JFA“ナンバー3”に抜擢のツネ様、一体どんな仕事をしてるの? W杯2度出場のレジェンド、FIFA運営の大学院も修了

日本サッカー協会の専務理事となった宮本恒靖氏=2月22日

 サッカー元日本代表主将の宮本恒靖氏(46)が2月1日付で日本サッカー協会(JFA)の要職、専務理事に就任した。選手時代はG大阪でJ1を制し、ワールドカップ(W杯)に2度出場した名DF。現役引退後、国際サッカー連盟(FIFA)が運営する大学院「FIFAマスター」を修了した経験も持つ宮本氏に、日本サッカーの展望などを聞いた。(共同通信=岡田康幹、大沢祥平)

 ▽異例の抜てき 専務理事って何をする役職?

 ―JFA専務理事は会長、副会長に次ぐ「ナンバー3」の職位と言われます。昨年3月から務めていた理事とはどう違うのでしょうか。どんな仕事をするのでしょうか。

 「大きく変わったのは、決裁システム上での申請の許可や承認です。1日10件ぐらい上がってくるものを『認めます』『認めません』みたいなこと。例えば、この間行われた女子日本代表の米国遠征の予算と費用も見ています。理事のときは(決裁権は)ありません」

 ―1日のスケジュールは。

 「例で言うと、午前9時に来て、サッカーや社会的な情報を一通り集め、9時半から決裁をする。10時からミーティングをして、職員の方とのランチ会もやる。各部署の人とご飯を食べながら、やりたいことを聞いたり、雑談をしたり。職員と経営層の距離感が少しあるというアンケートの結果もあったので。そこは組織を改善するために大事なポイントです。Jリーグの理事もやっているので、Jリーグの理事会に出て、その後も会議があって、といった感じで動いています」

インタビューに応じる宮本恒靖専務理事=2月22日

 ―理事就任から1年足らずで専務理事に就きました。

 「もうちょっと、いろいろ見てからの方がいいんじゃないかというのは正直、思いました。でも、学びつつやることもできるという判断もありました。今度、オフィスも変わりますし、組織が変わっていくべきかなと思うこともありました」(JFAは東京都文京区の「JFAハウス」を売却し、6月から同区のトヨタ自動車東京本社ビル内に事務局を構える)

 ―JFA内部に入ることで変えていきたいものは見えてきましたか。

 「(職員が)アイデアを出すのに、バリアーみたいなものがある。それを取り除いて、意見を言えるようにしようよ、と。ボトムアップは必要で、ヒントがあると思います。もちろん、しっかりと決断しなきゃいけないところもあります。みんな目的は同じ。『2050年にW杯で優勝するんだ』『日本でサッカーをもっと大きなものにするんだ』といろいろな取り組みをしているのですが、伝わっていないのはもったいない」

2002年W杯日韓大会のトルコ戦でプレーする宮本恒靖選手=宮城スタジアム

 ▽新鮮な経験「FIFAマスター」

 ―現役引退後に「FIFAマスター」を修了しています。いずれは経営やフロント業務に携わるイメージを持っていたのでしょうか。

 「大きかったのは、ザルツブルク(オーストリア)でプレーをしたときに(強化や財政の責任を持つ)GM(ゼネラルマネジャー)の存在が大事と思ったこと。サッカーの指導以外のことも勉強したいと思い、FIFAマスターに行きました」

 ―スポーツ関連の歴史や法律、経営論を学ぶ「FIFAマスター」受講時はどのような生活だったのでしょう。

 「本当にいろいろな国から(受講者が)来て、いきなり共同生活が始まります。寝る部屋は別といえど、リビングは一緒。当時35歳で、そういう生活はかなり新鮮で濃かった。英国のレスターでは学生寮で、夕飯をつくる係がいたり。俺はもっぱら皿洗いをしていました。今でも(同期生とは)連絡を取り合います。人生観の広がりはありました」

2005年12月、J1初優勝し、チャンピオンフラッグを掲げて喜ぶG大阪・宮本恒靖選手=等々力

 ―選手時代とは異なる人脈も。

 「例えば、FIFAのインファンティノ会長の秘書はFIFAマスターの卒業生です。『初めまして』ではなく『何期生?』というところから始まるので、関係は一気に近くなる。そういうのは大きい。(国際会議での周囲からの)見方も変わります」

 ―FIFAマスター修了後、G大阪で育成年代の指導者やトップチームの監督を務めました。

 「G大阪で監督もやり、違うキャリアを選ぶタイミングかなというときに、協会での仕事という話をもらいました。1年くらいたちますが、徐々に見えてきたものもあります。思っていたよりも早いタイミングで専務理事になったのは間違いないですが、そういう立場にいるからできることはたくさんあります」

インタビューで笑顔を見せる宮本恒靖専務理事=2月22日

 ▽サッカーが好きになった人たちとつながりたい

 ―代表主将を務めたトップ選手が組織の中枢を担います。

 「チームとのコミュニケーションなど、現場については間違いなく強みです。例えば、『代表選手はこういうものを求めてるんじゃないか』ということを提供できる。一方、マーケティング面、スポンサー、パートナーとの向き合いといったところは学びながらのところもあります」

 ―知名度があり、ある意味「広告塔」の役割も期待されているのでしょうか。

 「それはポジティブに捉えています。選手、指導者としてのバックグラウンドを知ってもらっているということはアドバンテージにしたい。インスタグラムも始めました。協会やサッカー界をより良くしていくために発信ができたらいい」

 ―具体的に実現したいことは何でしょうか。

 「いろいろあります。現場レベルで言えば、子どもたちのところです。今、暴力や暴言をなくそうという中でも、辛辣な言葉が飛んでいる。監督やコーチは子どものころに言われてきたから、当たり前と思っている。親もそういう指導がいいという方がいるかも知れません。でも(子どもたちの立場から)整理したい。女子サッカーの競技レベルをどう上げ、お金を生むかもそうです。代表選手と一緒にどうやってJFAという組織を良くしていくのか、というのもあります」

2006年6月、日本代表のボンでの合宿の練習を前にジーコ監督(右)と話し込む宮本恒靖選手(共同)

 ―日本代表情報が閲覧できたり、個人のサッカー活動が記録されたりする公式アプリ「JFA Passport(パスポート)」の開発にも携わったと聞きました。

 「みんなが日頃触るように、まだまだ修正が必要です。JFAのIDを持っている人は120数万人いる中で(アプリの利用者は)13万人強。もっと広めたい。ID登録は手続きとして煩雑なので、簡素化することで、たくさんの人に入ってもらいたいという考えはあります。W杯を見てサッカーが好きになったという人たちにもつながってもらいたい。ずっとつながるのは難しくても、点と点でつながるイメージでいい。W杯で結びつくようになり、ちょっと薄くなりつつも、また五輪で帰ってきます、と。それが、サッカーが好きな人が多い社会ということになるのではと思っています」

 ―理想の風景はありますか。

 「(欧州とは)歴史的な背景が違います。イングランドのプレミア・リーグのスタジアムがなぜ便利なところにあるのか。街ができつつあるときに、もうサッカーという競技が存在していたので、日本とは違います。でも『3世代が毎週末スタジアムで、テレビで試合を見る』、そういう状態になってほしい。三笘薫(ブライトン)久保建英(レアル・ソシエダード)みたいに、トップのところでたくさんの日本人が活躍しているのも重要。そのためには普及や育成がものすごく大事です。この仕事をやってみて思うのは、全てがつながっているということ。そういう思いに共感してもらうために、発信力も大切です」

インタビューに応じる宮本恒靖専務理事=2月22日

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 宮本 恒靖氏(みやもと・つねやす)1995年にG大阪入りし、2005年にはJ1制覇を経験した。W杯は2002年日韓大会、2006年ドイツ大会に出場。日本代表で長く主将を務めた。ザルツブルク(オーストリア)、神戸でもプレーして2011年に引退した。「FIFAマスター」修了。G大阪の監督を経て、昨年3月に日本サッカー協会理事に就任。大阪府出身。46歳。

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