【ジャングル叫女インタビュー】<前編>「まだまだ試合ができると思っていた」無期限休業発表の苦悩を赤裸々告白

女子プロレスラー・ジャングル叫女は2月21日の記者会見で、フリーランスサミット『NOMADS’』4月14日新宿FACE大会(ジャングル叫女AID)を最後に無期限の欠場に入ることを発表した。

2020年10月から長期欠場、左ひざの手術を受け、1年後に半月板の手術の失敗が発覚。2度目の手術を行ったがその手術にも失敗していたことが、昨年復帰の1週間前に判明。さらに2度目の手術の失敗による後遺症が深刻で日常生活にまで支障をきたす状態となっていることを明かしていた。

また、術後から1年間、様々な医療機関を受診し、後遺症の原因を探ってきたが、いまだに判明しておらず、力を入れると激痛が走り、ひざ周りの筋肉トレーニングは出来ない状態。以上の点からドクターと話し合いのすえ、現状でのプロレス続行は難しいと判断。半月板の再手術、後遺症の原因究明および治療の為に無期限の休業に入ることとなった。

そんな叫女が、今回当サイトの独占インタビューにて怪我の状態、苦しい心境、『NOMADS’』4月14日新宿FACE大会に向けて。そして、怪我を乗り越えてプロレスに戻ってくるためのクラウドファンディング実施の経緯などを赤裸々に語った。

【ジャングル叫女インタビュー】<後編>「叫女は本来、太陽みたいにみんなを明るく照らす存在でしょ」尊敬するKAIRIからの言葉で見えた光

①NOMADS‘ 4.14新宿FACE大会を最後に無期限休業を発表した経緯

▼ケガの状況、苦しかった時期

--4.14NOMADS’大会を最後に、無期限休養を発表されました。日本マットで暴れまわるジャングル叫女選手を期待していたファンにとっては衝撃的だったと思います。ケガの状況ということですが、経緯を教えていただけますか。

2020年10月4日に地元の名古屋で、前の所属団体のスターダムで最後の試合があって。そこで右足の膝のケガ、かねてより蓄積していた左膝のケガ、あとは右肩のケガと、満身創痍になってしまい手術が必要になって、最初は手術のために長期欠場に入るという形でした。

※本人提供

10月中旬には手術が決まって、最初は左膝の断裂していた前十字靭帯を、腿にある筋肉を取って再建する手術でした。これは手術中に開いてみて分かったんですけど、内側と外側の半月板もすごく傷だらけだったので、そこを縫合する手術もしました。前十字靭帯と半月板の手術をすると復帰までには8~10ケ月かかると言われているんですけど、そこからリハビリに入りました。

1回目の手術後はわりと順調に進んでいたんですけど、試合ができない焦りといいますか、自分がプロレスにうまく関われなくなってしまい、収入も厳しくなったりして、翌年4月から就職活動をしまして、広告代理店に勤めさせていただくことになりました。そこで社長秘書をしながら、復帰のためにリハビリもやっていました。

自分の中で復帰できそうなタイミングで「このままスターダムに戻って復帰をするのが自分の本当にやりたいことなのか」と考えたときに、1つ叶えたい夢があって、それが「海外で試合をする。とくにアメリカで、自分の名前を売って有名になりたい」ということでした。

※本人提供

--アメリカンドリームを掴むというか。

はい。そういう思いが強かったので、それを叶えるためにはスターダムにはいられないという決断から、スターダムを2021年9月30日に退団しまして、10月1日にジャングルオフィスを設立し独立しました。そこから海外に向けてより力を入れてトレーニング、リハビリをやっていきました。

すぐにアメリカで1月の試合が決まったので移住しようとした矢先、手術した左膝が急に腫れ始めたんです。それが、どこかに打ったり転んだりした腫れ方ではなくて、明らかに手術をした箇所から飛び出てくるような腫れ方で。自分でもびっくりしたんですが、痛みもあるし、写真や動画をトレーナーさんに送ると、すぐに受診を勧められました。

※本人提供

その時にピンときたというか、「もしかしたら手術の失敗かもしれない」と思ったんです。なので、最初の病院には行かず、別な病院をそのまま受診しました。MRIやCTの結果から先生には「半月板を縫合した糸が外れて飛び出てきているんじゃないか」と言われました。「そんなことあるんですね」「稀にあるんですよ」「ここで糸を取る手術はできますか」と聞いたら「どんな糸で縫合したかもわからないし、前のところで糸を取り出す再手術をしたほうがいいいんじゃないか」と言われました。

その足で最初の病院に行って経緯を説明したところ同じ見解で、「切開して糸を取り出す手術をしてみないといけない」「一緒に前十字靭帯再建で入れたボルトを抜く抜釘手術もしよう」ということで、そのまま3日後くらいに緊急手術になってしまいました。

▼予期せぬ緊急手術

--緊急手術になったんですか。

先生に「1月にアメリカで試合が決まっているので、それに間に合いますか」と聞いたらその時は、「糸を取り出す抜釘手術なので3日間で退院できるし、すぐに戻れると思います」と言われました。なので、承諾のサインをして手術をお願いしたんです。ところが、全身麻酔から目が覚めたら、腿から足首までギブスがガッチリされていて動かない状態になってたんですよ。

※本人提供

--思っていた光景じゃなかったんですね。

「あれっ?」って思いながらも思い当たる節はあって、「糸が取れているくらいだから前の手術が失敗していて、もう1度手術したのかな」って。意識がはっきり戻ってきた後で巡回してきた先生に確認したら、やっぱりそうでした。糸が取れていたし、内側の半月板が前回手術前と全く同じだったみたいです。

--治っていなかったんですね。

「手術前と同じ状況だったのでもう1度縫合しました」と言われたんです。それと、前回の先生の反省点についてはしっかり謝罪を受けました。1回目の手術は事前のMRIに半月板の損傷が映らなかったから、開く箇所を1か所にして、そこから見える範囲で施術をしたらしいんです。「本人に言うことではないかもしれませんが、最初から右側の見える範囲を切開して手術をすればよかったです」と言われました。

そうやって誠意をもって謝られたら許すしかないし、人間なのでミスもあるだろうから「わかりました」と答えました。私も1回目の手術後に仕事を始めてしまってリハビリに専念できていなかったので、「今回はしっかり先生のいうことを聞いて、リハビリにもちゃんと時間を作って、プロレスに復帰できるよう頑張ります」というやり取りをして、2回目の手術後のリハビリが始まりました。ただ、入院期間の1か月は長くて、ずっとギプスが取れなかったので筋力が一気に落ちちゃいました…

--1か月は長いですね…。

そして、その2回目の手術後から、手術した箇所以外にも痛むところが出てきてしまいました。膝のお皿がすごく痛いんですが、リハビリ中に動かせる範囲で筋肉を入れると、腿にすごい痛みが走るようになっちゃったんです。はじめのうちは「これは手術の炎症だったりするのかな」と思って、先生にも伝えていなかったんですが、逆に、可動域も広がって動けるようになりはじめてから、どんどん痛みが強くなってきちゃいました。

筋力測定というものが復帰の1つの目安になるんですが、最初は数値が上昇していたんですけど、痛みで力が入らなくなってどんどん下降してしまいました。だんだん筋力測定もできないくらい痛くなってしまったし、歩くのに再び杖が必要にもなってしまいました。

「おかしいな」と思いながらも半月板のリハビリはやっていたんですが、痛みを先生に伝えてもなかなか原因はわからなくて。「3か月間、痛いと思うことは絶対やらないようにして、無理をしないように様子を見ましょう」とも言われたんですが、それでも痛みが引きませんでした。またセカンドオピニオンを受診しましたが、1度目の手術の失敗、2度目の手術後の痛みもあって。そこもあまり分からなくて。

⇒次ページ(原因不明の痛みとの闘い、日常生活でロッキング発症)

▼原因不明の痛みとの闘い

ー-原因がわからなかったと。

「この先、痛み止めの注射を打つことしかできないです」と言われたので、「それでもいいので打ってください」と痛みを紛らわせていましたが、根本的な痛みは取れずでした。そういう状態で、これだけ長い間試合もしないでいると、モチベーションがなくなってしまって。もちろん1月に決まっていたアメリカの大会も間に合いませんし、どんどん何も決まらないまま、もやもやとした状態が続いていました。仕事もやっていたんですけど、そっちにも集中できなくなったり。「自分は今なんのために生きているんだろう」くらいの問いかけをずっとしていました。

その時は「目標を作ろう」となると復帰しかなかったので、1度なくなってしまったアメリカでの復帰戦をもう1度秋くらいに設定して、それに向けて頑張ろうと思ったんです。痛みに不安はありながらも、半月板の手術はうまくいっているというのが先生の意見だったので、半年経過後くらいから、とんでしまった試合などにもう一度オファーをかけなおしました。

その辺からアメリカでの試合が決まり始めて、決まった以上はそこにむけて頑張っていくしかないと思ったので、トレーナーさんやリハビリの先生など皆さんに「試合が決まって、これに向けて頑張っていきたいと思うので、身体を仕上げてください」「じゃあそれに向けて頑張りましょう」というかんじで進めていました。チベーションが上がったことによって、膝の違和感や痛みはなんとなく薄れていった気がしていました。

--アドレナリンが徐々に出てきたというか。

回復につながったのかもしれません。膝の筋力がなくても、他の筋力でカバーできる自信もあったというか。プロレスをやる前に13年、陸上競技をやっていたバックボーンもあるし、今まで5年、プロレスをしっかりやってきたっていうのもあるから、「他のところを鍛えてカバーできる」という自信をもって復帰戦に向けてやっていきました。

そのなかで9月10日にアメリカの復帰が決まったんですけど、9月3日くらいに最後の診察で病院に行って、リハビリの先生に膝を診てもらいました。最終のリハビリで力が入るか確認したんですが、その時に「パキッ」って音がして、膝が外れたというか、ズレた感覚がありました。実は手術する前からあった※ロッキングという状態になってしまって、傷ついている半月板がめくれあがって、骨と骨の間にひっかかって動かなくなるというものです。

※膝関節のロッキングとは、突然膝がロックされたように動かせなくなる状態を指し、加えて激しい痛みを伴うので、歩くことも困難になる

もちろんちょっとでも動かすと大激痛です。医学的には絶対に良くないんですけど、ロッキングは何回か経験していたので、自分で外す方法を知っていまして、膝をピッと伸ばしてめくれあがっている半月板を無理やり元に戻したんです。「治りました、大丈夫です」と言ったら、先生が「でもいまロッキングしましたよね?ロッキングしないようにするために半月板縫合手術をしたのに、今ロッキングしたというのは、今回も手術がうまくいっていなかったということですよね」と。

主治医に診せたら「2回目の手術もちょっとうまくいかなかったですね。」と言われました。復帰の1週間前ですよ。次の次の日くらいにはアメリカに飛び立つ予定で。航空券だって取ってるし、向こうでの試合も、復帰戦から10数試合決まっていたんです。「今さら無理やん。」となりました。

ただ、とりあえず放心状態のままコスチュームとシューズをもってアメリカに渡ったんです。向こうに渡って少し動かしたら、ロッキングが簡単になる状態ではなかったので「試合ができるんじゃないか」と思って1試合やりました。結局、試合はできて、「リング上ってやっぱりすごいな」と。いままで感じていた膝の違和感、痛みもそもそも感じないし、膝もしっかりテーピングをして出ているので症状もなく、無事に1試合を終えることができたので「これならいける」と思いました。

膝の周りをできる限り強化したり、周りの筋力でカバーするためのトレーニングを積みながら、残りの15試合くらいをなんとかこなすことができたんですけど、やっぱりだんだんロッキングするようになってしまって。日常生活でもロッキング。寝返りうったらロッキング。

▼日常生活でロッキング発症

--日常生活でもロッキングが不意になってしまうんですか。

不意になるんです。力が抜けていると膝と膝の間に空間ができるんです。その時にめくれてしまって、ロッキングしてしまうことがあります。どんどん増えてきてしまって、これ以上はわたしも試合をするのが危ないと思ったし、相手にもケガを負わせてしまうかもしれないということで、現地のドクターと確認して「これ以上は、再手術をしないと難しいんじゃないか」と言われたので、それ以降の試合は入れずに帰国しました。

帰国後は1か月くらい安静にしながら、筋力が落ちて悪くならない程度にトレーニングをして、という状態でした。ただ、実は日本でも試合が決まっていたんですよ。それが日本での復帰戦になったノアの横浜アリーナと『NOMADS』大会でした。

『NOMADS』さんはアメリカに渡る前の8月、リング上に呼ばれて「次は参戦する」と言ってましたし、ノアさんは日本での復帰場所として本当に大きい舞台を用意してくださったので、この2つは必ず、いま出せるベストコンディションで臨んでいかなきゃいけないということをドクターにも伝えて、許可をもらいました。

--何回も手術をして、よく心が挫けませんでしたね

膝の違和感を残しながらも復帰を焦ってしまったのは、いま思えば良くないことかもしれません。それでも、アメリカに渡って何試合もして、すごく良かったと思えています。ちょっと無理をしちゃったけど、あのモチベーションがなかったら、プロレスとかじゃなくて、生きるモチベーションすらもなくなっていたかなと思います。

あの時は無理をしてでもリングに向かうことが、わたしの生きるモチベーションだったし、生きるためにプロレスの世界に戻りたいと思っていましたね。勤め先の社長もアメリカに送り出してくれたし、あの時試合をやってなかったら、いまの自分はいないかなと思います。

--海外での活動があったから今のモチベーションが保てているし、手術にも立ち向かえているということですね。

本当にそう思います。

⇒次ページ(日本復帰戦のプロレスリング・ノア横浜アリーナ大会について)

②プロレスリング・ノアでの日本復帰戦

--そして日本での復帰戦となったプロレスリング・ノア横浜アリーナ大会はいかがでしたか?

日本での復帰戦も自分の中で目標だったので、すごく大きな舞台を作ってくださったノアさんの横浜アリーナでの復帰戦(ジャングル叫女&安納サオリvs夏すみれ&雪妃真矢)は忘れられないですね。あの姿を、日本でずっと待ち続けてくださったファンの方々に見せることも大事なことでした。

その時は、リングに上がると試合ができるということもあったので、GHC女子王座も提案させていただきましたし…

左から安納サオリ、雪妃真矢、ジャングル叫女、夏すみれ

--僕らとしては、大ケガに苦しんでいた裏側を知りませんでしたから、ノアのリングに上がった叫女さんを見て「ようやく帰ってきてくれたか」と思いました。ファンの皆さんも「新しいジャングル叫女がこれから何を見せてくれるのか」という期待を膨らませたと思います。当時(1月22日大会時)、KAIRI選手がIWGP女子王者というところで、対義語じゃないですけど、「GHC女子王座があってもいいんじゃないですか」と発言されましたね。あれはワクワク感がすごかったです。

誰かが言わないとそれすらもないことなので、発信するというのは自分の中でも大事にしていることだし、KAIRIさんのIWGPにはすごく刺激を受けたので、せっかくノアさんのリングに上がらせていただくのであればGHC女子という言葉を私から発信したかったというのはすごく思ったし、その瞬間は私はまだまだ試合ができると思っていたので。

※本人提供

主治医も「もしかしたら今後、そういう形でできるかもしれない」と、糸口を見出してくれているかんじでもあったし、その時点ではドクターストップも言われていませんでした。プロレスではケガと向き合いながら試合をしている方もたくさんいらっしゃると思うので、「まだまだできるじゃん」「どんどんオファーほしい」という気持ちでしたね。ただ、試合が終わったあと、日常生活でロッキングをしてしまって、なかなか自分では外れなくなってしまい救急車で運ばれたことがありました。

※本人提供

痛いし、それまで自分でコントロールできてたものがコントロールできなくなって。麻酔を膝に打って、脱臼を治すみたいに整復してもらうことはできたんですけど、「いよいよこれはどうなんだろう」と思いました。すでに失敗が続いている先生には、これ以上自分の膝は任せられないということをちゃんと話して「カルテとか画像をください。セカンドオピニオンを考えてます」って全部もらいました。

セカンドオピニオン先はもう決まってるんですけど、その先生のところでも「再手術は予定しなきゃダメだよ」と言われました。原因がわからないまま後遺症、膝の違和感、痛みが続いていて、そのことで筋力が入らないと良くなるものも良くならないし、「これ以上ごまかすことはできないね」と言われて正式にドクターストップとなりました。

「いま決まってる試合があるんです」「それだけは出れるようにこちらも全力でサポートするので気をつけながら出てもらって、そのあと再手術に向けてやっていきましょう」「後遺症の治療に向けて頑張っていきましょう」っていうかんじで、今に至るというかんじです。

--なるほど。気持ちを奮い立たせるのは大変なことだったと思います。膝の状態が改善しないのも大変苦しいでしょう。ファンの気持ちを代弁するなら、いまは休養をとってゆっくり治してもらいながら、また活躍する叫女さんを見たいですね。

はい。ありがとうございます。

是非ともSNSに#ジャングル叫女AIDを付けて応援メッセージをお願いします。

【ジャングル叫女インタビュー】<後編>「叫女は本来、太陽みたいにみんなを明るく照らす存在でしょ」尊敬するKAIRIからの言葉で見えた光

インタビュアー:山口義徳(プロレスTODAY総監督)

【クラウドファンディング情報】
怪我を乗り越えてプロレスに戻ってくるためのクラウドファンディング
『女子プロレスラー・ジャングル叫女、怪我を乗り越えて世界にリベンジしたい!』
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