長崎被災協・横山副会長「核で人は守られない」 運動の歴史語る

被爆者援護や核兵器廃絶の運動の歴史を語る横山さん=長崎市岡町、長崎原爆被災者協議会

 長崎原爆被災者協議会(長崎被災協)の横山照子副会長(81)は18日、被爆者運動の歩みについて長崎市内で講演した。被爆者がけがや放射線障害などに苦しみながら、国の援護や核兵器廃絶を求めてきた歴史を紹介。今なお国内外に根強い核抑止論に対し「核兵器によって人は守られない。核被害(の実相)を広め、国民的な声で覆さなければ」と語った。
 横山さんは4歳の時、疎開先から原爆投下後の長崎に戻り入市被爆。1972年から被災協の相談員を務め、生活や制度面で被爆者支援に取り組んでいる。
 45年8月の原爆投下後、57年の旧原爆医療法施行まで国による被爆者援護はなく、被爆者は困窮した。横山さんは78年に出会った被爆者女性のケースを紹介。女性は背中や足などに大やけどを負ったが十分な医療を受けられず、立ったり歩いたりするときにかかとが床に着かない状態で30年以上暮らしていた。横山さんは「(援護がない)空白の10年が被爆者の人生を左右した」と指摘する。
 長年にわたる被爆者の証言活動や国への要望活動により「援護は少しずつ社会保障の枠の中で進んだ」と横山さん。一方、戦争を遂行し原爆被害の原因をつくった国の「国家補償」による援護や、核兵器廃絶は実現していない。「多くの被爆者が、再び被爆者をつくらない証しとして実現してほしいと願いながら亡くなった。核兵器は絶対悪。国は原爆被害をきちんと見据えてほしい」と求めた。

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