U2の“ロックの殿堂入り”祝福スピーチ:キャリアの中で記憶に残る3つのシャッター・チャンス

Rock & Roll Hall of Fame YouTube / Bruce Springsteen Inducts U2 at 2005 Rock & Roll Hall of Fame Induction Ceremony

2023年3月17日にリリースされるU2のニュー・アルバム『Songs Of Surrender』は、彼らの40年を超えるキャリアを通して発表してきた最も重要な40曲を、過去2年間に行われたセッションで2023年版として新たな解釈で新録音したアルバム。

このアルバムの発売を記念して、2005年にU2がロックの殿堂(Rock and Roll Hall of Fame)入りを果たした際の受賞スピーチ全文を掲載。

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ボノによる感謝の言葉

ボノ:(紹介スピーチをしたブルース・スプリングスティーンに対して)「Born In The U.S.A. /アメリカで生まれた」なんて大嘘さ。あの男はダブリンの北部で生まれたんだ。アイルランド人だよ。母親もアイルランド人さ。彼の書く詩といい、口達者なところといい、明らかだろう?ただ、アイルランド人にしては背が高いと思うけどね。

アイルランド色の強い一夜になったね。パーシー・スレッジ、オージェイズ、みんなアイルランド西部の出さ。なんだかアイルランドの結婚式みたいだね。ロックの殿堂は、アイルランドの結婚式みたいだよ。綺麗な女性たちがいて、綺麗なドレスを着ていて、トイレではマネージャーとクライアントがケンカをしていて、弁護士は鼻血を流していて…。それがアイルランドの結婚式だ。最高のイベントだよ。

そういう場が荒れても私は好きなんだ。いままで、かなり場が荒れるのを見てきたよ。そして、それこそロックンロールの醍醐味だと思う。復讐をサウンドで表現するのさ。だから、敵はできるだけ魅力的な方がいいんだ。いいかい、みんな。でも、今夜だけは違う。いま私の、私たちの目の前には、敵なんて一人もいない。友人たちがいるだけだ。この国は俺たちのことをすっかり受け入れてくれた(会場に拍手が起こる)。素晴らしいことだよ。

さっき功労賞を受賞していたフランク・バルセローナ、彼は親しい友人なんだ。それとクリス・ブラックウェルは、私たちを育ててくれた最高の男だ。2ndアルバムはただでさえ難しいといわれているのに、神をテーマにした2ndアルバムなんて想像できるかい? 俺たちみんなが頭を抱えているときに、クリス・ブラックウェルがこう言うんだ。「大丈夫だよ。ボブ・マーリーだって、マーヴィン・ゲイだって、ボブ・ディランだって、みんな同じ道を通ってきた。きっと乗り越えられるよ」とね。さっきフランク・バルセローナが言っていた、“長期的な視点”の話が心に残っているんだ。だって、フランク・バルセローナ、バーバラ・スカイデル、クリス・ブラックウェルのような人たちの長期的な視点がなければ、あの2ndアルバム以降のU2は存在しなかった。「Sunday Bloody Sunday」も「Unforgettable Fire」も「One」も「Where The Streets Have No Name」も「With Or Without You」も、生まれていなかったんだ。

今夜はそのことを知って帰ってもらいたい。音楽業界には、自らを見つめ直して、厳しく自問自答して欲しいと思っている。なぜなら、いまのままではU2のようなグループはもう生まれないからだ。それは揺るぎない事実だ。でも、この場には友人たちしかいない。例えばローリング・ストーン誌は俺たちを表紙に使ってくれる。本当にありがとう。MTVやVH1はいまでも俺たちのビデオを流してくれる。カレッジ・ラジオも私たちを信じ続けてくれて、私たちに自信をくれる。ロックの殿堂入りを果たすには最高の環境だよ。1stアルバムを完成させた瞬間のような気分だ。すごく特別な、素晴らしい気分さ。

目の前を見渡すと、友人たちや長年に亘って一緒に仕事をしてきた人たちがいる。いつもは、感謝したい人の名前を読み上げるような大げさなスピーチはやらないんだ。冗長だし、これまで守ってきた習慣をわざわざ破る必要もないからさ。それに、この場には感謝したい人が多すぎる。だけど、俺たちをサポートしてくれる素敵な女性たちに感謝を伝えたい。感謝したいと思わせてくれるからね。美しくて素敵なプリンシプル・マネジメントの女性たちのことだ。

エレン・ダースト、どうもありがとう。シーラ・ローチ、どうもありがとう。アン・ルイーズ・ケリー、どうもありがとう。ケリン・キャプラン、どうもありがとう。レジーン・モイレット、どうもありがとう。美しくて、セクシーで、アイルランド的でもあり、アメリカ的でもある、そんな女性たちだ。感謝するよ。

ボディガードもたくさん来てくれている。だけどジミーとダグが何よりのボディーガードだね。ジミー・アイオヴィンとダグ・モリスの二人はクリス・ブラックウェルのやり方を守って、俺たちのやりたいようにやらせてくれた。そんな彼らにも心から感謝したい。あとは何だったっけ…。でも最強のボディガードは、俺たちのマネージャーのポール・マッギネスだ。あそこに座っているね。俺たちが“SLAVE/奴隷”と顔に書かずに済んだのは彼のおかげさ(訳注:プリンスが、当時レコード契約を結んでいたワーナー・ブラザーズへの抗議のため、“SLAVE”と顔に書いてステージに立ったのを踏まえての発言と思われる)。本当にありがとう。

3つのシャッター・チャンスの瞬間

もう少し話させてくれ。これまで25年以上のキャリアで特に記憶に残っているシャッター・チャンスの瞬間を三つ、みんなに共有しておきたい。一つめは1976年、ラリー・マレン宅のキッチンでのことだ。広さはだいたい、彼がいま使っているドラム・セットの台座くらいさ。そこには鮮やかな赤の ―― 厳密には緋色の ―― 日本製ドラム・セットがあって、彼はキッチンに置いたそのドラムの前に座っていた。彼が演奏を始めると ―― さっきブルースが話していたように ―― 大地が揺れ、空が真っ二つに裂けた。そして、それはいまも変わらないままだ。いまはその理由がわかる。ラリー・マレンは嘘がつけない男だからだ。残酷なほどの彼の正直さは、このバンドになくてはならないものなんだ。

二つめのシャッター・チャンスは1982年のこと。場所はニュー・ヘイヴンだったと思う。当時は活動があまりうまく行っていなかった。ステージでは、パンク・バンドがバッハを演奏しようとしていた。そのとき、バンド内でケンカが起こった。まるで収拾がつかないほど酷いケンカだ。この天才ギタリストといえば ―― 禅宗の師範のような佇まいのジ・エッジといえば ―― 氷のように冷たいあの音色が思い浮かぶだろう。つい忘れがちだが、あんな風にギターを弾けるのは怒りを内に秘めているからだ。実際、俺はその晩、そのことをすっかり忘れていて、彼に鼻を折られそうになった。その夜、私はすごく大切なことを学んだよ。咄嗟の手さばきが求められる仕事を生業にしている人にケンカを売っちゃいけないとね。ジ・エッジという男は、本当に危険だよ。

三つめは1987年、アメリカ南部のどこかでのことだ。私たちはそれまで、キング牧師の誕生日を国民の祝日にすべく運動を起こしていた。だがアリゾナでは、それに反対する人たちがいた。私たちはキング牧師を支持する運動を熱心に進めていたけど、中にはそれを気に入らない人がいた。猛烈に腹を立てて、私たちを殺そうとする人までいたんだ。そういう人たちにはFBIも目を光らせていて、私はこう言われた。命の危険があるからライヴは中止した方がいい、ステージに立つべきじゃない、とね。私はその警告を一笑に付した。当然、ライヴもやったよ。当然、私たちはステージに立った。

そして私は「Pride (In The Name Of Love)」の3番目のヴァースを歌いながら、目を閉じた。神様に会ってみたいけど、今夜はやめてくれ、と思った。その夜だけは、どうしても神様に会いたくなかったんだ。閉じた目を開けて顔を上げると、私の前にはアダム・クレイトンが立っていた。アダム・クレイトンにしかできない持ち方でベースを抱えて、そこに立っていたんだ。この会場にいる人たちも私を銃弾から守ると言ってくれたけど、私に銃弾が飛んできたら、きっとアダム・クレイトンが受け止めてくれただろう。きっと、真に偉大なロック・バンドというのはそういうものなんだ。

(ボノがジ・エッジに演台を譲る…)

ボノ:彼はブラック・ベリーを買ったんだよ(ジ・エッジはブラック・ベリーの携帯端末に原稿をメモしていた)

ジ・エッジによるコメント

ジ・エッジ:いまや俺は、U2のテクノロジー担当になったんだ。単にプリンターを修理できるというだけだけど、メンバーには言わないでおこう。

U2がこの25年間で何より避けようとしてきたのは、まるでクソなバンドに成り下がってしまうことだ。だがその次に、典型的で、意外性がなくて、凡庸なバンドになることを懸命に避けてきた。なぜなら、ありがちな表現を使わないようにするのはすごく難しいからだ。ほかのグループにありがちなものはもちろん、自分たちの表現をパターン化しないようにするのは至難の業なんだ。自分たち自身のパロディにならないように、新鮮な音楽を作り続けて行くのは難しい。『スパイナル・タップ』という映画を観たことがある人なら、俺たちの仕事をパロディで揶揄するのがどれだけ簡単かわかってもらえるだろう。初めてあの映画を観たとき、俺は笑えなかった。涙を流してしまったんだ。泣いたのは、多くのシーンに心当たりがあったからさ。この会場には、その気持ちをわかってくれる人がいると思う。

自分たち自身や、自分たちの音楽について真面目に捉えすぎているのがいけないんだ。俺たちにも、ホテルのロビーであたかも重要人物みたいに過ごしてしまったことがあったよ(訳注:『スパイナル・タップ』の一場面を踏まえての発言と思われる)。ついついありがちな表現をしてしまうのに俺たちがこうしてこの場にいるのは、優れたロックンロールが本当に素晴らしいものだからだ。それは人の、人びとの人生を変えてくれる。今夜ここにいる人たちがその証拠だ。オージェイズ、パーシー・スレッジ、ボ・ディドリー、エリック・クラプトン、B.B.キング、バディ・ガイ、プリテンダーズ…。本当に素晴らしいよね。魔法みたいなものだ。

その仕組みを分析しようとする人もいる。好きに研究するのはいいけど、それだけで良いものが作れるわけじゃない。そんな簡単なものじゃないんだ。U2に限っていえば俺は、“どうすれば”、そして何より“いつ”、俺たちにとって最高の瞬間がやってくるのか紐解こうとするのは諦めた。だけど俺たちが目を開いて、集中を切らさずにいられるのはそのおかげだと思う。結局のところ、それは魔法みたいなものなんだ。だから、それが起きるまで待っているしかない。そういうときは誰にだってあると思う。ベケットの戯曲の登場人物とか、『スパイナル・タップ』のロビーでのシーンみたいに、魔法が起きるのを待つしかないんだ。俺たちにも、これまでしょっちゅうそんなことがあった。つまり…ボノ、アダム、ラリー、ポールと、そんな瞬間が訪れるのをしょっちゅう待っていたんだ。

そんなとき、俺たちには素晴らしいプロデューサーたちがついていてくれた。ブライアン・イーノ、スティーヴ・リリーホワイト、ダニエル・ラノワ、ジミー・アイオヴィン、ネリー・フーパー、それに優れたエンジニアたち。さっきボノの話にも出ていたプリンシプル・マネジメントのみんな。それからフラッド(訳注:プロデューサーの名前を挙げる中で名前が出なかったため、ボノが後ろからフラッドの名前を呟いて助太刀した様子)。

ライヴのステージを作ってくれているウィリー・ウィリアムスとチームのみんな。最高のツアー・スタッフたち。ジョー・オハーリヒー、バッキー、ジェイク、ダラス、この会場にはいないフレイザー、スチュワート。この素晴らしい人たちの支えがなければ、25年も活動を続けて来られなかった。この会場の半分くらいは、俺たちと活動をともにしてきてくれた人たちかもしれないね。そして、辛抱強くいてくれる家族にも感謝したい。色んなことを教えてくれた母と父にも。だけど一番はバンド・メンバーに感謝したい。こんな夜を迎えさせてくれて、そして何より、いつも俺と一緒に魔法が起きるのを待っていてくれて、ありがとう。

ラリーとアダムのコメント

ラリー:俺は短く済ませるって約束するよ。こんな栄誉を与えてくれてありがとう。心から嬉しく思うし、すごく特別なものだ。俺たちはどこかで、殿堂入りを待つ列に横入りしたり、順番を抜かしたりしてきたような気がしている。セックス・ピストルズ、トム・ヴァーレインとテレヴィジョン、ロキシー・ミュージック、パティ・スミスといった人たちがいなければ、俺たちはダブリンにあった俺の家のキッチンで終わっていたはずなんだ。いま挙げたアーティストたちはみんな、俺たちにとってのロックの殿堂に入っている。どうもありがとう。

アダム:ベーシストがマイクに向かうよ。何を話せばいい?ベースレスな気分だ(訳注:baseless [=よりどころがない] と、base less [=ベースを持っていない] を掛けた一言)。昨日は、俺の45歳の誕生日だった。ロックの殿堂に入るには良い年齢だと思う。そうすると、俺たちは25年前に最初のレコードを出したことになる。もっといえば、俺たちは29年前に出会ってバンドを結成したことになる。初めてベースを買ったのは30年前のことで、そのときは単に4本しか弦がないだけのギターだと思っていた。ベースが何なのかすら知らなかったんだ。ジェームス・ジェマーソンも、 (ドナルド・) ダック・ダンも、ジャック・ブルースも、ジョン・エントウィッスルも、ブーツィー・コリンズも、誰一人知らなかった。世界に挑むための“武器と盾”がほしいだけだったんだ。

ラリーの家のキッチンにみんなで集まったときには、アメリカン・ミュージックの偉大な伝統についても俺たちは知らなかった。ブルースも、ソウルも、R&Bも、カントリーも知らなかったけど、みんなで集まって騒がしい音を出せば、世界を変えられる可能性があることだけは知っていた。このパンク精神に俺は救われたんだ。俺たちにはライヴに出させてくれたり、デモを作るお金を払ってくれたりする人が必要だった。そこでポール・マッギネスに出会い、マネージャーになってもらった。

すると次はレコード契約が必要になる。色んな人に断られたあと、ニック・スチュワートがアイランド・レコードと契約しないかと声をかけてくれた。そこからアイランドとの長い付き合いが始まったんだ。その月日の中で、多くの人が俺たちの進化や成長を後押ししてくれた。ロブ・パートリッジや、もちろんクリス・ブラックウェルもね。スティーヴ・リリーホワイトとは3作のアルバムを作り、アメリカに渡ってくるとフランク・バルセローナとバーバラ・スカイデルがアメリカでのエージェントになってくれた。二人は俺たちをプロモーターの業界に紹介してくれた。エレン・ダーストとケリン・キャプランは俺たちのアメリカでの事務所を運営しながら、ラジオやプロモーションの仕組みについて教えてくれた。

こうして音楽業界のことを学びながら、俺たちはアメリカン・ミュージックや、この殿堂に入っているようなアーティストのことも学んでいった。ジョン・リー・フッカー、B.B.キング、ハンク・ウィリアムズ、レイ・チャールズ、ジョニー・キャッシュ、ボブ・ディランといったアーティストだ。いまや俺たちの世代が殿堂入りをするようになって、俺たち自身も25年前は知らなかった人たちの仲間に入るときが来た。25年後には、ヒップホップやポップのアーティストがこの会場にたくさんいることを願うよ。そして彼ら自身も喜んで、幅広い才能を認めるこの殿堂の一員になる日が来るといいんじゃないかな。

俺たちが今夜ここにいるのは多くの人たちのおかげだ。ここではそのうちの何人かに俺から感謝を伝えたい。ポール・マッギネス、キャシー・ギルフィラン、アン・ルイーズ・ケリー、エレン・ダースト、シーラ・ローチ、ケリン・キャプラン、レジーン・モイレット、バーバラ・ガルヴィン、スーザン・ハンター、トレヴァー・ボウエン、ギャヴィン・フライデー、クリス・ブラックウェル、アントン・コービン、スティーヴ・リリーホワイト、ダニエル・ラノワ、ブライアン・イーノ、ジミー・アイオヴィン、ダグ・モリス、アーサー・フォーゲル、マイケル・コール、デニー・シーハン、ジョー・オハーリヒー、ウィリー・ウィリアムス、シャロン・ブランクソン、ダラス、サミー、スチュワート、テリー。

でも最後に、今夜ここにいることと、いまの俺があることを何より感謝しなきゃいけないのは、アリー、アン、モーリー、スージー、ラリー、エッジ、ボノだ。それから温かいスピーチをしてくれたブルースにも心から感謝したい。俺もバンド・メンバー全員の名前を覚えられてよかったよ。

ボノ:今日は35曲くらいやろうと思う。長くはならないよ(編註:式典ではスピーチの後に数曲披露する習わし)。

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U2『Songs Of Surrender』
2023年3月17日発売

© ユニバーサル ミュージック合同会社