難病の子どもに電車が見える絶景を見せてあげたい 「まるで鉄道ジオラマ」と評されるカフェ、開店した夫婦に亡き長男への思い

江原一平さんの写真=2022年12月20日、東京都北区

 眼下でJR山手線と京浜東北線が交差し、目前の鉄橋を新幹線が走り抜ける。東京都内の住宅街にあるカフェから見える絶景だ。店を経営するのは、江原正明さん(69)、チエコさん(69)夫妻。「難病の子どもたちに、この光景を見せてあげたい」。そんな夢を抱き、自宅を改装して昨年7月に店を開いた。背景には、今は亡き長男一平さんへの思いがある。(共同通信=沢田和樹)

窓の外では、鉄橋を新幹線が走り、山手線と京浜東北線の車両が交差する=2022年12月23日、東京都北区

 ▽電車が大好きだった長男、難病で帰らぬ人に
 東京都北区のJR田端駅から歩いて5~10分ほどの高台にあるカフェ「ノースライト」。店名は、北側に大きく開いた窓から優しい光が差し込む様子に由来する。玄関を上がると、本棚に並ぶ電車の絵本が迎えてくれる。階段を上がった2階左手にキッチンカウンター、右手に客席。窓際は、電車が一望できる「特等席」だ。その景色は「まるで鉄道ジオラマ」と評判を呼び、土日には親子連れでにぎわう。
 チエコさんは「お子さんの喜ぶ姿を見ると、こんな感じだったかなと。一平のことを思い出します」と話す。

店から新幹線を眺める子ども=2022年12月20日、東京都北区

 一平さんは4人きょうだいの2人目、長男として1983年に生まれた。幼い頃、家から電車を見るのが大好きだった。最初に口にした言葉は、山手線の車体の緑色を指す「みんみん」と、京浜東北線の青色の「あお」。畳に頰をつけて寝そべり、電車のおもちゃを動かして遊んだ。庭の柵にしがみつき、走り去る電車を何時間も眺めていた。
 生まれつき「ヌーナン症候群」と呼ばれる難病で背があまり伸びず、心臓の合併症もあった。10歳で心臓の手術をし、集中治療室(ICU)に2カ月以上入り続けたこともある。
 通院を続けながら過ごしていたが、一平さんが21歳の頃に医師から心臓の再手術の必要性を伝えられた。チエコさんは「難しい手術なので不安も大きく、セカンドオピニオンを二つの病院で受け、最終的に再手術に同意しました」と回想する。一平さんは2006年に22歳で再手術を受け、一度も目覚めることなく帰らぬ人となった。
 スポーツ観戦や音楽も好きだった一平さん。チエコさんは「スポーツは、本当は自分がやりたかったんだと思います。遊び程度でやる卓球は上手で、家族の中で一番センスがありました」と言う。正明さんは「ピアノの先生が、手の小さい一平にはオカリナがいいと勧めてくれ、それが大正解でした。彼のオカリナの音色は心地よく、難しい曲も物にしていました」と懐かしんだ。

カフェ「ノースライト」を経営する江原正明さん(右)とチエコさん夫妻。手には亡くなった長男一平さんの写真=2022年12月20日、東京都北区

 ▽病院の外に出たことがない子どもに「電車を見せてあげたい」
 2012年、チエコさんは、一平さんの姉の育児をサポートするため横浜市へ車で通っていた。帰り道では、丘の上に国立成育医療研究センター(東京都世田谷区)が見える。一平さんが通院し、亡くなった場所だ。チエコさんは病院を見るだけで「交通事故を起こしてしまうんじゃないか、というくらい動揺してしまった」と振り返る。
 できるだけ病院の近くを通ることを避けていた一方、こうも考えるようになった。「一平とたくさんの時間を過ごした場所を、つらい思い出で終わりにしていいのだろうか」。チエコさんは2014年、国立成育医療研究センターで、子どもに絵本の読み聞かせなどをするボランティア活動に参加し始めた。
 そこで出会ったのが、生まれてから病院の外に出たことがなく、本物の電車を見たこともない子どもたちだった。一見元気そうでも重い病気の子どもがいることに驚いた。同時に「この子たちに一平が好きだった電車を見せてあげたら、どれだけ喜ぶだろう」との思いも浮かんだ。自宅でカフェを開き、病気の子どもたちを招待する夢が芽生えた瞬間だった。

カフェ「ノースライト」の店内=2022年12月20日、東京都北区

 ▽病気の治療に親の介護、それでも「やれるだけのことをやろう」
 2016年には夫の正明さんに肺がんが見つかり、治療に追われる日々が続いた。チエコさんは、親の介護もあり一度は夢を諦めかけた。ただ、時間の経過とともに正明さんの治療に効果が出始め、体調が安定するようになった。「今なら実現できるかも?」。希望が見え始めた。
 正明さんは2020年ごろ、勤めていた企業の退職を考え「来年辞めるね」とチエコさんに伝えていた。その頃に初めて、チエコさんから自宅をカフェにしたいとの思いを伝えられた。正明さんは「あくまでも夢」と受け止めた。場所は住宅地の路地の一番奥で人通りがない。入り口で靴を脱ぎ、廊下を抜けて階段を上がる必要がある。部屋もキッチンを作るためのスペースが少ない。さまざまな障壁が立ちふさがっていた。
 それでも、正明さんは「夢のために、やれるだけのことはやろう」との思いで、2021年に通信教育でコーヒーコーディネーターの資格を取り、カフェ巡りでおいしいコーヒーの研究を続けた。店の図面を描き、開業に必要な法律の勉強もした。チエコさんはコーヒーに合うケーキの試作を繰り返したほか、洗面所や廊下、玄関の掃除や改装に汗を流した。

カフェ「ノースライト」のオーナー江原正明さん、チエコさん夫妻=2022年12月20日、東京都北区

 ▽難病の子どもを招待する日を夢見て「ゆっくりと店を育てたい」
 窓から見える景色は2人にとって当たり前のものだった。「本当にお客さまが喜んでくれるのか」。2人は半信半疑だったが、家の修繕やエアコンの掃除で訪れる業者の人たちから「すごい景色だ」と言われ続け、自信を持てるようになった。

カフェ「ノースライト」の窓から見えるJR山手線(手前)と京浜東北線の車両(提供写真、2022年8月26日撮影)

 2022年に入り、本格的に開店に向けた作業を始めた。キッチンカウンターをはじめとした内装は、古くからの友人が部屋に合わせて手作りした。友人の家族がスタッフに加わり、インスタグラムで写真と店の情報を発信してくれている。
 開店後、インスタグラムでの投稿が親子で電車を楽しむ人たちの目に留まり、お客さんは日に日に増えた。子どもたちは窓際のカウンターで身を乗り出し、トレインビューに歓声を上げる。正明さんは「お子さんの笑顔を見ると、夢の一部は実現できたように思えます」と笑う。

店から新幹線を眺める子ども=2022年12月20日、東京都北区

 新幹線の「はやぶさ」や「こまち」「かがやき」などが鉄橋を走り、その下で京浜東北線と山手線の車両が交差、並走する。3台以上が同時に走る姿はなかなか見られないが、チエコさんは5台同時に走る姿を見たことがあるという。
 チエコさんが思い描くのは、病院のベッドから店に来て、生まれて初めての光景に目を輝かせる子どもの姿だ。難病の子どもを招くのは簡単ではないと理解している。車いすは2階まで持ち上げられるかな、ストレッチャーでは来られないかな。一人一人の状況によって対応策を考えるつもりだ。
 チエコさんは、夢をかなえるその日まで「ゆっくりと店を育てていきたい」と語った。

カフェ「ノースライト」から見えるJR山手線(手前)と京浜東北線の電車=2022年12月9日、東京都北区

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