桃の生産地だった綱島の歴史をとどめる池谷家

香りが高く病害にも強い極早生品種「日月桃(じつげつとう)」を明治40年頃に生み出したのが綱島の池谷道太郎(いけのやみちたろう)さん。その後近隣40軒以上の農家が桃を作り東京に出荷していました。池谷家は、南綱島村の名主として鶴見川の治水に尽力した家です。トップ画像は、安政4年(1857年)に建てられた池谷家住宅入口。

庭先に「日月桃」の石碑があります。内容を記します。

古来綱島の地は鶴見川度重なる氾濫により農民の苦労は計り知れないものがあった。明治30年代この地に当家の池谷道太郎が川崎方面より桃の栽培を導入し研究に研究を重ねて、病気に強く味も良い水蜜桃の極早生日月桃を明治40年発見発表し苗木を全国に頒布し綱島のブランド品として名声を博した。しかし昭和13年の大氾濫と戦争の激化により栽培も消滅した。この功績を後世に伝えるべくかねて親交のあった元侯爵中御門経恭氏書なる石碑を平成11年5月孫光朗之を建つ。

現在も綱島では唯一池谷さんが伝来の日月桃を栽培していて、直売所で販売されています。少量生産なのですぐに売り切れてしまう様です。一度食べてみたいですね。

桃の結実、販売については池谷桃園で告知されます。

池谷住宅への歩行者通路から再開発エリアの西側の道路に出て綱島街道に向かっています。

前回のトップ画像に使った新綱島駅出入口が見えて来ました。

その出入口の正面から西に入り鶴見川の土手に登りました。

鶴見川、綱島街道の大綱橋です。対岸に渡れば「ラジウム霊泉湧出記念碑」が移築されています。

綱島街道と大綱橋。

鶴見川の案内板。クロベンケイガニ、マハゼ、テナガエビなどが棲息している様です。市民団体が河川のクリーンナップや植生の管理をしていると書かれています。

綱島街道を戻ってきました。新綱島駅が開業して再開発が落ち着いたらまた散歩に来たいですね。

(写真・文 / 住田至朗)

※写真は全て2023年3月6日(月)撮影

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