世界フィギュア・カナダ代表の先祖は日本からの移民第1号だった 開幕直前、羽生結弦さんとのエピソードやラストダンスへの思い語る

2019年、カナダのオークビルで行われた「オータム・クラシック」で優勝した羽生結弦(中央)と3位だったキーガン・メッシング(右)

 3月22日に開幕するフィギュアスケートの世界選手権(さいたまスーパーアリーナ)に、31歳のキーガン・メッシング(カナダ)は特別な思いを持って臨む。今季限りで引退するスケーターの母方の高祖父は、日本からカナダへの移民第1号とされる永野万蔵。出身地の米アラスカ州から応じたオンライン取材で「自分の家族が始まったところでキャリアを終えることに巡り合わせを感じる」と感慨を語った。(共同通信=木村督士)

 ▽日本にルーツ

 2018年平昌、22年北京両冬季五輪に出場し、今年に入ってからも1月のカナダ選手権で2連覇、2月の四大陸選手権(米国)で三浦佳生(オリエンタルバイオ・目黒日大高)に次ぐ自己最高の2位。メッシングは、屈託のない笑顔と情熱的な滑りで多くの観客を引きつけてきた。
 元選手の妻との間に1男1女を授かったパパで、得点を待つ「キス・アンド・クライ」ではスマートフォンのテレビ電話で子どもに語りかけることもある。エキシビションに引っ張りだこで、試合では禁止されている豪快なバックフリップ(バク宙)は見どころの一つ。長年、第一線で活躍してきたが、日本にルーツがあることは意外と知られていないのかもしれない。

四大陸選手権で銀メダルを獲得したキーガン・メッシング=2月11日、コロラドスプリングズ(USAトゥデー・ロイター=共同)

 ▽上皇さまも言及

 「貴国とわが国との交流は、1877年、長崎県出身の永野万蔵が、ブリティッシュコロンビア州のニュー・ウェストミンスターに上陸し、貴国に移り住んだことに始まります」。2009年に首都オタワで開かれたカナダ総督夫妻主催の晩さん会。友好親善を図るため、同国を公式訪問していた当時の天皇陛下(現上皇さま)のお言葉だ。
 永野は日本との行き来もありながら最終的に1920年代に帰国。地元南島原市の口之津歴史民俗資料館によると、1924年に亡くなり、故郷の墓所に眠っている。1977年には移住から100年を記念してブリティッシュコロンビア州の山が「マウント・マンゾウ・ナガノ」と名付けられた。

家族と写真に納まる永野万蔵(前列中央)(Item M07756・City of Victoria Archives提供・共同)

 メッシングはオンライン取材で永野から自身に至る家系を説明し「自分の中に流れる日本の血、連綿たる伝統をとても誇りに感じてきた。日本文化にも敬意を払ってきた」と末裔としての自覚を言葉にした。

 ▽羽生結弦さんとの一幕

 日本のフィギュアスケートファンの心をつかんだ一幕がある。2019年に、カナダのオークビルで行われた国際大会「オータム・クラシック」の表彰式。優勝した羽生結弦さんをたたえる君が代が流れる中、表彰台の後ろに立てられていたメダリストの国旗は力なく垂れ下がっていた。
 3位だったメッシングは、日の丸がはっきりと見えるように端を持ち、ピンと広げた。「自分が勝ったとしたら、国旗を掲げてほしいと思った」からだ。この紳士的で思慮深い行動は国際オリンピック委員会(IOC)のインターネットメディア「五輪チャンネル」でも紹介され、多くの称賛を浴びた。
 実は「彼の国旗に触っても良かったんだっけ?」との迷いもよぎったという。しかし「(羽生さんが)こちらの思いを理解しているように思えた。彼のために旗を掲げることができて良かった」と当時を述懐。「たとえ誰のためであっても自分は旗を持っていただろう」と断った上で「日本のために旗を掲げることができて、とてもうれしい。日本には常に親しみを感じてきたから」と明かした。

2019年、カナダのオークビルで行われた「オータム・クラシック」で優勝し、表彰台で歓声に応える羽生結弦(中央)と3位だったキーガン・メッシング(右)

 ▽弟の死乗り越えて

 フィギュアスケート男子で30代まで現役を続ける選手は少ない。初めて五輪と世界選手権への出場を果たしたのが2017~18年シーズンと遅咲きだったこともあり、さらなる成長の可能性を感じて「よし、あと2年はやろう」と決心した。そんな脂が乗りきっていたベテランを悲劇が襲う。
 19年9月に弟が事故死。落ち込んだ気持ちを立て直すのは、簡単ではなかった。迎えた新シーズンは思うような成績を残せず「自分を奮い立たせたかった。尻すぼみな形では終わらせたくなかった」。もう一度輝きたいとの熱意が、ここまで現役を続ける原動力だった。
 今季は「メダルのためにスケートをしていない。経験のため、観客のためにスケートをしようと努めてきた」と心境に変化もあるようだ。ジャンプの調子に波があっても「演技を価値あるものにすることは常に目指せる。たとえ失敗があったとしても、それを吹き飛ばすほどの演技で観客に喜んでもらう。今季は主にそこを目標にしてきた」とファンの存在を意識して氷の上に立つ。
 四大陸選手権で自己ベストを更新したばかりで、競技生活に別れを告げるにはもったいない気もする。翻意する可能性はないのかと尋ねると、こんな答えが返ってきた。
 「(演技が)終わった後に自分も本当に引退したいのかと自分に問いかけた。でも、すぐにお尻や背中に張りを感じて、やっぱりね…と。昔より体が痛みを感じるようになっている」。心よりも体の限界が何よりの理由。家族が増えたことで、競技の優先順位が変わりつつあることも一因に挙げた。

四大陸選手権で演技するキーガン・メッシング=2月11日、コロラドスプリングズ(USAトゥデー・ロイター=共同)

 ▽サヨナラを伝える

 世界国別対抗戦(4月・東京)も代表に選ばれれば出場する意向で、ラストダンスはいずれにしても日本になる見通しだ。2014年まで米国代表だっただけに、米コロラドスプリングズで出場した1カ月前の四大陸選手権も温かい声援で支えられた。最後のシーズンは縁の深い国々で滑るチャンスを手にし「サヨナラを言う全ての機会に恵まれている。日本では一度ならず二度もキャリアの最後を飾れそうで非常にありがたい」と感謝する。
 引退後は、60代にしていまだ現役の消防士という父の背中を追い、同じ道に進む選択肢がある。スケート界でも後進の指導やアイスショーに携わることを視野に入れ「日本でショーをやりたい」と構想を語る。
 前回日本開催だった19年の世界選手権で、さいたまスーパーアリーナは2万人に迫る観客がスタンドを埋めた。「どれほど競技を愛しているか、どれほどファンから受けた愛情に感謝しているかを伝えたい」とメッシング。演技を通じて日本のファンと対話できる機会を心待ちにしている。

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