大川小学校「津波裁判」の10年 ドキュメンタリー映画が問いかけるCDR

2023年4月に創設されるこども家庭庁は、果たして子どもの利益を増やすのか。その真価が問われる事業の一つに、子どもの死亡を検証する「予防のための子どもの死亡検証」(チャイルド・デス・レビュー、CDR)がある。しかし、これまで厚生労働省が主管してきたモデル事業は、捜査情報の活用など、一足飛びに解決できそうもない課題が見えている。

そんななか、まさに死亡検証にかかわるドキュメンタリー映画が2月から全国で公開されている。『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』。子を失った親たちが、日本の検証の実状に愕然(がくぜん)としながらも、「亡くなったのはなぜ?」と問い続けた記録だ。この映画は「言うは易く行うは難し」という現実を改めて突きつけ、「子どもど真ん中」を目指す社会に教訓を示している。

◆東日本大震災 大川小でなぜ多数の死者が出たのか

大川小学校(宮城県石巻市)といえば、東日本大震災で津波に襲われ、近隣の小学校と比べ大きな犠牲を出したことで知られる。犠牲者は児童74人(うち4人は行方不明)、教職員10人。裏山にすぐ避難できる条件があったにもかかわらず、そこに避難をしなかったことも社会に衝撃を与えた。

「なぜこの学校だけ、このように多数の死者を出したのか」

遺族であればなおのこと、この問いが脳裏から離れず、答えを探して必死にもがいていたことは想像に難くない。

映画はその答え探し、つまり検証がその後どうなったのかを遺族の目線で追ったものだ。寺田和弘監督(51)は、マスコミ向け試写会で「遺族が経験したことを追体験していただけたら」と語った。はたしてそのとおり、フロントラインプレスCDR取材班の筆者は、スクリーンを見ながら、遺族グループの内側にいて、一緒に答えを探し続けているような感覚にとらわれた。というのも、この映画には、遺族たちが撮った映像が多く含まれるからだ。

大川小学校の野外ステージに描かれていた子どもたちの絵(©2022 PAO NETWORK INC.)

例えば、市教委が開いた第1回保護者説明会。これは遺族たちが開催を求め、発災からおよそ1カ月後に実現したものだ。真実を聞きたいという遺族たちを前に、校長や生還した教務主任、それに市教委の担当者らが居並ぶ。学校関係者の硬い表情、保護者からの厳しい発言の数々が生々しい。

保護者席から撮影されたこうした映像は、行政の説明が時として実態とはかけ離れていたことを示す。市教委側は説明会を10回で打ち切った理由を「納得が得られた」からと説明したが、映画を見ればその正誤は明白だ。

市教育委員会による第3回保護者説明会(©2022 PAO NETWORK INC.)

文部科学省が仲介して2013年2月に大川小学校事故検証委員会が立ち上げられたときも、遺族は映像を撮り続けた。検証委員は誰か。どういう前提で検証が進んでいったか。そしてどんな結論だったか。それらの情報が、遺族が得たのと同じ形で伝わってくる。

寺田監督は、遺族へのインタビューや遺族による独自検証の様子を、そうした記録映像の間に挿入している。それぞれのタイミングで、遺族が何を思い、何に希望を持ち、失望したのかが浮かび上がる。

遺族は当初、市教委側が真実を示してくれるものと期待していた。しかし結局、うやむやにされてしまったと落胆。希望をつないだ検証委員会の開催には、事情聴取や資料提供で最大限に協力したが、それまで遺族が調査・確認してきた以上のものは出てこなかった。事実解明の道が閉ざされた絶望感や焦り。それもインタビューで吐露されている。

◆真実を明らかにするには裁判しかなかった

検証委員会は、被害が起きた理由として、①避難の意思決定の遅れ、②避難先の誤り、の2点を結論づけた。ただ、遺族が最も知りたいと願っていたのは、「なぜ意思決定が遅れたのか」「どうして避難先を誤った場所としたのか」だった。地元の市教委も、専門家が入った検証委員会も、結局は遺族が求める「なぜ」に答えを出せなかった。残る選択肢は、真実を明らかにしようとする公的な場、つまり裁判しかなかった。

遺族のうち19家族23人は2014年3月10日、石巻市と宮城県を被告とし、仙台地裁に損害賠償請求訴訟を提起した。そして2019年10月10日、最高裁で「平時からの組織的過失」を認めた仙台高裁判決が確定する。

(撮影:益田美樹)

学校や市教委の法的責任を追及することを遺族は当初から望んでいなかった。原告代理人もそれを繰り返し説明している。映画の観客による「追体験」も、遺族が訴訟を起こした判断は止むにやまれぬものだったことを教えてくれる。

「お上に盾突くのか」という周囲の反発や、死亡した子どもに値段(損害賠償の額)をつけなければならないという葛藤もあった。それでも彼らが提訴したのは「わが子の死の理由を知りたい」という一点だった。「金目当てだ」という誹謗(ひぼう)中傷の実態や、どのようにその苦しみに耐えていたかも、彼ら自身が映画の中で語っている。

寺田監督は、遺族が撮りためた映像を見たとき、「非常にショックを受けた」と話す。「行政と話せば話すほど、どんどん溝が広がっていく。今回は文字起こしをせずに、とにかく映像を何度も見たのですが、見るたびに動揺しました。何のために話し合っているんだろう、なぜ質問に対して全然違う答えが出てくるんだろうか、と。見ていて非常につらかった」

その経験が作品の形を決めた。

「見ているほうが、自分が参加しているように思ってもらえれば一番いい、と。とにかく客観的にあれを見るんじゃなくて、自分が当事者となって見ていただけたら、という思いで作りました」

寺田和弘監督。1999年から2010年までテレビ朝日・ABC「サンデープロジェクト」特集班ディレクター。2011年から所属する番組制作会社パオネットワークで、主に社会問題を中心に番組制作を行っている(筆者撮影)

◆代償を払っても、本当に知りたい答えが得られなかった

遺族の願いは「わが子がどうして死んだのか」を明らかにすることだ。自分たちが訴訟代理人になったつもりで、独自の検証も続けた。心身の負担もあり、大病を患った遺族もいる。答えを得るためには、精神的にも肉体的にも、大きな代償を払わなければいけなかった。しかも、代償を払っても、本当に知りたい答えは得られなかった。

映画が浮き彫りにするのは、そうした現実だ。死亡検証は、直接的な死亡原因(医学的な死因)だけでなく、因果関係の解明も重要だ。特に、予防策を考えるための死亡検証であれば、後者は絶対に欠かせない。そして、どこまで踏み込むかが肝となる。

原告代理人の1人、吉岡和弘弁護士(75)は、その点についてこう語る。

「宮城県の小学校で2021年、木製のポールが倒れて子どもが死亡した事件があったんです。ポールの付け根が腐っていたのを学校が見逃してしまっていたと言うんですが、なぜ放置していたのか、そこのところに、文科省をはじめ、教育委員会がしっかりとメスを入れていかなきゃいけないんだけど……。大川小の問題とよく似ているわけです。

大川小の場合は、検証委員会もそうですけれど、5000万円近いお金を使って検証したにもかかわらず、出来上がった資料(結論)は、『逃げるのが遅かった』『逃げる先が、北上川に向かう方向だった』からだと。そんなわかりきった結論を出してしまってどうするのでしょうか。問題はその背後にあります。なぜ逃げるのが遅かったのか、なぜ北上川に向かったのか、です。

検証という名のもとに、実はごまかしがある。一見、検証しているように見えますが、実は官側ないしその加害側に何ら責任が取れない形、彼らにとっていい形で、オブラートに包んだような検証がまかり通っている。それが日本の現状じゃないか」

吉岡弁護士は、大川小の事例の一番のポイントは「なぜ50分も校庭にとどまっていたのか」だと言う。遺族による聞き取りや検証で、教務主任が裏山への避難を強く訴えたが、教頭を含めたほかの10人がそれに賛同しなかったことがわかっている(校長は被災時不在)。

遺族の1人も映画の中で、そこには人間関係の問題があったのではないかと指摘し、「そんなことでうちの息子が死んでしまったのか」という苦しい胸の内を明かしている。

「教員間の上下関係だとか、そういう、ものが言えない教育現場の問題。そういうところにメスを入れて行くのが、本当の検証だと思います」

◆改善されなければ、遺族は同じ苦しみをずっと味わう

もう1人の原告代理人、齋藤雅弘弁護士(68)も、遺族に寄り添ってきた立場から、検証について言及する。

「わが子が亡くなったときの状況は、遺族にとってとても大切なことです。それがわからないことのつらさ、大きさをどうやって自分の中で消化していくか。消化できないかもしれない。今生きている以上、背負っていくしかない。

では、どうしたらいいのか。これは本当に深い問題です。そういう立場に遺族を置かせてしまった本質はいったい何なんだ、とつねに問い続けていくことが重要ではないでしょうか。

その1つの切り口として、どのような仕組み、制度を作っていくと、今のような問題を少しでも軽くしていくために役立つか。それがあるべき方向だと思います」

「遺族の映像にショックを受けた」という寺田監督は、検証について今、このように思っているという。

「なぜ子どもが死んでしまったのか、なぜこういう状況になってしまったのか、という原点を忘れずにやっていけばいいのだけれど、そこが取り除かれてしまう。そこが大事なのに、現実はうまくいっていない。でも、改善されなければ、同じような苦しみを遺族にずっと味わわせてしまうわけです。

大川小のご遺族は、ほかの皆さんに同じような思いをしてほしくないと、10年以上闘いを続けてこられました。映画を見た方には、本当にこういう思いを同じように繰り返していいのかっていうことを、自分ごととして考えてもらいたい。次につなげていかないと。(大川小の犠牲と遺族の苦しみが)現実にあるわけですから」

◆初出:東洋経済オンライン 2022年2月3日

映画「生きる 大川小学校 津波裁判を闘った人たち」は、全国各地で上映中

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