なぜ『エブエブ』ミシェル・ヨーのカンフーは“泣ける”のか? 壮絶・華麗なアクション遍歴を振り返る【前編】

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』©︎ 2022 A24 Distribution, LLC. All Rights Reserved.

ジャッキーを食った『ポリス・ストーリー3』

ミシェル・ヨーはわがままな経歴のオーナーだと思う。香港アクション映画『ポリス・ストーリー3』(1992年)に出演して、主演のジャッキー・チェンに負けない無茶なスタントを披露。これだけでも偉業すぎる。ちなみに『ポリス・ストーリー3』は、『通天大盗』(原題:1987年)への出演を最後に結婚のため引退していたミシェルの復帰作でもある。

同作の撮影前、ジャッキー・チェンは「ミシェルにアクションができるのか?」と疑っていたという。しかし、撮影がはじまるとミシェルはジャッキー顔負けのアクションを次々と披露。劇中、ミシェルが運転するバイクが、線路を走る列車の屋根に飛び移るスタントも自ら挑戦している。

実はこのスタント、本来はスタントマンがやるはずだった。しかし、撮影前日にスタントマンが負傷してしまう。そうなると、このバイク・スタントの撮影は無理かな……と思いきや、ミシェルは「バイクの免許が無いので、運転の仕方を教えてくれたら私がやりますよ」と志願。本人が宣言した通り、1日でバイクの運転をおぼえてスタントを成功させた。

「私がジャッキーのお尻を蹴ってあげたんです(笑)」

そんなミシェルのアクション・スキルに驚愕したジャッキーは撮影中、「このままでは自分が埋もれてしまう……」と、より危険なスタントに挑戦していく。その結果、撮影中はミシェルとジャッキーは“どっちが身体を張ったアクションをするか”競い合ったという。このことについてミシェルは、軽やかにこう語っている。

撮影中、ジャッキーから「もうクレイジーなスタントをしないでくれ! 君がまた危険なスタントをやったら、僕はさらに危険なスタントをしなければいけないんだ!」と言われました。彼には相当なプレッシャーだったんでしょう、可哀想に(笑)。彼は、私のアクションを見るまでは「女性は映画でアクションをやるよりも台所にいるべきだ」と考えていましたから。その古い価値観を変えるため、私が彼のお尻を蹴ってあげたんです(笑)。

ジャッキーをハラハラさせたミシェルが演じたキャラクターは、世界中のアクション映画ファンのハートをガッチリと掴んだ。そして彼女が演じたキャラクターを主役にしたスピンオフ映画『プロジェクトS』(1994年)も制作された。

これだけでもアクション映画史的には偉業中の偉業を成し遂げているのに、『ポリス・ストーリー3』で演じたキャラクターがハリウッドでも注目された彼女は、『007/トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997年)に出演し、どう見てもジェームズ・ボンドより強そうなボンドの相棒役を務めた。

『エブエブ』でブルース・リーもジャッキー・チェンも成し遂げていない偉業を達成

ここまででも充分すごいことだ。それなのに、ミシェルは『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:リミックス』(2017年)、『シャン・チー/テン・リングスの伝説』(2021年)というMCU映画2作に出演し、まったく違う役を演じるというMCU出演俳優史上でも稀な快挙を達成。どちらもミシェルに似合う威厳と気品を兼ね備えた役だった。

それだけではない。さらにミシェルは、多くのSFファンがリスペクトする『スタートレック』シリーズの『スタートレック:ディスカバリー』(2017~2022年)にも出演。こうゴージャスな経歴が続くと、実際は出ていないんだが『スター・ウォーズ』シリーズのどれかにも、品があって画期的に強いキャラクターで出ていた気がしてくる……。

このようにわがまま極まりない経歴のミシェルだが、2023年3月3日より日本公開の主演最新作『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』ではゴールデングローブ賞を受賞し、アカデミー賞にも最多ノミネートされた。カンフー・ファイト・シーンを披露した作品で、ゴールデングローブ賞を受賞し、アカデミー賞にも選ばれたのだ。これはブルース・リーもジャッキー・チェンも、ジェット・リーもドニー・イェンも成し遂げていない偉業である。

信じられないほど泣けるカンフー・シーン満載の感動作

『エブリシング~』のカンフー・ファイトは、物語的に意味のないアクション・シーンではない。劇中、ミシェルがカンフーを繰り出すたびにマルチバースの危機が回避できそうになるだけでなく、ミシェル演じる主人公が抱える移民の生きづらさ、夫婦のすれ違い、壊れかけた親子の絆といった問題も解決に向かい出す。嘘みたいな話だが本当だ。なんせ監督は、「この映画を作ったヤツの尿検査をした方が良いのでは……?」と観客に思わせてしまうほど不思議かつゴキゲンな映画『スイス・アーミー・マン』(2016年)を撮ったコンビ、ダニエルズだから。

ダニエルズは今回も、その俺ジナル極まりないスキルをスパークさせて、信じられないほど泣けるカンフー・シーン満載の感動作を作り上げた。そんな映画がアカデミー賞に選ばれたのだ。カンフーや中国文化の普及、そして中国人がナメられないために映画作りに尽力を注いだブルース・リーも、草葉の陰で泣いているかもしれない。

なぜミシェルはカンフー・スターになったのか?『皇家戦士』で日本初上陸

カンフー映画スター史上初の偉業を成し遂げたミシェル・ヨー。彼女の主演作が日本初上陸したのは、1988年に公開された主演2作目となる『皇家戦士』(1986年)だ。

当時の劇場では『スケバン刑事 風間三姉妹の逆襲』(1988年)と併映された本作でミシェルが披露する、共演の真田広之に引けを取らない華麗かつ鋭いカンフー・アクションを観た時、「この人もジェット・リーやジャッキー・チェンのように幼い頃からアクションか武術の訓練を受けて来たんだろうな」と思っていた。

しかし、ミシェルは20歳を過ぎて映画俳優になるまで、武術やアクションの訓練は受けたことがなかった! なのに何故、中国が世界に誇るマスター・オブ・カンフー・アクターになれたのか? その答えは彼女の少女時代から、映画俳優となりアクション映画で主演デビューするまでの経緯にある。それが、かなりトリッキーなので説明させてもらいます!

……その前に「ミシェル・ヨー、ちょっとイイ話」をひとつ。実はミシェルは大のホラー映画ファンで、人生サイコーのホラー映画は『エクソシスト』(1973年)とのこと。

ジャッキー&ファッチャイとTVCMで共演

ミシェル・ヨーは1962年にマレーシアのペラ州イポーで生まれた。父親は有名な弁護士で、マレーシア華人協会の会長を務めたこともあるという、まるで『クレイジー・リッチ!』(2018年)のような裕福かつ厳格な家庭で育った。そのため10代で初めてボーイフレンドと映画館でデートした時には、母親も同伴したという。

少女時代のミシェルの夢はバレリーナになることであった。4歳からバレエを始めた彼女は15歳になると、ロンドンのロイヤル・アカデミー・オブ・ダンスで学ぶようになる。しかし17歳の時、練習中の怪我が原因でバレリーナの道を断念することに……。その後も学校に残り、卒業まで振付と演劇を勉強した彼女の将来の夢はバレエの先生になることだった。

1983年、20歳になったミシェルに転機が訪れる。母の薦めでミス・マレーシア・コンテストに出場し見事に優勝。そしてミス・ワールド1983にマレーシア代表で出場しただけでなく、同じ年に旅行で訪れたオーストラリアで開催されたミス・ムンバ/ミス・ツーリズム インターナショナル・コンテストにも出場し優勝してしまう。

そんな逸材を芸能界が放っておくはずがなく、彼女に注目したのは香港映画界だった。その経緯も変わっているので、しっかりと説明しておきたい。

1984年、香港に新たな映画会社が設立された。実業家のディクソン・プーンがサモ・ハン・キンポー、『五福星』(1984年)にも出演している俳優兼プロデューサーのジョン・シャムと共に設立した<D&B>(徳寶電影公司)である。

D&Bは映画以外にTVコマーシャルの制作も引き受けており、ギ・ラロッシュの腕時計のTVコマーシャルを制作することになっていた。主演はジャッキー・チェンに決まっていたが。共演する女性が見つからなかった。社長ディクソン・プーンは知人と食事している時に、そのことを話題にした。すると知人は、「自分の知り合いにミス・マレーシアに選ばれた女性がいるよ」とミシェルを推薦する。

そしてミシェルは、ギ・ラロッシュの腕時計のCMでジャッキー・チェンと共演という華々しい俳優デビューを飾っただけでなく、ミシェルの存在感にただならぬものを感じたD&Bにスカウトされ、専属俳優となる。

デビュー作でジャッキーと共演を果たしたミシェルは、その後もギ・ラロッシュのCMに出演し、チョウ・ユンファとも共演。しかも、『男たちの挽歌』(1986年)のようにマッチ棒をくわえロングコートにベレッタM92Fで武装したユンファとミシェルが銃撃戦を繰り広げる、という奇跡のような内容になっている。

「私にアクションをやらせてください!」

D&Bの専属俳優となったミシェルは、サモ・ハン監督&主演作『デブゴンの快盗紳士録』(1984年)で映画デビュー。彼女が演じたのは青少年感化センターのソーシャルワーカーで、アクション・シーンはない。劇中、少年少女たちにからかわれてポロポロ泣きだし部屋からフェイドアウトする……という、今では考えられない弱々しいキャラクターを演じていた。

出演2作目もサモ・ハン監督&主演作の『七福星』(1985年)。今回はサモ・ハンが参加することになる柔道教室の先生役で、サモ・ハンのカンフーVSミシェルの柔道という夢のようなカードが展開される。だが肝心の格闘シーンでは、アップ以外はスタントマンが吹き替えていたので、“アクションスター”ミシェル・ヨーはまだ覚醒していなかった……。と思いきや、本作への出演がミシェルの中に眠っていたアクションスターの血を呼び覚ますことになる。

『七福星』の撮影現場で武術指導も兼任していたサモ・ハンたちが、格闘シーンでの戦い方を出演者やスタントマンに指導している様子を見ていたミシェルは、こう思った。

映画の格闘シーンをやるには、本当に戦うのではなく、戦う真似、つまり振付をおぼえれば良いんだ。基本的には私が習ってきたダンスと同じだ。自分にはバレエで培ってきた身体能力と柔軟性があるから、スタントマンの吹き替えなしで格闘アクションができるのでは!?

というわけでミシェルは早速、D&B社長ディクソン・プーンのもとに行き、「私にアクションをやらせてください!」と直談判。

ちなみにドキュメンタリー映画『カンフースタントマン 龍虎武師』(2021年)を観るとよくわかるのだが、当時の香港映画はジャッキー・チェンやサモ・ハンの危険なスタント満載のアクション映画の全盛期。アクション映画関係者たちの間では、「ライバルの作品がビルの8階から地上のプールにダイブしたなら、自分たちの作品では9階から地上の炎の中にダイブしなければいけない」という、映画製作の話とは思えない壮絶な競争が繰り広げられていて、まさに“いつ誰が死んでもおかしくない”、香港映画が最も危険な時代だった。

そんな時代に、格闘技もアクションも未経験者なのにアクションスター志願をしたミシェル・ヨーは、かなりどうかしてると思う(イイ意味で)。

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に続く

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文:ギンティ小林

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は2023年3月3日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

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