ニューロティカ×ギターウルフ - 新宿ロフト出演回数最多バンドによる渾身企画第3弾は、アツシいわく"世紀の頂上対決"!

『愛と誠』の“悪の花園”を花園神社の裏辺りで探していた

──『Big Wednesday』を2回開催して、あっちゃんの手応えはいかがですか。

アツシ:久しぶりのPOTSHOT、初めてのPIGGSということで新鮮で気持ち良くやれました。POTSHOTとは新宿ロフトが歌舞伎町へ移転したときの柿落としライブ以来のロフトで感慨深かったし、PIGGSは凄く勢いがありましたね。PIGGSはメンバー一人ひとりの個性も強く出ていて魅力的だし、見せパンツにピエロの絵を描いてたKINCHANのファンになりました(笑)。

セイジ:自分の質問ですが、今日も朝5時からお菓子の仕入れに?

アツシ:今日は行ってないです。仕入れは道が混んでない日曜日に行くことが多いんです。

セイジ:あの映画に出てくる問屋の倉庫は、馬喰町とかあっちのほう?

アツシ:あれは相模原です。あとは豊玉とか東久留米とかにあるんですよ。

──セイジさんは映画『あっちゃん』(ナリオ監督)をご覧になっていたんですね。

セイジ:もちろんです。下北の251の前で偶然会ったときにDVDをもらって。

アツシ:ギターウルフが251でライブをやるのを知っていたので、僕がDVDを持って行ったんですよ。

セイジ:DVDのパッケージに「お菓子は世界を救う」みたいなことが書いてあって、それは間違いないなと思って。

アツシ:ありがとうございます。おかし(お菓子)な話ですね、なんて(笑)。

──これまでお二人の接点は?

セイジ:接点は全くなかったけど、俺が東京へ出てきたとき…自分でバンドを組むか組まないかくらいの頃からニューロティカはすでに有名なバンドで、確かニューロティカが出てきた3年後(1987年)にギターウルフを組んで。当時、ニューロティカは新宿ロフトでナゴム系のバンドと対バンしていた印象があるんだよ。俺は特にグレイトリッチーズが好きで見に行ってた。あと、田口トモロヲさんがやってたガガーリンとかね。あの独特な輪に入りたいような、入りたくないような感じだった(笑)。のちに俺たちはノブちゃん(DADDY-O-NOV)が始めた『BACK FROM THE GRAVE』(1989年10月、新宿ジャムでほぼ月1回のペースでスタート)というイベントと水が合ったんだけど。

──セイジさんがナゴム系のバンドをご覧になっていたとは意外でした。

セイジ:当時はインディーズの勢いが凄くてね。ラフィンノーズがアルタの前でソノシートをばら撒いたり。俺が働いてた原宿ではヘビメタやロカビリーの格好をしてる奴もいれば、ローリング・ストーンズ好き、パンクス、ハードコア勢なんかもいて、いろんなジャンルの連中が街に混在していて面白かった。

──あっちゃんはギターウルフにどんな印象を抱いていたんですか。

アツシ:もちろんライブも見ていましたけど、『ロッケンロー・サミット』が初めての対バンでしたね。ニューロティカが出る前からフジテレビでやってるのを見てました。『ロッケンロー・サミット』の出番が終わって、セイジさんに「グレイト!」と言われたのが嬉しくて、思わずスタッフに自慢しちゃいました(笑)。

──2マンは今後の『Big Wednesday』が初めてなんですよね。

アツシ:そうです。世紀の頂上対決ですよ(笑)。

──去年の7月に新宿ロフトで行なわれたサニーデイ・サービスとの2マンもそうですが、近年のギターウルフは異ジャンルのバンドと敢えて手合わせする機会が増えているように感じますが。

セイジ:でも、自分たちはもともとLess Than TVというハードコア、オルタナティブ系のレーベルから日本で初めてCDを出したし(『RUN WOLF RUN』、1994年4月発表)、90年代は海外でもよくオルタナ系のバンドと対バンしていたからね。

──お二人は同年代なんですよね?

セイジ:うん。あっちゃんは俺の一個下だよね?

アツシ:そうです。

セイジ:あっちゃんが昭和39年生まれで、俺が昭和38年生まれ。ほぼ同じだね。

──ということは、子どもの頃に見ていた漫画やテレビ、思春期に影響を受けた音楽や映画が被っている可能性もありますね。

セイジ:もろ被りじゃないかな。『ウルトラセブン』とか。

アツシ:特に印象に残ってる漫画は何ですか?

セイジ:一番好きな漫画は『1・2の三四郎』だね。

アツシ:ああ、僕も一緒です。高校の頃ですよね。

セイジ:そうそう。『1・2の三四郎』の初期の頃の、小林まことが煮詰まって描いたという実にくだらないギャグが素晴らしい。気合いで身長を伸ばしたりとか(笑)。

アツシ:僕はヒロインの志乃が『週刊少年マガジン』の表紙になってるだけで笑ってましたから(笑)。それくらいパンチがありましたね。

セイジ:あと、『愛と誠』も好きだった。

アツシ:キタ! 僕は身体中が梶原一騎先生なんですよ(笑)。

──どんな身体ですか(笑)。

セイジ:それと『空手バカ一代』で描かれていた大山倍達の話は全部信じていたからね。牛殺しは本当だろうけど(笑)。

アツシ:高知でライブをやったときにちょうど『よさこい祭り』がやっていて、地元の高校生たちにニューロティカも出てくれと言われたことがあるんです。それで祭りに参加して踊っていたら、対抗から来るのが芦原館長さんの集団でびっくりしました。

セイジ:エッ、芦原英幸が!?

アツシ:はい、ケンカ十段の(笑)。セイジさん、同じ梶原一騎先生の『青春山脈』は読んでました? 戦争で特攻隊にいた主人公が生き残って、戦後はヤクザになって闇市からのし上がっていく物語なんですけど、凄く面白いですよ。

セイジ:忘れてるだけかもしれないね。でも梶原一騎なら俺はやっぱり『空手バカ一代』かなあ。ブルース・リーが極真空手のハワイ支部に在籍していた話も信じ込んでいたけど、あれもウソだろうね(笑)。大山倍達の自伝が何冊か出てるけど、そっちはちょっとエッチな描写があるんだよね。世界中を回っていた頃、「さすがにその夜は金髪の誘惑には勝てなかった」とか(笑)。

アツシ:ああ、それ『四角いジャングル』で描かれてあったかもしれませんね。

セイジ:俺たちの世代は梶原一騎が原作の漫画によって「男はこうあるべき」みたいなことを左右された気がするね。『愛と誠』もそうだったし。

アツシ:『愛と誠』と言えば、スケバンが女を吊るしてムチで叩いて、傷口に塩を塗り込むシーンがあったんですよ。あれは怖かったなあ(笑)。

セイジ:物語の舞台として“悪の花園”と呼ばれる高校(花園実業高校)が出てくるんだけど、どこにあるんだろう? と思ってさ。花園神社の裏にあるに違いないと探したことがある(笑)。当時はあの辺の靖国通りの向かいにツバキハウスがあって、俺はずっと通っていたので「この辺に“悪の花園”があるはずだ!」って(笑)。

昔のことはすぐ思い出せるのに昨日のことは出てこない

──セイジさんはここぞ一発気合いを入れたいときに石井聰亙(現・石井岳龍)監督の『狂い咲きサンダーロード』を観るという有名な話がありますが、あっちゃんは同じく石井監督の『シャッフル』がフェイバリットなんですよね。

アツシ:『シャッフル』という石井監督の初期の作品を高校の頃に観て感激して、学園祭に呼ばれたときに組んだバンドに“シャッフル”という名前を付けたんです。そのことを石井監督にお会いしたときに伝えられたのは嬉しかったですね。

セイジ:石井監督には何度か会っているけど、「『狂い咲きサンダーロード』みたいに強烈な作品をまた撮ってください!」と失礼なことを言ってしまったことがある(笑)。

アツシ:『逆噴射家族』はぶっ飛んでましたけどね。

セイジ:そうだね。あれは素晴らしかった。漫画の話に戻るけど、やっぱり昭和の線がぶっとい漫画のほうが俺は好きかな。もちろん今の漫画にもアイディアやストーリーが素晴らしいものがいっぱいあるけど、自分の好みとしてはね。昭和の漫画家は戦争を体験していて、戦後のどん底にあった日本から這い上がろうとするエネルギーがあの太い線に凝縮していた気がする。生き抜く力みたいなものが感じられたよね。『巨人の星』とかまさにそんな感じでしょう? 一球投げるのに30分くらいかかるみたいなさ(笑)。

アツシ:同世代として凄くよく分かります。今の話を聞きながら、今度の『Big Wednesday』で唄う曲を決めました。梶原一騎先生の世界をイメージして歌詞を書いた曲がいくつかあるので、それをやります。『巨人の星』で野球に集中していたはずの星飛雄馬がゴーゴーバーで遊ぶようになって、明子姉ちゃんがそれを止められなかったと。それで「今は孤独で闘う時期だと思うの…みんなが青春を! みんなが青春を!」と涙ながらに言い出すシーンがあるんですよ。そのイメージで「二十歳過ぎの青春はタチ悪い」という曲を作ったことがありまして(笑)。それと「青春山脈」という曲もやらせていただきます。

──三つ子の魂百までと言うか、お二人とも思春期に吸収したカルチャーが血肉化しているのが窺えますね。

セイジ:そうやって影響を受けたものが作る曲の基本にはなってるよね。

アツシ:そうですね。僕は手塚治虫先生の漫画も好きですけど、手塚先生が梶原一騎先生の作品を見て、アシスタントに「こんな作品が面白いと思うか?」と聞いたっていう話が好きです。

セイジ:手塚治虫は他の漫画家への嫉妬が凄かったって聞くしね。でもそれくらいの執念があるからこそ死ぬ直前まで物凄い量の漫画を描き続けることができたんだと思う。『海のトリトン』なんて新聞に連載されていたんだから凄いよ。毎日毎日、ある程度のレベルの傑作を新聞で発表しなくちゃいけないわけでしょ? 俺たちで言えば毎日ある程度のレベルの曲を書かなきゃいけないわけだから、漫画家は凄いね。

──昭和世代はプロ野球も大好きだと思いますが、応援している球団は?

セイジ:俺は阪神。あっちゃんは野球をやってたんだよね?

アツシ:はい。僕はベイスターズ一筋です。

セイジ:でも今はプロ野球にそれほど関心がなくなっちゃったかな。掛布(雅之)の時代から大好きだったんだけど。ちょうど俺が22のときに阪神が日本一になってさ。

アツシ:ああ、バース、掛布、岡田(彰布)のバックスクリーン3連発の年(1985年)だ。ウチは東京なので両親も巨人が好きだったんですけど、僕はへそ曲がりだったので当時の大洋ホエールズが好きだったんです。当時の大洋は10点取っても17点取られて負けるようなチームで、これは俺が応援するしかないだろう! と思って(笑)。

セイジ:田代(富雄)とかの時代だよね。

アツシ:そうです。松原(誠)、(ジョン・)シピン、(クリート・)ボイヤー、平松(政次)がいた頃。

セイジ:昔の話ばっかりしてるね(笑)。

アツシ:昔のことはすぐ思い出せるのに、昨日のことは出てこない(笑)。

──最初に買ったレコードは何ですか。

セイジ:俺は「恋する夏の日」とか、天地真理のシングルじゃなかったかな。小学生のとき。

アツシ:僕は最初はアニメの主題歌だったと思うんですけど、初めて買った歌謡曲のレコードは郷ひろみの「愛への出発(スタート)」だったと思います。

セイジ:最初は天地真理だったけど、今思えばあれがロックの目覚めだったかもしれないと思い返すのは西城秀樹だね。

アツシ:ああ、上半身裸で鎖を付けたアルバム(『エキサイティング秀樹 - ちぎれた愛 / 情熱の嵐』)とかありましたよね(笑)。

セイジ:10代の秀樹の格好良さは半端じゃなかった。「YOUNG MAN(Y.M.C.A.)」の頃はもうその面影はないけど、10代の秀樹は本当に凄かった。エルヴィス(・プレスリー)のカバーもよくやってたし、アクションのキレとかすべてが完璧。当時の秀樹がいま世界へ飛び出したら凄いことになりそうな気がする。

──よく見ていたテレビ番組は?

セイジ:緒形拳が出てた『必殺仕掛人』かな。

アツシ:テレビは何でも見てましたけど、音楽的な影響を受けたのは『ぎんざNOW!』ですね。あの番組でキャロルや丸山圭子といった歌謡曲じゃないジャンルを知れたので。

セイジ:やっぱり東京の人だね。東京の人はよく『ぎんざNOW!』を見ていたって言うよね。

アツシ:番組自体もぶっ飛んでて、凄く面白かったですね。夕方5時からの放送で、ゴールデンタイムに出るような有名人は出ないんですよ。見たことない、聞いたことない歌や話を知ることができて楽しかった。

セイジ:ランナウェイズも出てたんだよね。

アツシ:出てましたね。ARBやクールスも、僕は見てないけど出てたみたいです。

洋楽は全然聴かないのに映画は外国のを観るんだね?

──ロックの洗礼を受けたのはやはりラジオの深夜番組とかですか。

セイジ:中学の頃に空前の深夜ラジオブームがやって来て、島根にいると夜の1時くらいから朝の5時までのあいだだけ東京からの電波が微かに入ってきた。当時の島根のラジオはだいたい夜中の12時過ぎとかで終わってたんだけど、その後にジリジリジリ…と『オールナイトニッポン』や『セイ!ヤング』が聞こえてきてさ。そういう番組で討論があって、「君はRCを認めるか? 認めないか?」って話をしていて、何だろうと思ってね。RCが海外のバンドなのか日本のバンドなのかも分からない頃で、そしたら「雨上がりの夜空に」が流れてきて。「こんな夜に発車できないなんて」とか「バッテリーはビンビンだぜ」とか、10代の悶々とした頭ではなんてエッチな歌なんだ!? と思ったよ(笑)。あと覚えてるのはキャロル特集。キャロルは俺が小学生のときに解散してるから久しぶりの特集だったんだけど、キャロルとRCサクセションという二大巨頭を深夜ラジオで知れたのは大きかった。

──あっちゃんにとっての巨頭と言えば、自ずとARBになるわけですが。

アツシ:そうですね。八王子のデパートの屋上でやっていた公開放送にARBが来て、それを見てぶっ飛んでからすべてが始まりました。

セイジ:俺はARBとかはあまり聴かなかったな。洋楽っぽい歌詞に憧れていたからね。キャロルにはエルヴィスとか50'sのロックンロールを、RCサクセションからはブルースを感じたから好きだった。そういう影響を受けた上で俺が目指してるのは俳句みたいな歌詞と言うか。自分の思ったことを唄うんじゃなく情景を唄いたい。昔からやってるアメリカのロックンロール的なことを日本語に置き換えると言うのかな。

──つまり洋楽志向が強かったと。

セイジ:でもそれはあっちゃんも同じじゃない?

アツシ:いや、僕は全然。洋楽のことは何も分かりません。

──KISSやエアロスミス、ベイ・シティ・ローラーズとか当時流行りの洋楽を聴いたりは?

アツシ:中学のときに友達からKISSのレコードを借りたんですけど、1回聴いただけで返しました。「よく分かりません」って(笑)。

セイジ:ラモーンズとかは?

アツシ:分からないです。

──「You're Gonna Kill That Girl」をカバーしていたじゃないですか(笑)。

アツシ:あれはウチのメンバーが好きだろうなと思って、トリビュートが流行っていたときに僕が営業して取ってきた仕事なんです。でも英語の歌なんて自分じゃ唄えないことに後から気づいて、制作の人に「日本語で唄ってもいいですか?」と訊いてOKをもらったんですよ。パンクバンドのボーカルなのに(セックス・)ピストルズのこともよく分からないし、ビートルズも正直よく分かりません。

セイジ:キャロルの解散ライブの映像で、仲間のスタッフが「洋楽に比べたらまだまだかもしれないけど、キャロルはイケてるよな」って言うシーンがあるんだよ。つまり、当時は音楽も映画も日本のものはそこそこだけど外国には勝てないっていう風潮だったんだよね。洋楽も洋画も日本より上っていう時代。そういう認識が植え付けられていたけど、バンドで海外へ行けば現地の人たちは凄く歓迎してくれたし、日本のロックが素晴らしいことを再認識できた。と言うよりも、自分たちは日本よりも海外のほうがウケるかもしれないね。

──ニューロティカは海外でライブをやったことがあるんですか。

アツシ:一度もないですね。

セイジ:やると面白いかも。ピエロの格好を面白がってくれそうだし。

アツシ:やりたいねとメンバーとも話してるんですけど、ノウハウがまだなくて…(笑)。

セイジ:俺たちが洋楽を聴いて何を唄ってるのか分からないのと同じで、あっちも日本語だろうと何だろうと関係ないからね。ノレればいいわけだし、パワーがあればいい。

アツシ:じゃあ、今後は海外を目指します(笑)。セイジさんの好きだった音楽を聞けたので、どんな映画が好きだったのかも聞きたいんですけど。

セイジ:さっきも話した『狂い咲きサンダーロード』や『燃えよドラゴン』も好きなんだけど、『時をかける少女』も好きだった。SFという形の中で思春期の心が振れに振れているのが描かれていて素晴らしいなと。あとは『男はつらいよ』。中でも太地喜和子がヒロインの『寅次郎夕焼け小焼け』がいい。リリーが出てくる『相合い傘』も素晴らしいけど、『夕焼け小焼け』は本当に最高。

アツシ:作品名で来た(笑)。僕も寅さんは好きで全部観てますけど、観直してみます。

セイジ:鈴木清順監督の『けんかえれじい』も好きだね。あと、みんな大好き『バック・トゥ・ザ・フューチャー』。あの映画の中で描かれてることは俺たちも中学や高校の頃に似たようなことを妄想したものだけど、(スティーヴン・)スピルバーグが製作したからこそ大成功したんだと思う。仮に日本の映画人が作ったらあんなに素晴らしい作品にはならなかったんじゃないかな。『バック・トゥ・ザ・フューチャー』は何かがちょっとでも欠けたらヘンな映画になりそうだけど、あれは完璧だもんな。三部作で荒野へ行ったりするのも最高。『荒野の用心棒』のパロディがあったりしてさ。あっちゃんが好きな映画は?

アツシ:『灰とダイヤモンド』、『ベティ・ブルー』、『ポンヌフの恋人』ですかね。あとは『仁義なき戦い』と『男はつらいよ』。

セイジ:洋楽は全然聴かないのに、映画は外国のを観るんだね?(笑)

アツシ:ああ、言われてみれば確かに。初めて指摘されました(笑)。

セイジ:そういう部分は徹底しなくていいんだね(笑)。

世紀の頂上対決、世界中が震えて待つ頂上対決、全米(煎餅)が泣いた頂上対決

セイジ:あっちゃんと言えば八王子だけど、バイクのチームとかに入ってたの?

アツシ:いや、僕は入ってなかったです。

セイジ:入ってるのはヒロミの八王子会?

アツシ:はい。八王子出身のタレント、役者、ミュージシャンが集まる会に呼んでいただきまして。

セイジ:八王子はライブハウスも多いよね?

アツシ:3軒くらいありますね。弾き語り向けの小さいハコを入れれば10軒くらいあります。最近はたとえば新宿でライブをやった後に八王子でやるバンドも増えましたね。やっぱりマキシマム ザ ホルモンの力が大きいと思うんですけど。

セイジ:へえ。あっちゃんが八王子でフェスをやったって話を聞いたけど。

アツシ:以前、八王子の市制100周年をお祝いするということで『ポカポカフェスタ』というのをやりました。ウチに「ポカポカ」って曲があるので、それにちなんで。いずれは八王子の市議会に打って出る手段として(笑)。市役所の人に「3,000票必要だけど、あっちゃんなら余裕だよ」と言われたんですけど、僕は音読みも訓読みもできませんから(笑)。

──あっちゃんはセイジさんの故郷である島根県にどんな印象がありますか。

アツシ:島根には何度か行っていて、100円ショップが大きい駐車場の中にあって、その近くでライブをやった記憶があります。

セイジ:ああ、松江のグルーヴマシンだね。今はもうないけど。

アツシ:あと、高速の下辺りにあったライブハウス。

セイジ:それも同じ系列だけどなくなっちゃった。じゃあ、だいぶ前だね。

アツシ:仲の良い岡山のバンドがいて、岡山の後にもう1日やらない? と入れてもらったのが島根のライブハウスだったんです。

セイジ:まあ、日本で一番人が来ないライブハウスと言われていたから(笑)。

──でも近年は、セイジさんが主催する『シマネジェットフェス』で島根にだいぶ人を呼んでいるのでは?

セイジ:何とか頑張ってはいるけどね。俺はあっちゃんが通ってきた系列とは全く別の音楽ルートだったけど、音楽には正解も不正解もないし、どんな音楽でも素晴らしいと思ってる。その中で自分が愛するロックンロール、エルヴィスから始まり、ビートルズやストーンズに受け継がれたロックンロールが大好きなんだけど、アメリカにはそういうロックンロールの基礎があるし、向こうにはロックンロール本来の良さを味わうフェスが多いんだよね。それが俺は悔しくてさ。そういうロックンロールの良さを体現するバンドは日本にもいっぱいいると思ってるから。それで日本のロックの幹を太くするようなフェスをしたいと思って続けてるのが『シマネジェットフェス』なんだよ。あっちゃんたちは新宿ロフトのシーンの流れにいたと思うんだけど、俺たちはさっきも話した通り『BACK FROM THE GRAVE』というガレージの流れを汲む輪の中にいて、そこからThe 5.6.7.8'sとか、世界中で何十万枚とCDを売ったティーンジェネレイトが出てきた。ティーンジェネレイトのメンバーは自分と同い年で、ティーンジェネレイトとジェットボーイズが自分にとっては常にライバルだったね。ティーンジェネレイトがいた時代は大いに刺激を受けたし、嬉しかったな。当時、あっちゃんたちのホームがロフトだったとすれば、俺たちのホームはシェルターだったね。

──今度の『Big Wednesday』では両者の共演を期待しても良さそうですか?

セイジ:何かやれるといいなと思って「ア・イ・キ・タ」を練習してるよ。あれが一番簡単だったから(笑)。

アツシ:ああ、ありがとうございます! これは激アツだ!(笑)

セイジ:本編が終わって最後のアンコールでやれるといいかなと思って。

アツシ:嬉しいです。このあと、すぐメンバーに電話します(笑)。

セイジ:「ア・イ・キ・タ」の歌詞も面白いけど、いつもどんな感じで書いてるの?

アツシ:普段の何気ない会話、本を読んだりテレビを見ているときに入ってくる一言から広げていく感じです。僕はギターも弾けないので、言葉を羅列したものをメンバーに渡して曲にしてもらうんです。

セイジ:なるほどね。俺はギターを始めたのが24なんだけど、それまではボーカルだけやってたんだよ。そのときは適当に唄ってるのをギターが曲にしてくれて、今よりも自由に曲が作れた気がする。

──ところで、セイジさんの好きなお菓子って何ですか。

セイジ:なんだろう……チョコかな。

アツシ:かしこまりました。当時のケータリングとして用意させていただきます(笑)。セイジさんは硬くてしょっぱい煎餅が好きなのかなと思ったんですけど、違いましたか?

セイジ:アポロチョコじゃなく、イチゴの細い板チョコが好きだったね。白を基調としたパッケージに赤いイチゴが描いてあるやつ。あっちゃんはどんな菓子が好きなの?

アツシ:やっぱり煎餅ですかね。セイジさんは硬い醤油の煎餅はダメですか?

セイジ:いや、大好きです。そうだな、今はチョコよりも煎餅のほうが食べるかな。

アツシ:かしこまりました。では煎餅を当日のケータリングに(笑)。

──では最後に、『Big Wednesday』にお越しになる皆さんに一言お願いします。

アツシ:世紀の頂上対決、世界中が震えて待つ頂上対決、全米が泣いた&煎餅も泣いた頂上対決なので(笑)、ぜひお越しください!

セイジ:そういうことだね。ヨロシク! ロッケンロー!

© 有限会社ルーフトップ