身元を病院にしか明かさない「内密出産」から聞こえる、孤立した妊婦のSOS 導入1年で9人が利用、でも課題は山積み

慈恵病院の新生児室=2022年12月、熊本市

 予期せぬ妊娠に直面し、相談する相手もいないまま追い詰められた女性たちが、1人で出産してしまう「孤立出産」が後を絶たない。「誰にも知られたくない」と悩み、貧困や虐待など、さまざま困難を抱えているケースが少なくない。孤立出産は母子ともに生命の危険にさらされる可能性が高い。出産後、子どもを遺棄して警察に逮捕されてしまうケースもある。こうした状況を踏まえ、熊本市の慈恵病院は病院以外に身元を明かさずに出産できる独自の「内密出産制度」を導入。2021年12月に10代女性が初めて制度を利用して出産してから1年が過ぎ、これまでに9人が利用したが、課題も多い。生まれた子どもをどう養育していくのか、子どもたちの出自を知る権利をどう保障するのか。女性たちのSOSを受け止め、寄り添い続ける病院や支援者らを追った。(共同通信=石原聡美、中村栞菜)

熊本市の慈恵病院=2022年9月

 ▽新幹線の中で陣痛が始まる
 2022年7月、臨月に入った東日本の女性から慈恵病院に電話があった。「内密出産のことを知りたいです」。女性は当初「2~3日交通費を稼いでから行きます」と話していたが、病院の担当者に促されて新幹線に乗った。
 陣痛が始まったのは新幹線の中。メールで連絡を取っていた蓮田真琴新生児相談室長が「途中で降りて救急車を呼びませんか」と呼びかけたが、女性は「我慢します」と応じない。女性は家族に知られることを恐れていた。
 なんとか熊本駅にたどり着いた女性を、駆け付けた蓮田室長が保護。車の中で「痛い」と叫んで体をよじる女性に「もう大丈夫だからね」と声をかけ続けた。病院に到着後1時間ほどで出産。ただ、立ち会った助産師は不安だった。女性がこれまで妊婦健診を受けておらず、妊娠週数や胎児の健康状態が分からなかったためだ。

慈恵病院の新生児室=2022年12月、熊本市

  ▽スマホで検索「お金がない」
 東日本に住む10代の陽子さん(仮名)も以前に内密出産を検討し、慈恵病院に電話したことがある。貧困に直面し、相談相手もいなかった当時の苦しみや、相談後の心境の変化を語った。
 妊娠したが、相手の男性とは既に別れていた。親との関係は悪く、「頼れば怒られる」と恐怖心が先に立った。相談する相手はおらず、無職で通院する交通費すらない状態。「誰にも知られずに出産したい」「でも自宅で産むのは怖い」。不安だけが積み重なっていく中で、スマートフォンの検索画面に「妊娠 お金がない」と打ち込んだ。ほかにもさまざまな言葉を入れて検索。すると、内密出産に関するページがでてきた。制度の説明はよく分からなかったが、「内密」という言葉にひかれ、慈恵病院に電話した。
 電話に出た病院の担当者は「出産時期が近く、熊本への移動は危険だ」と言われ、内密出産は選択せずに名前と住所を明かした。最終的に、慈恵病院から連絡を受けた養子縁組団体が別の病院へ連れて行ってくれ、入院まで手続きしてくれた。
 安全な環境に身を置き、初めておなかの子の未来を考えた。「切羽詰まって、自分のことばかり考えていた」「誰にも相談しなかったら、この子は死んだかもしれない」。無事出産した子は、特別養子縁組として別の夫婦に託すことを選んだ。親にも、現在の交際相手にも正直に伝えることができた。
 「次はしっかり準備をして、自分で育てます」。そう言った陽子さんのスマホには1枚の写真が残っている。赤ちゃんを抱きかかえた自身の姿が写っていた。

慈恵病院の新生児室で抱かれる赤ちゃん=2022年12月、熊本市

 ▽社会の議論が追いつかない
 現状で内密出産を実施しているのは、国内では慈恵病院だけだ。養育環境の整備や出自を知る権利の保障など、生まれた子どもを巡る課題は多く、社会の議論が追いついていない。
 国は2022年9月、現行法に基づいて整理した内密出産の指針を公表した。指針によると、内密出産で生まれた子どもを「要保護児童」とし、永続的な支援の観点から、戸籍上も親子となる特別養子縁組を活用するよう求めている。ただ、簡単ではない。特別養子縁組は家庭裁判所での審判を経て成立するが、実父母の同意が原則必要のためだ。母親が身元を明かさない内密出産では、養子縁組に同意しているという確認を取るのは難しい。
 指針はこの点について「成立は最終的には司法判断」と前置きしつつ、「父母が意思表示できない状態」であれば認められる可能性に言及した。
 慈恵病院で内密出産制度を利用して生まれた1例目の子は、生後約半年で特別養子縁組を前提とした里親委託が決まった。2例目以降の子の処遇は明らかにされていない。
 指針について、子どもの人権問題に詳しい国宗直子弁護士は「国は子どもの権利保障の立場に立っていない」と批判。早期の法整備が必要と訴えている。

内密出産8例目について記者会見する慈恵病院の蓮田健院長=1月、熊本市

 ▽本当に彼女たちを救うのか
 関西大の山縣文治教授(児童福祉)は、孤立出産が避けられる点で内密出産の意義を認めるものの、乗り越えるべき課題は多いと指摘する。「病院が管理する母親の身元情報は公的なものとして扱えるか。内密出産で生まれたことを子どもにどう伝えるのか。今後も議論が求められる」
 内密出産では女性の身元を把握するの病院だけで、行政などによる継続的な支援につながりにくい。そうすると、女性が孤立したもともとの原因である貧困やドメスティックバイオレンス(DV)といった根本的な問題が解決しないままになるという懸念が残る。
 

「こうのとりのゆりかご」のシンポジウムで話す「あんしん母と子の産婦人科連絡協議会」の鮫島浩二理事長=2月4日、熊本市

 2月4日、熊本市であるシンポジウムが開かれた。内密出産と、慈恵病院が以前から運営し、親が育てられない乳幼児を匿名でも預かる「こうのとりのゆりかご(赤ちゃんポスト)」に関して意見が交わされた。
 講演した蓮田院長は「ゆりかごも内密出産も仕組みの改良は必要だが、赤ちゃんの命を奪ってしまう事態の防止に役立てたい」と理解を求めた。一方で、「あんしん母と子の産婦人科連絡協議会」の理事長を務める産婦人科の鮫島浩二医師は、内密出産では女性へのソーシャルワークがなされないと指摘。こう疑問を呈した。「支援の手が届かない。出産後、ボロボロの体で元の環境に戻るのか。(内密出産は)本当に彼女たちを救うのか」

熊本大のトビアス・バウアー准教授

 ▽妊婦に寄り添うドイツの「妊娠葛藤相談所」
 海外には、内密出産を制度化している国がある。
 2014年に法制化したドイツには「妊娠葛藤相談所」が約1600カ所もあり、アクセスがしやすい。慈恵病院のある熊本市でも、相談センター設置を模索している。
 ドイツ出身のトビアス・バウアー熊本大准教授(生命倫理)によると、ドイツでは2022年9月末までに1011人が内密出産の制度を利用。制度化と同時に相談体制が拡充され、24時間の無料電話相談も行っている。
 相談所の多くが民間で運営され「相談のハードルが低いのが特徴」と説明。経済的困窮など、妊婦が抱える根本的な課題に対応するため、相談員の専門性も高いという。
 母親の情報は行政が管理。子どもは16歳になれば母親の情報の開示を求めることができる。30年が最初の開示時期となるが、親の情報を知った子どもの気持ちに寄り添うカウンセリングも必要だという声があるという。
 困難を抱える妊婦らを支えるには、気持ちに寄り添い、医療や行政などさまざまな関係機関が連携し、自立をサポートする仕組み作りが重要と言える。

全国妊娠SOSネットワーク代表理事の佐藤拓代医師(本人提供)

 ▽「0日児死亡例173人、もっと多い可能性も」
 最後に、予期せぬ妊娠に関する各地の相談機関をホームページ上で紹介している「全国妊娠SOSOネットワーク」の代表理事、佐藤拓代医師に聞いた。
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 国の調査によると、子どもが生まれたその日に虐待で亡くなる「0日児事例」は2021年3月末までの18年間に173人で、母親が医療機関で出産した事例はなかった。表面化していないケースを想定すると、もっと多い可能性がある。
 孤立出産は母子ともに命の危険があるが、諸外国を見ても、一つの方法だけでは解決できない。内密出産制度や赤ちゃんポストなど、さまざまな「セーフティーネット」があることは望ましい。内密出産の実施には、専門性が高い相談員が妊婦の悩みを引き出し、子どもの権利などについてきちんと情報提供を行うことが大切になる。
 孤立する妊婦の悩みは大きく分けて二つある。一つは「お金がない」。欧州では、初診から出産まで無料が潮流となりつつあるが、日本は後れ、病院での診断後にようやく行政で母子健康手帳と妊婦健診の補助券がもらえる仕組みだ。お金がないと初診が大きなハードルとなる上、出産費用は出産育児一時金でカバーできないほど高額化している。国は妊娠・出産費用の無償化を急ぐべきだ。
 もう一つの悩みは「周囲に妊娠を知られたくない」。2011年に大阪府が開設した相談窓口「にんしんSOS」の運営に携わった。若年妊娠、DVなどさまざまな事情があったが、行政側が当事者の切実さを受け止めきれなかったのも事実だ。
 経験を踏まえ、2015年に「全国妊娠SOSネットワーク」を設立し、各地の相談窓口の立ち上げ支援や、行政も交えた相談員の研修をしている。
 大事なのは、当事者が「親身になってくれている」と感じられること。長期的な支援につなげるため、状況を聞き出し、自身での養育も含め幅広い選択肢を示すことだ。
 近年は、妊娠期からの支援に光が当たりつつあるが、十分とは言えない。誰もが妊娠・出産で悩むことのない社会を目指さねばならない。
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 さとう・たくよ 1951年、岩手県生まれ。全国妊娠S0Sネットワーク代表理事。

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