【読書亡羊】米中対立の行方を占う半導体戦争 クリス・ミラー著・千葉敏生訳『半導体戦争』(ダイヤモンド社) その昔、読書にかまけて羊を逃がしたものがいるという。転じて「読書亡羊」は「重要なことを忘れて、他のことに夢中になること」を指す四字熟語になった。だが時に仕事を放り出してでも、読むべき本がある。元月刊『Hanada』編集部員のライター・梶原がお送りする週末書評!

まるでデジャブな半導体戦争

「大規模な投資と補助金を背景に、安価な製品を市場に大量に供給することで半導体産業が急速に成長し、その成長と進化がアメリカの優位性を脅かしている」

こうした一文を読めば、アメリカを脅かしているのは中国だと誰もが思うだろう。だがこの一文は、1980年代の日本に対してアメリカが抱いていた認識だ。つまり、現在の中国の位置に日本がいたのだ。まるでデジャブのような「半導体戦争」が、2020年代の現在、今まさに再現されている。

戦後の半導体産業の勃興と、現在までの国家間の戦いを余すところなく描いているのが話題の書、クリス・ミラー著・千葉敏生訳『半導体戦争――世界最重要テクノロジーを巡る国家間の攻防』(ダイヤモンド社)だ。

今や、経済や産業の話題だけではなく、外交、安全保障分野のニュースでも「半導体」の文字を見ない日はない。アメリカはロシア向けの半導体輸出に規制をかけ、日本には台湾の半導体企業TSMCの工場が誘致され、中国は全人代の代表や助言機関に、半導体関連産業のトップが就任している。

なぜ今になって、これほどまでに半導体に注目が集まるのか。現在地を知るために知るべき経緯が余すところなく詰まっているのが、この『半導体戦争』なのだ。

大判で分厚い本だが、文字が大きく一章当たりのページもコンパクトなのに加え、技術者たちのエピソードも豊富。手に取った際の印象よりも格段に読みやすいのが特徴だ。

しかも本書は経済史家である著者が半導体開発を追った産業史であり、国際政治史であり、軍事技術史でもある。どの角度から興味を持っても面白く読め、しかもすべての事象が現在の半導体を巡る問題と繋がっているからこそ、多くの読者に求められるのだろう。

「成功しすぎた」日本

本書の第一章は、のちにソニーを創立する森田昭夫の故郷が「鉄の暴風」、つまりアメリカの空襲に見舞われたという描写から始まる。まさに廃墟から立ち上がった戦後の日本だが、軍備増強が封じられたことでかえって産業への投資に邁進することができた。

池田勇人首相がフランスのドゴール大統領から「トランジスタのセールスマン」と揶揄されたのも何のその、経済・産業は急成長。特に半導体は「アメリカの地位を脅かす」にまで至った。

だがこうした日本の半導体産業の躍進を、著者のミラーは「成功しすぎてしまったのではないか」と表現する。

日本を民主的な資本主義国に生まれ変わらせるという(アメリカ政府の)当初の目的は、成功を収めたのだ。いや、むしろ成功しすぎてしまったのではないか。日本企業に力を与える戦略が、勢い余ってアメリカの経済的・技術的な優位性を傷つけている。一部のアメリカ人にはそう映った。

本稿の冒頭と合わせて読むと、まさに「似たようなことが再現されている」と感じないだろうか。アメリカはついこの間まで、中国に対して「豊かになれば民主化して、アメリカにとっての敵ではなく強力なパートナーとなる」と、貿易を含む関係を強化していたのだ。

ところが気づいてみれば、中国は〈アメリカの経済的・技術的な優位性を傷つけている〉だけでなく、軍事的優位性をも脅かすまでになっていた。しかも日本の場合は「民主化に成功」したが、中国の場合はそうはいかない。民主化しないまま、アメリカを経済面・軍事面から脅かす存在になりつつあるのだ。

より苛烈な中国との闘い

かつてアメリカがライバルである日本を潰すために行ったことは、1986年の「日米半導体協定」によるダンピング禁止を言い訳にした価格の値上げや、日本市場への米国製半導体市場開放要請だけではなかった。

著者のミラーは日本がアメリカの企業秘密を窃取、つまり「産業スパイ」を行っていたことを匂わせ、実際にあった東芝機械ココム違反事件を持ち出すことで「多くのアメリカ人が日本の不正取引を疑っていた」と述べる。また1981年にはFBIの罠にかかり、囮会社と関係を持とうとした日立の数名の社員が逮捕された事例も紹介している。

そして本書の後半では、日本は主要プレイヤーとしてはほぼ登場しなくなり、米政府による中国企業ファーウェイへの規制、産業スパイの疑いなどを含む、アメリカのライバルとしての中国がクローズアップされるようになる。

アメリカにとって中国との闘いはある意味で「いつか来た道」だ。しかし、今回の中国との闘いは、前回よりもっと苛烈な構図になっているのだ。

30年前にもあった「チップウォー」

実は、本書の原題である「チップウォー(Chip War)」と全く同じタイトルの書籍が、30年前の1991年に刊行されている。フレッド・ウォーショフスキー著、青木榮一訳『チップウォー』(経済界)だ。邦訳版の副題は〈技術巨人の覇権をかけて〉〈日米半導体素子戦争〉。

日本が半導体産業でアメリカを制するに至った強みを紹介しつつも、日本の市場論理を「理解できない」と批判し、のちに台頭してくる国として台湾と韓国を挙げている。

「スパコンにまで日本製ICチップが使われている!」「CIAが憂慮」などの文字を見ると、やはり「ライバル」が日本から中国に入れ替わっただけに見える(当時の日本が「生産性が高い」、その理由は「夏休みの山盛りの宿題に苦労するほどの教育制度が奏功しているからだ」と解説されているのには笑ってしまったが)。

こうしたアメリカの認識を「一位のアメリカは常に二位の国を叩く」と言えばわかりやすいのだが、そのための戦略は常に奏功するとは限らない。

本書の後半は半導体を巡る米中の戦いを描き、それが比喩ではなく実際の「中台戦争(台湾有事)勃発」に至る可能性や、今や半導体生産の世界的シェアを誇る台湾の生産能力の低下が、世界的不況を引き起こしかねないことを指摘している。

当然、中国は現状を単なる経済戦争、半導体戦争とは位置付けていない。「ここで競り負ければ国家の存続そのものに影が差す」ことを重々承知している。

本書が引く中国政府のアナリストによる「(米中の緊張が高まれば)われわれはTSMCを奪取するしかない」との発言を、どう見るべきか。課題は多いだろう。

日の丸半導体復活か、二度目の敗戦か

さて、翻って日本はどうか。

日本の「半導体産業の衰退」の原因は、1986年の日米半導体戦争で不利な条件を押し付けられたことが主因、とする解説が多い。だが、もちろんそれだけではない。著者のミラーは日本が不況に陥り、半導体産業への潤沢な投資が行われなくなったからだ、と指摘する。

事実、産業の躍進期には低金利で膨大な投資だけでなく、政府の補助金も半導体産業に注ぎ込まれていた。こうした投資や補助金の重要性を、戦略家、エドワード・ルトワックは「戦場に投入される火力」に例えたが、そうしたバックアップがなくなれば、戦況の悪化、業界の衰退は当然に見える。

しかしより根源的な問題として、やはり諸外国のように、半導体が軍事と密接にかかわる戦略物資であり、さらには自国の存立を支える基幹産業であるとの視点がなかったことが敗因のようにも思う。なにせ、日本政府が半導体を「戦略物資」と位置づけたのは、実に2022年の経済安全保障関連法案の議論が起きてからなのだ。

ただし、日本でも30年以上前に、「半導体は戦略物資である」ことを認識していた人もいる。森田昭夫と『「NO」と言える日本』(光文社)を出した、石原慎太郎氏だ。

本書で引用されている、当時の石原氏の主張を読むと「半導体の本質を当時、ここまで理解していた人がいたのか」と驚く。

とはいえ、同時に「いくら投資力がなくなったとはいえ、そのことに言及した書籍が100万部以上も売れたのに、日本の半導体産業が顧みられなかったのはなぜか」、という新たな疑問も生じるのだが。

現在、日本政府は民間企業とともに「日の丸半導体復活、最後のチャンス」とばかり大きく旗を振っている。果たして30年後に書かれる「半導体戦争史」で、日本は主要プレイヤーになっているだろうか。とにもかくにも、「二度目の敗戦」だけは免れたいところだ。

梶原麻衣子 | Hanadaプラス

© 株式会社飛鳥新社