再審開始決定から一夜 浜松の袴田家では赤飯とタイの尾頭付き 福岡で吉報かみしめる人も

いわゆる「袴田事件」について3月13日、東京高裁が再審=裁判のやり直しを決めてから一夜が明けました。袴田家はもちろん、静岡県外でも待ち望んだ吉報をかみしめる人がいました。

14日朝、袴田巌さんの食卓に並んだのは、支援者の手作りだという赤飯とタイの尾頭付き。昼食では赤飯を平らげたということです。

13日、東京高裁から再審開始の決定を受けた袴田巌さん。繰り返されるテレビや新聞報道が目に入ったこともあるのか、日課のドライブの行き先に14日は「最高裁」を希望したそうです。

<支援者>

「巌さん、最高裁行ってさ、何するんですか?」

<袴田巌さん>

「最高裁を守るっつーことだ。最高裁をね」

再審開始の決定を東京高裁で見届けた姉のひで子さんは、14日午後5時前、浜松市内の自宅に帰ってきました。

<袴田ひで子さん>

Q.この後、帰って来た袴田さんにどんな話をしますか?

「再審開始になったとは言わんでね、うんといいことあったというつもりで私は寄りますの」

それから約20分後、袴田さんがドライブから帰ってきました。

(野田栞里記者)

「再審開始が決まって初めての袴田きょうだいの再会が迫っています」

一方、今回の決定を特別な想いで報告した人が福岡県にもいました。島内和子さん(82)。2020年に亡くなった元裁判官の熊本典道さんのパートナーです。

<熊本さんの写真に話しかける島内さん>

「再審ができるようになってよかったですね。一番の願いだったから」

熊本典道さんは1968年、静岡地裁で袴田さんに死刑判決を下した3人の裁判官のうちの1人です。当時、袴田さんの供述に強要された疑いがあるとして無罪を主張しましたが、他2人の裁判官が死刑を支持し、やむを得ず死刑の判決文を書いたと告白、その無念の想いをかつて語っていました。

<元静岡地裁・裁判官 故・熊本典道さん>

「少なくとも今まで出てる証拠で有罪にするのは無茶だと思った。私は言ってみれば殺人未遂犯ですよ」

告白以降、熊本さんは積極的に支援活動に参加し、再審開始を願い続けるも、2020年、死去。袴田さんの裁判のやり直しを見届けることはありませんでした。

<熊本典道さんのパートナー 島内和子さん>

「最初っから無罪と言ってた。だから自分が判決文書いてるから申し訳ないと言ってましたね。(熊本さんが決定を聞いたら)泣き出しますね。すごく涙もろいから。すぐ泣くと思います。きのうもずっと泣いてたんじゃないかな」

東京高裁が下した13日の決定は、自らが関わった判決に苦しんだ裁判官の苦しみをも解き放つものでした。

© 静岡放送株式会社