ミシェル・ヨーが映画の「女性アクション」を変えた! 主演作『レディ・ハード』『皇家戦士』が世界に与えた影響【後編】

『皇家戦士』© 2010 Fortune Star Media Limited. All Rights Reserved.

アクションスターになるには、まずアクションを学ばなければならない。出演2作目『七福星』(1985年)撮影当時について、ミシェル・ヨーはこう語っている。

私が最初に乗り越えなければならなかったハードルは当時、男性しかいないボーイズクラブだったスタントマンの世界に受け入れてもらうことでした。私はスタントマンやアクション俳優たちがトレーニングをしているジムに行き、「私はアクションができる俳優になりたいんです。教えてくれませんか?」とお願いしました。

その熱意に打たれ、香港アクション映画を支える錚々たる面々がミシェルの指導にあたった。彼女の指導した方々があまりにゴージャスな面子なので、ここで紹介したい。

まずは「霊幻道士」シリーズの主演で有名なラム・チェンイン。彼は『七福星』の武術指導を担当していた。他にも、後に『X-メン』(2000年)、『トランスポーター』(2002年)、『エクスペンダブルズ』(2010年)のアクション監督を務めたユン・ケイ、さらに台湾軍でテコンドーのインストラクターを務めた経歴のオーナーで、『プロジェクトA』 (1983年)で海賊のボスを演じたことで有名なディック・ウェイなどが指導にあたった。

彼らのもとで1日8時間のトレーニングをしていたミシェルに、主演デビューの話が舞い込む。『レディ・ハード/香港大捜査線』(1985年)である。

80年代香港映画の過剰なサービス精神がスパークした『レディ・ハード』

『レディ・ハード』の製作はサモ・ハン。監督と武術指導はミシェルのアクションの師匠であるユン・ケイ。共同武術指導はユン・ケイ監督のほか、真田広之主演作『龍の忍者』(1982年)のアクションを担当し、香港アカデミー賞の最優秀武術指導賞にノミネートされたマン・ホイ。格闘シーンの相手となる敵役はアクションコーチのディック・ウェイが務めた。

アクション映画の主演デビューを飾るには、最高の布陣である。しかしサモ・ハンは、ドキュメンタリー映画『カンフースタントマン 龍虎武師』(2021年)の中で、当時の自分の作品について「アクションの要求水準が高いので、私の映画の出演を拒否するスタントマンが多い」と語っている。そんな作品でミシェルはアクション映画デビューを飾ることになったのだ。

物語は、同僚たちから「マダム」と呼ばれて超信頼されている香港警察の敏腕刑事ミシェル(ミシェル・ヨー)と、ロンドン警視庁から来た女性捜査官(シンシア・ラスロック)がコンビを組んで、犯罪組織を壊滅させる……というもの。この映画は、そんなシンプルな物語を腰を据えて語るよりも、派手なアクションをパンパンに詰め込んで次々と見せることを優先した結果、登場人物たちの情緒が「医者に診てもらったほうが良いのでは……」と不安になるほどおかしくなってしまっている……という、80年代香港映画らしい過剰なサービス精神がスパークした作品になっている。

常軌を逸したアクションの数々に観客熱狂!

共演のシンシア・ラスロックはアメリカ出身で、13歳から中国武術やテコンドーを修業し、世界中国武術チャンピオンに5年連続で輝いた超エリート。本作の製作会社D&Bは、もともとミシェルの相棒役として“ブルース・リーのようなムードで中国武術が得意な白人男性”を探していた。そしてシンシアが所属するアメリカの武術チームにコンタクトをとる。しかし、そこで彼女の演武を見て、類まれな武術スキルに感動し、相棒役を女性に変更した。その期待に応えるようにシンシアは、すさまじいファイト・シーンを披露する。

そうなると武術を学んだ経験がなく、格闘アクションも未経験のミシェルには相当なプレッシャーがあったと思う。しかし、ミシェルは劇中、格闘技未経験者とは思えないアクションや危険なスタントに挑戦している。

冒頭では現金輸送車を襲撃した強盗集団を相手に、S&W M39とレミントンM31ライアットショットガンを駆使したアクロバティックな銃撃戦を展開。格闘シーンではバレエ仕込みの打点が高い蹴り技や開脚技をバシバシ繰り出すだけでなく、80年代サモ・ハン映画の常連俳優チュン・ファトによる渾身のサイドキックを胸部にもろに受けて後方に吹っ飛ぶ、という身体を張ったアクションにも挑戦。

極めつけはクライマックスの格闘シーンで、バルコニーの縁に両脚かけて後ろ周りに回転し、その勢いのまま後頭部でガラスを破壊しながら敵を攻撃する、という常軌を逸したアクションを披露してくれる。

しかし、ミシェルもシンシアもアクション映画初出演。カメラの前で格闘アクションをしたことがなかった2人は、コツを掴むまで全身アザだらけになっていたという。が、このハードな経験についてミシェルは後に、「最初はコツが掴めず苦労しましたが、私は生まれつきタフなので大丈夫でしたよ」と不気味なほどカジュアルに回想。また、「女性が主人公だから、映画を観るまで観客たちは、私が銃を抜いて“止まらないと撃つぞ!”と言うだけで、アクションはしないと思っていたんです」と振り返っている。

ところが映画が公開されると、命を無駄遣いするような危険なアクションに挑戦するミシェルの活躍を目の当たりにした観客たちは、場内で割れんばかりの拍手をしたという。

さらにクライマックス、ミシェルが男だらけの犯罪組織に女性であることを嘲笑されると、涼し気な表情で「男を産めるのは女だけよ」と啖呵を切り、素手ゴロで悪党たちをボッコボッコにするアクションのカタルシスが評判を呼び映画はヒットした。

共演は真田広之! 日本ロケも敢行した『皇家戦士』

『レディ・ハード』が公開されるまで、80年代の香港のアクション映画は完全に男性に独占されていて、主役は男性で、女性はお飾りでしかなかった。当時『レディ・ハード』を観た女性たちは、私がアクション映画で成功したことを喜びましたが、同時に男性の観客が私のアクションを喜んで受け入れたことに驚いていました。

そうミシェルが語るように、本作の成功によって香港映画界では「Girls with Guns」と呼ばれる女性を主人公にした銃撃戦と格闘アクションが満載の現代アクションがブームとなる。当然、『レディ・ハード』もシリーズ化が決定。続編『皇家戦士』(1986年)は、格闘アクションのメインをシンシア・ラスロックに譲っていた前作とは打って変わり、ミシェルのアクションを前面に押し出した作品となった。

その期待に応えたミシェルは、前作以上に難易度が高いアクションに挑戦。クライマックスでは素手ゴロのミシェルが、チェーンソーで武装したパイ・イン演じる殺し屋と繰り広げる死闘は、完全に常軌を逸した事態になっているので未見の方はぜひ観てほしい。あまりの凄まじさに、この年の香港アカデミー賞の最優秀武術指導賞にノミネートされているから。

ちなみに『皇家戦士』のオープニングは日本ロケを敢行。ミシェルが日本旅行を満喫するシーンでは、80年代バンドブームの頃の原宿の歩行者天国でもロケをしており、演奏するバンドの中には今も活躍するモッズ系バンド、ザ・コレクターズの姿も拝見することができる。

その後、『レディ・ハード』シリーズは全7作が制作されたが、ミシェルは2作目『皇家戦士』を最後に主演を後進に譲っている。というよりも、彼女の主演作の予算が大幅にアップしたのだ。そんなわけで、主演第3作『チャイニーズ・ウォリアーズ』(1987年)は、1930年代のチベットを舞台にしたミシェル版『インディ・ジョーンズ』な物語がアグレッシブに展開される。

当然、格闘アクションは前作以上の難易度になっただけでなく、縄鏢を鮮やかに使って戦ってみせる、という異常なスピードの成長ぶりを披露。しかし、あまりにハードな撮影によって靭帯を切断してしまい、6ヶ月間アクションができなくなってしまう。

ファンたちはミシェルの新たなアクション映画を待った。が、この頃、ミシェルはD&Bの社長ディクソン・プーンと婚約する。そしてスキーと乗馬シーンくらいしかアクションシーンらしいものがない、つまり一回も格闘シーンがない主演作『通天大盗』(原題:1987年)を最後に引退。が、その5年後、ディクソンと別れたミシェルは『ポリス・ストーリー3』(1992年)でカムバックを果たす。

なぜタランティーノは『キル・ビル』にミシェルを出演させなかったのか?

『レディ・ハード』によって誕生した女性アクションのブームはハリウッドにも多大な影響を与え、『マトリックス』(1999年)のキャリー=アン・モスが演じたトリニティや『チャーリーズ・エンジェル』(2000年)、『キル・ビル』(2003年/2004年)を生み出した。それらの作品たちも、後のMCU作品などのアクション・シーンに影響を与え、新たな女性ヒーローを生み出している。

もしも1985年に、格闘技未経験者のミシェル・ヨーがアクションスターを志して『レディ・ハード』に主演していなかったら、現在の映画だけでなく漫画、ゲームに登場する「戦う女性」キャラクターは、今のような進化を遂げず、もっと時代遅れなものだったかもしれない。

映画の女性アクションは、ミシェル・ヨーの登場によって世界レベルで変わったのだ。

……と書いて原稿を締めようと思ったが、ひとつ疑問が浮かびあがった。

『キル・ビル』の監督クエンティン・タランティーノは1995年、『パルプ・フィクション』(1994年)の宣伝で香港を訪れた際、ミシェルと対面しているほどの大ファンだ。しかも、その時のミシェルは主演作『スタントウーマン/夢の破片(かけら)』(1996年)の撮影中、約5.5メートルの高さからダイブするスタントを「余裕でしょ」とトライしたら、着地に失敗して椎骨を損傷してしまい療養中であった。さらに説明させてもらうと、一時は「もうアクション映画に出ることは無理なのでは……」という状態であったが、奇跡的に回復しようとしていた頃だ。

しかし、ミシェルは「アクション映画に出られる身体になったとしても引退しよう」と思っていた。そんな時にタランティーノは、「香港に来たんだから、どーしてもミシェル・ヨーに会いたい!」と強引に面会してきた。当初はタランティーノの圧が強すぎるキャラにうんざり気味だったミシェルだが、彼が自分の主演作のアクション・シーンの素晴らしさを熱いマシンガントークでシャウトするのを聞いているうちに、涙がこぼれ出して、アクション映画での再起を誓ったという。

そして怪我から1か月後、ミシェルは何事もなかったように『スタントウーマン』の現場に戻って来た。

そんな熱い思い出を共有したミシェルを何故、タランティーノは自分のカンフー映画愛を詰め込んだ『キル・ビル』に出演させなかったのか? ミシェルなら主演のユマ・サーマンの強敵を演じることができたはずなのに……。

実は、この疑問はミシェル自身も抱いていたという。後にタランティーノと再会した彼女は、この件を直球で質問。タランティーノはこう答えた。

「いくら映画といえども、ユマ・サーマンがミシェル・ヨーに勝つなんて、誰も信じてくれないですよ!」

お見事。

文:ギンティ小林

『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』は2023年3月3日(金)よりTOHOシネマズ 日比谷ほか全国ロードショー

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