「花火」 人生は輝かしい。日本映画「三尺魂」のリメイクは、舞台のような会話劇 【インドネシア映画倶楽部】第51回

Kembang Api

日本映画「三尺魂」のリメイク。インドネシア版では、花火に記されたジャワ語「Urik Iku Urip」(人生は輝かしい)が物語のカギになる。俳優4人の緊迫した会話劇が舞台を見ているようだ。

文と写真・横山裕一

2018年公開された日本映画「三尺魂」のインドネシアリメイク版。インターネットの掲示板サイトで知り合い、大型花火の爆発で集団自殺を図ろうとする4人の男女がそれぞれに抱える苦悩、そして心境のうつろい、揺らぎが克明に描かれている。狭い部屋で4人が展開する舞台設定で、シアターでの演劇的な雰囲気もある中で出演者が熱演する意欲作。

物語は山奥の小屋で男が直径1メートル近くの大型の花火玉を前に準備するシーンから始まる。彼は掲示板サイトで「雲」と名乗り、花火の打ち上げ師でありながら大臣出席のイベントで打ち上げを失敗し、多額の賠償金を請求されて自殺を試みようとしていた。そこへハンドルネーム「黒蘭」の男性が訪れる。彼は精神的プレッシャーから手術ができなくなった医師だった。続いて自らの運転ミスによる交通事故で愛息子を死亡させてしまった女性「白い骸骨」が来る。

最後に遅れて来た「エレガント」に3人が驚く。彼女はまだ高校生だった。4人が揃い早速花火のスイッチを入れ、花火が爆発する。しかし、気づくと「雲」が再び花火を準備する時間に戻っていた。その後何度も4人は自殺を試みるが、花火が爆発するたびにタイムループにより自殺以前へと戻る繰り返しだった……。

監督はベテランのヘルウィン・ノフィアント監督。記者会見で「この作品にはメンタルヘルスをはじめ多くのメッセージが込められている」と話すように、自殺志願者の4人が主人公ながら、タイムループで戸惑いながらも彼らが交わす会話を通して、生きる意味や希望とは何かといったテーマが生み出されていく。

世界保健機構(WHO)の統計によると、インドネシアの自殺者の状況は2019年で人口10万人に対して2.55人で、2000年の3.79人から年々減少傾向にある。日本が2019年で12.2人であることと比較しても現状は少ないことがわかる。

また、本作品のモチーフとなった日本映画「三尺魂」は2018年の公開時に興行面からみると大きな話題にまで至っていない。こうした中、インドネシアであえてリメイクされた背景には経済成長や地方を含めた都市化、現代化が進むインドネシアにおける人々の精神構造の変化があり、「三尺魂」の設定のユニークさに加え、「生きるとは何か」といったテーマ性に大きな魅力を感じたためであることが推測される。

本作品の特徴は大きな花火玉を前に4人が展開する会話で作品ほとんどが構成されている点だ。舞台演劇を披露するかのような場面だけに、緊張感ある言葉のやり取り、テンポが求められるが、出演者である4人の役者による熱演が見事期待に応えていて、終始見入ってしまう。息子を失った「白い骸骨」役を演じたマルシャ・ティモシーによると、臨場感を出すために会話シーンは途中でカットしない長時間撮影が行われ、このため舞台演劇さながらの集中した練習が繰り返されたという。

原作である日本映画「三尺魂」は未鑑賞のため比較はできないが、インドネシア版では自殺に使用される花火玉にジャワ語で「URIK IKU URIP」と記されている(日本原作版では花火名「八重芯 錦冠菊」が書かれているのみ)。作品内で主人公の一人の花火師が「人生は輝かしい」という意味でかつて娘に対してよく話した言葉だと説明している。この言葉はジャワ哲学のひとつで「人間は一人ではなく、お互いに助け合うために生まれてきた」という意味も込められているという。花火玉に記されたこの言葉がキーワードとして、物語の転換に大きな影響を及ぼしていく点はインドネシア版ならではのものだろう。

日本版を観た人はどのようにインドネシアナイズされたかを見比べることも楽しめるだろう。また観ていない人もインドネシア人の「助け合い、相手あっての自分」「人生は素晴らしい」という考え方に日本人として改めて共感を受けることができるかもしれない。ユニークな設定での人間ドラマは一見の価値がある。(英語字幕あり)

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