「欧州のブラジル」とも呼ばれ、数多くの名選手を生み出してきたユーゴスラヴィア。分裂後もクロアチアやセルビア、ボスニア・ヘルツェゴヴィナなどがワールドカップに出場するなど、サッカーが非常に盛んで熱い地域として知られている。
そのセルビアのサッカーを現地からレポートしていただくのが石川美紀子さん。バルカン地域の研究者でありながら、サッカーの取材記者やカメラマンとしても活躍している女性である。
今回は、セルビアの「ナショナルデー」、いわゆる建国記念の日のあとに行われたレッドスター・ベオグラード(ツルヴェナ・ズヴェズダ)対チュカリチュキの試合を撮影した際のレポートだ。
サッカー界でも屈指の熱さと激しさを持つと評価されているセルビアのサポーターが見せている「世界レベルの応援文化」、そして切り離すことができない政治との結びつきとは…。
メディアすらもこぞって休む「ナショナルデー」
ここ最近のセルビアは、とても暖かい日が続いたかと思えば急に雪が降ったりと、難しい空模様である。
2月15日はセルビアのナショナルデー。19世紀のオスマン帝国の支配からの解放を記念する日で、今年は学校も5連休になった。この連休中、2月にしては珍しく春のような陽気が続き、街は冬の間の貴重な日差しを楽しむ家族連れであふれていた。
スポーツメディア業界でも、ナショナルデー翌日の2月16日はセルビア最高峰のスポーツ専門紙「ジュルナル(Sportski Žurnal)」が休刊になる。ジュルナルの休刊日は年間数日しかない。それほどナショナルデーは大切な祝日なのだ。
まずは、セルビアの若きタレントを生み出す「宝庫」を撮影する
私が取材したのはセルビアスーペルリーガ第22節、レッドスターのホーム「マラカナ」で行われるチュカリチュキ戦(当時リーグ4位)。
しかしその前に、スタジアム隣の人工芝グラウンドでレッドスターのセカンドチームRFKグラフィチャル(RFK Grafičar)が練習試合をしているというので、少しだけ撮影する。
名古屋グランパスでピクシーの右腕として長年ヘッドコーチを務め、その後はマケドニア(現在は北マケドニア)の代表監督、さらに名古屋グランパス監督、京都サンガでも監督を歴任したボスコ・ジュロヴスキー氏が、2021年にグラフィチャルで監督を務めていた。その縁で、私は今もこのクラブのチームカメラマンとしても活動している。
今回は少しだけ撮ってすぐに隣のスタジアム「マラカナ」(レッドスターのホームスタジアム)に移動するつもりで、スタンドからこそこそと撮っていたのだが、ワタクシどうも目立ちすぎるらしい。
あっという間に選手たちに見つかって「オレを撮ってくれ!」とアピールされるわ、久しぶりに会ったスタッフからは熱烈ハグをされるわ…(笑)
セルビア2部に所属するグラフィチャル。試合経験を積むためにレッドスターからレンタルで来ている若手と、かつてレッドスターで活躍したベテラン選手数名で構成されるチームである。
ここは「世代別のセルビア代表選手の宝庫」。
今後世界で活躍し、ゆくゆくはA代表に招集されW杯に出場する選手を発掘するには最高の現場。また近いうちにリーグ戦を撮影して、注目選手をご紹介できればと思う。
ウクライナ戦争とコソボ問題。代表監督の行方さえ左右する「政治とサッカー」
こ数日、セルビアメディアではコソボ問題が大きく報道されている。
コソボ紛争時の1999年、NATOによる空爆以降のセルビアは世界各国からの制裁を受け、経済的にも大ダメージを負った。その中でロシアは長年、変わらずセルビアの後ろ盾とも言える存在だった。
しかし、コソボに関する政治面のみならず、エネルギー面でも食料供給面でも最も重要な友好国であったロシアの現状は、セルビアを難しい立場に追い込んでいる。
これまでのセルビア政府は、国営放送でも教育現場でも西側諸国を仮想敵国とし、国内の不満をコントロールしてきたことは否めない。
だが今後は「西側からの支援なしにセルビア経済の立て直しはあり得ない」と現政府は考え始めたようだ。EU加盟のためにはコソボ問題の解決が必要不可欠であり、現大統領のアレクサンダル・ヴチッチはコソボを事実上承認する方向に舵を切ったようである。
しかし、20年以上の報道と教育の成果で「西側諸国にコソボを奪われた」と思い込んできたセルビアの一般市民にしてみれば、この突然の方針転換は到底容認できない。
レッドスターのウルトラス「デリイェ」も当然、「コソボはセルビア」という立場を徹底している。今週あたり、リーグ戦でコソボに関する横断幕が出るタイミングである(といってもこのタイプの横断幕は年がら年中出るのだが)。
またサッカー界では、3月14日にセルビアサッカー協会の会長選が控えている。
レッドスターOBの2人が立候補しているが、そこは陰謀渦巻くセルビアサッカー協会。会長選の結果によってはセルビア代表監督を務めているピクシー(ドラガン・ストイコヴィッチ)の立場もどうなるか。
そして、3月下旬には早くもEURO2024予選が始まる。今後の展開に注目したい。
レッドスターのサポーターが「ASローマを挑発した深いワケ」
さて、人工芝グラウンドから隣のマラカナに移動して、レッドスター戦の撮影に。現在の監督はミロシュ・ミロイェヴィッチ、昨年の夏に指揮官となった時は39歳という若さだった。
試合自体は『うんまあ、レッドスター強いですね』という感じで、取り立てて特筆すべき点もないかもしれない。セルビア代表経験もある選手アレクサンダル・カタイの今シーズン12点目を含む3得点でレッドスターの危なげない勝利だった。
しかしリーグ戦のときこそ、レッドスターのゴール裏はにぎやかである。
これがCLやELなどの国際試合となると、最近はお行儀良くコレオなどするようになったが、リーグ戦は未だにやりたい放題。この日はセリエAのローマを派手に挑発していた。当の試合と全く関係がなく、今季対戦してもいないチームをである。
ローマのウルトラス「フェダイン」の横断幕を上下逆さまに掲げ、燃やしている。これはクロアチアの強豪ディナモ・ザグレブに対する強烈なライバル心が絡んでいるらしく、なんにしても広まればかなりの国際問題になりかねないものだ。
20世紀の東欧で栄華を誇ったユーゴスラビアが崩壊して30年。旧ユーゴが「7つの国境、6つの共和国、5つの民族、4つの言語、3つの宗教、2つの文字、1つの国家」と形容されたのは有名な話だが、この多様で複雑な民族事情は、この国に未だ大きな影を落としている。
1990年5月にクロアチアのザグレブで行われたディナモ・ザグレブ対レッドスター・ベオグラードの試合が「旧ユーゴ崩壊のきっかけになった」とも言われるほど、この地域ではサッカーとナショナリズムは切り離せない。
ローマの「フェダイン」は、ディナモのサポータ集団「バッド・ブルー・ボーイズ」からサポートを受けており、それがレッドスターの「デリイェ」には面白くない。
『ディナモの友達はレッドスターの敵』。そういう世界である。
だが、これがこの地域のサッカー文化なのだ。世界中で活躍する大スターたちは、ここから生まれる。
この動画を撮影している間にも、隣の人工芝グラウンドで練習試合が終わったグラフィチャルの選手たちから、「オレの写真をすぐに送ってくれ!」というメッセージがじゃんじゃん届く。いや、私いまマラカナで撮影中だから!
試合の大勢が決まったあと、後半71分から出場したヨヴァン・ミヤトヴィッチ(上写真)。
昨年11月、17歳でELに出場するなど数々の最年少記録を打ち立てている選手である。今シーズン途中までグラフィチャルでプレーしていたので、個人的にもよく知っているが、言動がかなりふてぶてしい(笑)。間違いなく大物になる、と信じたい。
そして、レッドスターはこのあと25日に行われたスーペルリーガ第23節のヤヴォル戦も、アウェイできっちり勝っていた。次節は3月3日、いよいよパルチザンとの「ベオグラードダービー」である。次は世界が注目するこのビッグマッチに潜入しようと思う。