一面の苔が神秘的!苔と杉木立が美しい平泉寺白山神社の魅力を徹底解説

平泉寺白山神社は、約1300年前に白山信仰の拠点として開かれた白山平泉寺を前身とする神社です。境内の一面に広がった美しい苔の様子から”福井の苔宮”と呼ばれています。そんな平泉寺白山神社の魅力を紹介します。

平泉寺白山神社とは

平泉寺白山神社は、1300年前の717年に越前の僧”泰澄”によって開かれました。

やがて平泉寺は僧侶や山伏たちの白山信仰の拠点となり、白山の越前側の登山口として栄えた宗教都市です。

源平時代には木曾義仲が戦勝祈願したり、京から逃れた源義経と弁慶が立ち寄るなど武士からも信仰を集めていました。

今から約650年前には最盛期を迎え、敷地内に48の神社・36の寺院・6000の坊院(僧の住宅)があり、約8000人もの僧兵が生活をしていたといわれています。

当時の日本では最大規模の宗教都市でした。

しかし1574年の一向一揆との戦いで敗れ全て焼き尽くされてしまい、現在の境内は約500年前に再興された社殿などが残ったものと言われています。

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平泉寺へのアクセス

公共交通機関の場合

・平日

JR福井駅からえちぜん鉄道「勝山永平寺線」乗車(約55分) 終点の勝山駅 から 市内循環バス「ぐるりん」平泉寺線バス 乗車 平泉寺白山神社前で下車(13分)

・土日・祝日

JR福井駅からえちぜん鉄道「勝山永平寺線」乗車(約55分) 終点の勝山駅 から 観光バス「ダイナゴン」 平泉寺方面に乗車 または勝山駅からタクシーで10分

自家用車の場合

北陸自動車道 福井北JCTから中部縦貫自動車道へ 勝山ICから車で約15分 ※駐車場有り

苔寺ではなく苔宮(こけみや)?

一般的には『白山平泉寺』と呼ばれ”苔寺”として知られている平泉寺白山神社ですが、寺院としての「平泉寺」は明治時代の神仏分離令により廃寺に。

なので現在「平泉寺」は地名として名を残し平泉寺白山神社となり、”苔寺”ではなく”苔宮”が正式な名称だと言われています。

資料館「白山平泉寺歴史探遊館まほろば」を最初に見よう

「白山平泉寺歴史探遊館まほろば」は白山平泉寺の総合案内施設です。入館は無料で9時〜17時までの営業。

平泉寺の歴史の解説や最盛期の境内図などが展示されており、参拝前に来訪いただくとより境内散策を楽しめます。

悪天候や大雪で境内に入れない場合でも、平泉寺の自然や歴史を解説する無料の映像があるので境内の様子を楽しむことができます。

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平泉寺は白山信仰の起源!?

717年の白山開山以降、白山信仰は急速に全国に広まっていきました。

白山登拝が盛んになると、加賀(石川県)、越前(福井)、美濃(岐阜県)にはその拠点となる馬場(ばんば)が設けられ、平泉寺は越前馬場(えちぜんばんば)として、多くの人が訪れ栄えました。

現在白山神社は日本全国に3000社以上あり、白山信仰の起源となった御社が平泉寺白山神社なんです。

神秘的な苔の絨毯!一面に広がる苔が美しい

平泉寺白山神社といえば一番の魅力は境内を覆う苔。

苔が絨毯のように広がり、ついつい寝転びたくなってしまうほど。

苔はヒノキゴケを主としており、周辺を含めると220種類以上が自生しているそうで、これほどの規模に広がる苔は寺社では全国屈指といわれています。

そんな苔の見頃は6月〜7月の梅雨頃。特に雨が上がった翌朝が一番美しいと言われています。

杉の大木の隙間から差す木漏れ日を受けてキラキラと光る苔は神秘的で、思わず「すごい!」と声をだしてしまうこと間違い無し。

個人的におすすめなのは人が少ない早朝です。

まだ薄暗い境内に光芒が差し込み、とても幻想的な景色が広がり静寂に包まれた境内を独り占めすることができるでしょう。

誰もいないからといって美しいその苔をついつい持ち帰りたくなりますが持ち帰りは禁止されています。撮影の際などにもロープの中に立ち入らないなどルールを守り楽しんでください。

白山の女神が現れた伝説が残る「御手洗池(みたらしいけ)」

御手洗池は別名平泉といい、平泉寺発祥の地と言われています。

泰澄がこの場所を訪れ拝んでいたところ、池の中に浮かぶ女神が現れ、その女神のお告げを受け白山を開山したという伝説の地です。

この時に泰澄によって植えられた杉が今もなお残っており、幹の途中から3本に別れ白山3社をかたどる形となっています。

この形から三又杉と呼ばれ、平泉寺白山神社の御神木として注意縄(しめなわ)が張られています。

美しい杉木立の中に佇む樹齢約450年巨木「若宮神社の大杉」

平泉寺の景観で苔と並び注目してほしいのが境内の杉木立です。

整然と並んだ杉の巨木に力強さを感じながら、どこか落ち着いた雰囲気も感じることができます。

中でもひときわ目を引くのが「若宮神社の大杉」です。

1574年の一向一揆との戦いに敗れ全山焼失した平泉寺ですが、その戦火を耐えて残った「平泉寺7本杉」の一つが若宮神社の大杉といわれています。

幹回りは5mもあり、四方八方に伸びる枝がまるで千手観音のよう。

触れるくらいに近づくことができるので、足を運んでぜひ行ってみてください。

発掘された遺跡を歩くことができる!中世最大規模の石畳道

全山焼失により白山平泉寺の多くの坊院跡は山林や田畑の下に埋もれてしまいましたが、平成元年から始まった発掘調査によって河原石が敷き詰められた石畳道や坊院跡が発見されました。

発掘調査によって整然と区画された形で姿を現し、中世宗教都市としては国内最大の遺構が確認され、当時の繁栄がうかがえます。

発掘されたのは全体のわずか1%分ほど。

境内全体は200ヘクタールもあったとされ、世界で2番目に小さいモナコ公国よりも広い面積を有していたといわれています。

石畳の道は1キロにも及び敷き詰められ、当時の僧たちが九頭竜川から取ってきた河原石を人力で運んで作った道だそうです。

神仏分離の痕跡 首無し地蔵

約150年前の神仏分離令により仏教に関わるものはことごとく破壊するという廃仏毀釈の運動が盛んに行われました。

当時の白山平泉寺も例外ではなく、神仏分離の傷跡が二の鳥居と三宮を繋ぐ道の途中にある納経所に残されています。

その代表的なものが首無し地蔵です。

首を折りとることで仏教との関わりを絶つ意味合いがあったそうです。

断崖絶壁の東尋坊の由来は平泉寺だった!?

東尋坊といえば福井県を代表する観光地ですが、その名の由来はこの崖から落ちた「東尋坊」という僧の名前から命名されています。

東尋坊という僧は周りから悪僧と評判で、「あや姫」という美しい娘に惚れていました。

ある日、同じ寺の僧「真柄覚念」とあや姫が手をつなぎ歩いているところを目撃します。

それを見た東尋坊は陰から石を投げ、娘を殺しました。

そして年が明けた4月5日、宴で酒に酔っぱらった東尋坊を、真柄覚念が仇をうつために絶壁へ突き落としたといわれています。

この伝説に登場する東尋坊が平泉寺の僧の一人で、実際に平泉寺白山神社にも東尋坊が住んでいた跡が残されています。

中でも「東尋坊屋敷の井戸」は、突き落とされた怨念で井戸を血で染めたという伝説も残っています。

1300年の歴史と苔の絶景を見に行こう

今回は平泉寺白山神社の魅力を歴史を含めてご紹介しました。ここまで読んでいただきありがとうございます。

ぜひ平泉寺白山神社に一度足を運んで頂き自然のパワーを感じてみてください!

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