明治末期の「関東大水害」の実相は 利根川や荒川の堤防決壊 都内で研究報告、足立区の現場も見学

「感旧碑」を訪ね、碑文を確かめる研究者ら=4日午後、東京都足立区

 明治末期に利根川や荒川の堤防が決壊した「関東大水害」の実相に迫ろうと、歴史の専門家らが多角的な研究を重ねている。十数年後に発生した関東大震災の対応に影響を与えるなど、首都圏の災害史において大きな出来事だったが、これまではあまり光が当てられてこなかった。4日には東京都内で研究成果の一端を報告。水害の記憶が残る足立区の現場を訪ね、当時の人々の思いを共有した。

研究を進めるのは、今年9月に迎える関東大震災100年を見据えて発足した首都圏災害史研究会。代表の土田宏成・聖心女子大教授は「関東大水害について網羅的な研究は行われておらず、いわば『忘れられた水害』。関東大震災にどのようにつながっていったのかなどをさらに研究していく必要がある」と述べた。

 1910(明治43)年に起きた関東大水害では、停滞する梅雨前線と二つの台風がもたらした大雨により東京や埼玉などの広範囲が浸水。東京の下町を守るため、荒川放水路が開削される契機となったが、完成に近づいた23(大正12)年に関東大震災が発生し、堤防に亀裂が入るなど大きな被害が出た。

© 株式会社神奈川新聞社