子、中森明菜に先駆けてデビューするが、アイドル活動は短期間に終わっている。

花井その子は円谷プロ所属のアイドルで、ウルトラ怪獣を従えて歌った。ラジオっ娘はニッポン放送の番組『電話好きッコラジオッコ 男のコにはナイショなの』に出演していた3人組だ。中国系ベトナム人の難民として来日し、『スター誕生!』で合格したルー・フィン・チャウは、「スター誕生」という曲でデビューしたが、残念ながらタイトルのとおりにはならなかった。

【1983年デビュー】不発アイドル井上杏美は、のちに国民的に知られる “あの曲” を歌う

☆上位ランクインしたアイドル
ナシ

☆エントリーされなかったアイドル
浅沼友紀子、石原真理子、井上杏美、榎本明美、岡田ますみ、尾上千昌、河合美智子、菊地陽子、木元ゆうこ、クリス、杉かおり、堤久美子、牧口昌代、松本小雪、宮原巻由子、宮部エリ、安田純子、山口由佳乃、横田ひとみ

「80年代アイドル総選挙」ではベスト30に1組もランクインしていない新人女性アイドル不作の年である。ただし、エントリーされなかったアイドルのなかには、のちに歌手として大きな実績を残した人物がいる。アイドルとしてまったく売れなかった井上杏美は、その後「井上あずみ」の名前で宮崎駿監督のアニメ映画『天空の城ラピュタ』のエンディング曲、『となりのトトロ』の主題歌などを歌唱する。彼女の歌声の認知度は80年代アイドルでもトップクラスだろう。

「わたし・多感な頃」で歌手デビューするが不発だった河合美智子は、14年後に「オーロラ輝子」としてまさかの『紅白歌合戦』初出場。山口由佳乃も鳴かず飛ばずだったが、その後、劇団四季に入団し「釉佳之」または「鈴木釉佳之」という芸名で多くのミュージカルで歌い続けた。

他方、松本小雪は『夕やけニャンニャン』(フジテレビ系)の司会者としておニャン子クラブファンには知られた存在だ。

【1984年デビュー】オレンジ・シスターズはジャニーズ事務所所属の女性アイドル

☆上位ランクインしたアイドル
8位:菊池桃⼦、10位:岡⽥有希⼦、17位:荻野⽬洋⼦

☆エントリーされなかったアイドル
井上美里、おあずけシスターズ、オレンジ・シスターズ、加茂晴美、仙道敦子、田中さとみ、中村容子、長谷川真弓、ヒロコ・グレース、福家美峰、フローレンス芳賀、堀江しのぶ、森下景

女子大生ブームの真っ只中である。深夜番組『オールナイトフジ』(フジテレビ系)から、おかわりシスターズ同様に、おあずけシスターズもデビューしている。同じような時代背景から誕生したオレンジ・シスターズは、ミニFM局のDJを中心に結成された3人組で、なんとジャニーズ事務所の所属だった。

テレビドラマ『セーラー服反逆同盟』(日本テレビ系)に主演する以前の仙道敦子は、松田聖子の「青い珊瑚礁」と同じ作家陣による「青いSunset」でデビューしていた。23歳で夭逝した堀江しのぶは、“グラビアアイドル”のパイオニア的存在だ。

―― ここまでが80年代前期の5年間である。このようにエントリーされなかったメンバーのなかには、アイドルとしては成功しなかったが、その後、なんらかのかたちで芸能界で名前を残した例も少なくないのである。

さて、続く【後編】は中山美穂、南野陽子、斉藤由貴、本田美奈子、浅香唯、おニャン子クラブらがデビューした1985年からのスタートだ。いよいよ、ポピンズ、アイドル夢工場、BaBe、北岡夢子、Pumpkin、河田純子らが登場する。

カタリベ: ミゾロギ・ダイスケ

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