大江健三郎さん逝く

 病院の廊下で女性患者がすすり泣いている。〈入院してから初めて10メートルも歩けたんです。先生、うれしい〉。声に聞き入る重藤文夫(しげとうふみお)医師の〈牛みたいな眼の優しさを僕は忘れない〉。大江健三郎さんは、被爆者の姿を取材した「ヒロシマ・ノート」にそう記した▲自分も被爆し、30年間、被爆者の治療と研究に身をささげた重藤医師に大江さんは心を寄せる。被爆者に根本的な治療法がなく〈きまりきった手当をくりかえすしかない〉と嘆く医師の言葉を、大江さんは〈にがい、にがい味〉と表した▲ノーベル文学賞作家で、反核、平和を訴えた大江さんが88歳で亡くなった。晩年、作家の仕事は〈他者のことを想像することが根っこにある〉と語っている▲人の心に、そっと、深く分け入る。被爆20年後に出版された「ヒロシマ・ノート」の頃から、根っこは変わらなかったらしい▲長崎市出身のジャーナリスト、立花隆さんとは深い親交があった。核や環境の問題に悲観的ですか? 対談で立花さんに問われて、大江さんは〈そうです〉と答えている▲ただし〈人間は何とか生き延びていく、生き延びる工夫をする〉という信仰も持っている、と話は続く。ひたむきな営みを尊ぶ人は、人間の知恵も尊んだ。後世に渡したのは希望というバトンだったのだろう。(徹)

© 株式会社長崎新聞社