12年。今年はあのとき生まれた子たちが小学校を卒業する年
──今月も11日は東北に?
石井:はい! 行きました。福島に。
──泊まりですか?
石井:いえ、日帰りです。いつも車で朝早く向かって夜中に帰ってきます。
──「泊まっていけ」って言われるでしょう?(笑)
石井:言われます。「ごはん食べてお風呂入って泊まってけ」って(笑)。
──ひと言では言えないと思いますが、東北に毎月通っていて変化を感じますか?
石井:感じます。顕著なのは子どもたちの成長ですね。急に背が伸びてたり、声変わりしていたり。親戚のおばちゃんみたいな気持ちです(笑)。
──あ、そういう意味で、この『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』の最後のほうに出てくる中学生たち、びっくりしました。もちろん私は会ったことないんだけど、大きくなったねー! って思ったりした(笑)。
石井:私もびっくりしました。こんなに大きくなったー! って。毎月通っていてもびっくりします(笑)。震災当時は2歳か3歳だった子どもたちがこんなに大きくなってるんですよね。
──通い続けて、見続けているから写せる写真ばかりですよね。麻木さんだから写せる写心。
石井:そう感じていただけて嬉しいです。実際、当時8歳とか9歳だった子が成人式を迎えて、成人する姿を見ることができてとても感慨深かったです。今年はあのとき生まれた子が小学校を卒業する年なんです。12年。小学校卒業の年齢なら命や死というものも理解でき始める年ですし、そういう子たちにわかりやすいように、そして震災を経験していない方たちや、もっと年下の震災を知らない子どもたちにも向けて。『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』はそういう気持ちも込めています。
──写真絵本を出そうと思ったのは、成長していく子どもたちを見て?
石井:そうですね。最初のきっかけは去年の3月に出版社(世界文化社)の編集者の方にお話をいただいて。その方と一年間かけて、二人三脚で作りました。その編集者さんは写真展『3.11からの手紙/音の声』を毎年何度も見に来てくださっていて。2021年に小学校の校舎全体を会場にしたときなど、とても感銘を受けてくださっていて。
──旧杉並区立杉並第四小学校が会場で、凄く良かったですよね! 会場と調和していて。
石井:そうなんですよ! 校庭でサッカーをしている声が聞こえて、その子どもたちの声や笑い声も会場の校舎に響いてきて。編集者さんもとても良かったと言ってくださって。絵本を作っていく上で、そのイメージもあったんです。
──日常とつながってるっていう?
石井:そうです。
──震災に遭っていない私たちの日常ともつながっているし……。
石井:そして震災に遭われた方たちも、もちろん日常は続いているんですよね。
──そうですね。麻木さんの写真からとても伝わります。
石井:あと今年出版したいと思ったのは、今年は13回忌という大事な年なんです。風化してきてしまっているというのも事実なので、この年に出せたらと。自分ができる範囲で伝えていきたいという想いで、12年分を、今の自分が自分として表現できる形で、想いや願いを全て詰め込んで作らせていただきました。
──「写真絵本」という表現のスタイルがとても素敵です。以前、2014年と2017年に写真本『3.11からの手紙/音の声』を出しましたが、ドキュメンタリーという感じの写真本でしたよね。『3.11からの手紙/音の声』と『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』、同じ写真、同じ言葉もあるけど見え方は違いますね。
石井:はい。同じでも違うんですよね。伝え方、表現の仕方で変わってくる。2017年に出した『3.11からの手紙/音の声』は6年分をまとめたもので、今回の『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』は12年分っていう月日の違いもあるんですけど、絵本っていう媒体は初めてでした。写真もことばも自分で。最初に出したものもそうなんですけど、やっぱり2冊の表現の仕方は違っていて、なんていうか今回はもうちょっとこう……、短い言葉と大きめの写真で、子どもたちにもわかりやすく届けたいって。震災を知らない世代の子どもたちへ届けたい、繋げていかなきゃっていう気持ちはずっとあったので、写真絵本という表現に行き着きました。
──『3.11からの手紙/音の声』は感情が溢れ出ていると感じました。写真の日付も書いてあって、その生々しさであったり。
石井:確かにそうですね。今回の『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』は敢えて日にちと場所を外したんです。作りたかったのは教科書じゃなくて報道の本でもなくて、写真絵本だったので。絵本ってやっぱり想像力が一番大事だと思って。説明し過ぎず、余白を残しつつ、ちゃんと自分の言葉と写真で事実を伝えながらもできるだけやわらかく伝えたいと思いました。
──『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』は、削って削って、でも大きく大きく見せる。
石井:そうですね。一番難しいやり方に敢えて挑戦しました。
──ドキュメンタリー的な『3.11からの手紙/音の声』は言ってしまえば逆で。たくさんの写真と具体的な言葉で、ワーッてあるものをギュッと凝縮して見せる。
石井:ワーッとしてギュッと(笑)。そうですね、本当にそうです。両方とも、広く見れば同じことを伝えてるんですけど、でも表現の仕方次第でこんなにも違うんだと。私にとってはどちらも大事です。
子どもたちの笑顔が何よりの光、存在そのものが大きな光
──『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』のあとがきに「かなしみからもよろこびからも眼をそらさずに向き合うことでした。」とあります。悲しみと喜びを、どこに意識を置いて表現しようと思いました?
石井:そこを一番意識しました。人間、誰しも光と影を持っていると思うんですけど、どちらもあってその人じゃないですか。光がないと影は生まれないし、影があるということはそこには必ず光がある。どちらか欠けたらどちらもなくなる。東北の日常も、決して苦しいや哀しいだけじゃない。日々の中には喜びも楽しいことも嬉しいこともあって。片方だけ伝えるのは偏ってしまうと思うから、両面から伝えたいと思っていました。この絵本も最初のほうは苦しいページが続くのですが、どんなに苦しくても、そこをまるまる外すのは違うと思って。たとえ絵本であっても楽しいだけじゃなく。何度も写真を入れ替えながら、何度も涙しながら苦しい写真も選びました。そして後半にどんどん光を感じる写真が増えていくんです。実際の時系列の流れになっているのですが、希望や未来につながっていく様子を一冊に表せたらと。もちろん今も苦しんでいる方、悲しみが癒えない方、たくさんいらっしゃる……。でも、悲しみや苦しみがあるけれど、あった上で笑顔もある。笑顔があるんですよ。子どもたちの笑顔にも特別の力があって。何よりもの光で。存在そのものが大きな光なんです。
──どのページも本当にひきこまれるんですが、私、ここのページが凄いなと思って。このご夫婦の笑顔。
石井:わぁ、嬉しいです。
──震災以降、麻木さんが初めて人を写された写真ですよね。ご夫婦の笑顔の凄さ、素晴らしさ。麻木さんは泣いている人は写さないんですよね?
石井:涙は写せないんです…。
──今回も人々は笑顔で。このページもお二人の笑顔の写真で、そして片側のページは地震と津波で変わり果てた景色を写してる。
石井:はい。実際の光景そのままです。
──暮らしていた街が変わり果ててもこの笑顔っていうのが…。この笑顔がどういう状況での笑顔かっていう。想像を喚起させられる。隣のページが違う写真だったら、優しい写真だったら…。
石井:伝わり方も違いますよね。
──ですよね。もうね、この変わり果てた景色、そして笑顔。両方があるから、なんていうか、好きです。凄いページだと思います。
石井:ありがとうございます。実際にそうだったんです。そういう中での笑顔だったので……。何度も何度も写真を入れ替えたり。編集者さんとやりとりしながら。隣のページをお花の写真や光の写真や子どもが笑ってる写真にするのも一つの見せ方ではあると思うんですけど、やっぱり現実を、本当を伝えたかったので。脚色も美化もしたくなくて。本当の状況と、その中で、このお二人がカメラに向けてくださった笑顔は、私にとってとても大きな出来事だったので。どうしてこんなにも柔らかく微笑むことができるのだろうって、凄く衝撃と、慈しみ……。この日、発災からちょうど1カ月後で、4月11日だったんです。お二人は車の中で過ごされていました。「家もアルバムも全て失くなってしまったけど新しい一歩を踏み出したい、その最初の写真を写してほしい」って。私自身があのとき、もの凄い感情が溢れてきて、どうしてもそれを、そのままのこしたいって気持ちがあって。
──うんうん。もちろんお二人も、きっと誰しも、夜になったら泣いているかもしれない。ずっと笑顔でいるわけではない。
石井:そう思います。
──そういうことを震災の過酷な景色から想像させられるし。だからこその笑顔なんだなって。
石井:伝わってくださりありがとうございます。
──写真を選ぶのは大変だったでしょうね。作業的な大変さと、あと振り返ることの心のしんどさ。
石井:はい…。さんざん迷いましたし、葛藤しました。小さい子が手に取って、壊れてしまった風景の写真にショックを受けちゃうんじゃないかとか。なのであまりに苦しい写真は外しています。写真を選びながらこの12年間を改めて振り返って、改めて向き合って、当時のあらゆる情景や出来事を思い返して自分でも心が何度も折れかけてしまって。とても苦しくなってしまって、もう作れないかもしれないって。でも同じぐらい…、それ以上に、やっぱり伝えたい届けたい想いがあって。心は折れかけながらも、そのたびに包帯で巻き直して作る、その繰り返しの1年でした。正直本当に苦しくもなりました。でもやっぱりこの子たちの笑顔があるんですよね。この子たちの笑顔があったから作ることができました。この子たちや多くの子どもたちに見てもらいたい、届けたい、ちゃんと伝えたいっていう気持ちが大きくありました。
「ただいま、おかえり。」を言えるのは決して当たり前のことじゃない
──前にも言いましたが、私は写真展を毎年見せていただいて。だんだんと写真に写っている人から、「おかえり」って言われてる気持ちになったんですね。
石井:そう言っていだたいてとても嬉しかったです。
──だから写真絵本のタイトルを知ってとても嬉しくなった。もちろん麻木さん自身が東北に行くと、「ただいま、おかえり。」なんですよね。
石井:いつの間にか「ただいま」って帰れる場所になって、「おかえり」って迎えてくれるようになった12年間でした。そしてもう一つ、このタイトルにした大きな理由があって…。「いってらっしゃい」って我が子を送り出したまま「おかえり」って言えなかったお母さん…。「いってきます」って出て行って、「おかえり」って抱きしめてもらえなかった子どもたちがたくさんいて…。「ただいま」「おかえり」、「いってきます」「いってらっしゃい」、「ありがとう」や「ごめんね」、「おはよう」や「おやすみ」。それが言えるって決して当たり前じゃなくて…凄くしあわせなことなんだよ、明日言えなくなるかもしれないし、突然その会話ができなくなるかもしれないんだよって…。たとえケンカしていてもいいから、毎日の挨拶だったり、何気ない日常だったりって、本当に大切なんだよって…。そういう想いも凄く、凄く込めています。
──うんうん。最後のほうに、その言葉が飛び交っているページがありますよね。そのページだけちょっと雰囲気が、デザインが違う。
石井:そうなんです…!
──そのページは楽しげに見えるんだけど、だからこそ、ウワーッてなりました。当たり前のことって、実は! って。
石井:そこなんです。震災のことを伝えながらも、命の尊さを伝えたい絵本なので。当たり前のように過ごしているけど、当たり前なんて一つもないんだよって。実はとてもしあわせなことなんだよって。
──私は当事者じゃないから他人事だったんですよ。こんな大変なことがあったけど東北の人たちは凄い、とか。それがこの写真絵本の、最後に日常の挨拶が飛び交うページを見て、あ、自分のことだってつながっていった。日常がいかに大切か気づく。
石井:そうなんです。誰にとっても、なにひとつ当たり前じゃないんですよね。何気ない日常ほど、すぐに忘れがちだけど決して当たり前じゃないんだって…。
──こんな幸せそうなページだからこそ、ドキッとしました。
石井:あぁ、嬉しいです。このページはちょっと他とは違う感じにしたいねって、デザイナーさんと相談して。何度もやり取りして何度もやり直して。思い描いた形にできたと思います。復旧は進んでも心の復興に終わりはないので、だからこそ、未来につながっていくっていうことを伝えたかったんです。
東北の人たちに恩返ししたい、これからも共にいたい
──あとがきの「のりこえるのではなく、だきしめる。」という言葉、印象的です。
石井:あれほどのこと、乗り越えられないです…。乗り越えられないものは無理に乗り越えようとするのではなくて、自分を抱きしめてあげてほしい。私も12年間、抱きしめたいという気持ちで通い続けている部分があって。頑張れとか乗り越えようとか、それができない子もいっぱいいるのを見てきたので…。
──頑張れとか、なんていうか、他人事のような言葉になってしまうこともありますもんね。
石井:そうなんです。状況によってはとても心強い言葉で背中を押してもらえる言葉ですが、震災に関しては…、私は当事者じゃなくて、どんなに東北に通い続けても当事者にはどう頑張ってもなれない。でも当事者ではないからこそできることもあるということをこの12年間で教わったので、覚悟もしつつ表現していこうと思いました。
──やっぱり覚悟は必要でしたか。
石井:はい、必要でした。まだ終わっていない、続いているものですし。まず東北の方たちに届ける、見ていただくというのも、やっぱりとてつもない覚悟でした、私にとって。
──このインタビューの数日前の2月11日の月命日に『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』を、まず持っていったんですよね?
石井:はい! 見本誌が10日に届いたので翌日の月命日に持っていって。一番最初に東北に届けることができました。みんな本当に喜んでくださって。まだ見本誌だから一冊だけだったので、早く読みたい! 早く手にしたい! って言ってくれました。
──11日の前日に見本誌ができたって、最高のタイミング!
石井:ですよね!
──麻木さんの写真を見ていると、そしてこうしてお話させてもらっていると、人間って素晴らしいな! って思えるんですよ。
石井:素晴らしいんです、本当に! こんなに人ってかっこいいんだって何度も何度も思わされました。東北の人、カンボジアの地雷原で暮らす人、いろいろな場所のいろいろな人。もちろん人間の怖い面があるのは知ってますし、何度も傷ついたこともありますけど、でもやっぱり美しいなって思うことが何度も何度もあったので。それを信じていきたいです。信じられる経験をいっぱいさせてもらってきました。
──麻木さんに、これからどういう写真が撮りたいですか? とか、どういう写真家になりたいですか? って質問するのは野暮な気がして。それより、あの場所に行きたい、あの場所に生きる人に会いたい、そういう気持ちでカメラを持ってるんだと思うし。
石井:そうですね。『ただいま、おかえり。3.11からのあのこたち』の帯に、福島県ご出身の箭内道彦さんが「撮りに行くのではない。いつも、会いに帰るのだ。東北に、その笑顔に。」って書いてくださって、本当にその通りなんです。実際毎月、会いに帰ってるんです。そしてそこで大切なものを写し続けたい、見続けたいっていう気持ちなんです。東北もミュージシャンやアーティストさんも役者さんも動物も空も子どもたちも心象風景たちも全部同じ気持ちで、一枚一枚大切に。毎回、これが最後の一枚になるかもしれないとも思いながら。
──震災以降、麻木さん自身が変化したことってあります?
石井:カメラを持って20年、そのうち12年東北に通い続けているので、東北は私にとって本当に大きな大切な場所で。私自身、変化はしたと思います。一生分くらいの悲しみをこの12年間で見てきました。私自身の心も何度も折れて、でも覚悟を持って写させてもらってきて、強くなったという言い方が合ってるかはわからないですけど……。写真展に来てくださる方の感想で、「強いですね」って言ってくださる方がいるんですが、本当はまったく逆なんですよね。凄く弱いから、動かないと現地のことばかり考えてしまうから。余震とか起きるたびに、どうしてるかな、あの子は泣いてないかな? って何も手につかなくなってしまう。だから毎月、通い続けているだけで。脆いからこそ続けてこれたんだと思います。その弱さや脆さが、徐々に弱いだけじゃなくなった12年間で、それを強さって言うのはちょっと違う気がしていて、ぴったりの言葉が思いつかないんですけど…。力とかエネルギーとかやさしい気持ちを東北からたくさんたくさんもらってきたので、恩返ししたいという想いと、これからも共にいたいという想いが大きいです。そして大切なもの、大切な人たちがいま生きている場所に行き、大切な人たちと会い、大切にしているものを見続けていきたいです。