<社説>大江健三郎氏死去 沖縄を見つめ平和訴えた

 ノーベル文学賞作家の大江健三郎氏が亡くなった。戦後日本を代表する知性であり、沖縄を通して戦後民主主義の内実を問い、平和と反核を訴え続けた文学者であった。 大江氏は県民に多大な犠牲を強いた沖縄戦の実相を直視し、施政権返還を経て今なお米軍基地負担を沖縄に押しつけ続ける日本の無責任を厳しく指摘した。日本の戦後政治がどのような姿勢で沖縄を扱ってきたかを省みるとき、大江氏の作品や発言はこれからも重要な示唆を与え続ける。

 大江氏は、創作活動の初期から沖縄に関心を抱くようになった。復帰運動に奔走した伊江村出身の古堅宗憲氏との交流が知られる。講演のため1965年に初めて沖縄を訪れ、琉球大学助教授だった大田昌秀元知事や沖縄のジャーナリストらの知遇を得た。「沖縄の人たちが重荷を背負っていていられることをつねに考えていなければならぬ」という決意を込めたメモを沖縄の知人に託している。

 訪問を重ね、米軍基地の重圧に苦しむ沖縄の現状を凝視した。その鋭い問題意識は70年の「沖縄ノート」に結実する。この中で大江氏は「琉球処分」や沖縄戦、沖縄返還交渉、全軍労スト、離島苦など多面的に沖縄を論じ、日本の責任を追及した。同書で繰り返される「日本人とはなにか、このような日本人ではないところの日本人へと自分をかえることはできないか」という記述は沖縄に向き合う大江氏の基本姿勢である。

 72年の沖縄返還後も沖縄との関わりは継続する。地上戦で犠牲を払った沖縄に、アジア全体に脅威を与える米軍基地が居座り続ける現状にどう向き合うべきかという日本人への問いかけを重ねた。

 その姿勢は辺野古新基地問題でも一貫している。2015年の那覇市での講演では新基地建設を強行する当時の安倍政権を批判し「本土でも沖縄の人たちのように拒否権を示すべきだ」と呼びかけた。大江氏の厳しい目は基地負担を沖縄に押しつける政府と、それを黙認する国民の双方に注がれている。

 沖縄戦の実相をゆがめる動きには毅然(きぜん)とした態度で応じた。「沖縄ノート」における「集団自決」(強制集団死)に関する記述で元座間味島戦隊長らに訴えられた際、大江氏は07年に自ら法廷に立ち「日本軍・第32軍・島の守備隊」というタテの構造の強制力によって「集団自決」が起きたと証言した。大江氏の行動は自身の著作に対する責任とともに、沖縄戦における日本人の責任の一端を果たそうとしたのだと言えよう。

 鶴見俊輔氏や小田実氏らと「九条の会」の一員として活動した。市民と共に歩んだ作家の視線の向こうには常に沖縄があった。構造的差別の下に沖縄を置き続ける日本の政治風土を改め、民主主義の回復を目指すとき、大江氏の作品や発言は何物にも代えがたい道標となるはずだ。

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