AED普及への思いを語るジョーダン・フェイゾン(横浜エクセレンス) - ある日、一つの命をつなげられるために

家族の突然死という辛い体験は、あらゆる人の生き方を変えるに違いない。その人にとっての愛すべき存在、人生のスーパースターが、何の前触れもなく手の届かない世界へと旅立っていってしまう。

横浜エクセレンスで活躍している身長201cmのパワーフォワード、ジョーダン・フェイゾンは、自身が9歳だった2004年に、当時まだ36歳の若さだった父親デリックを肥大型心筋症により失った。

デリックはかつてNFLのロサンゼルス・ラムズなどでプレーした経歴を持つ元フットボール・スターであり、プロキャリアを終えた後だった急逝当時は、ロサンゼルスに近いオレンジ・カウンティーで社会への適応に苦労している若年世代の支援に携わる教育者の立場にあった。

過去の記事をひもとくと、「その時」の情景も記されている。2004年6月27日、ジョーダンと弟のジャスティンを連れてアーバインにあるバスケットボール・コートに赴いたデリックは、幼い兄弟の目の前で倒れ、そのまま帰らぬ人となったのだ。

フェイゾン家の生き方はその日から変わった。もちろんジョーダンもだ。

「悲しい出来事があってから、家族でデリック・フェイゾン基金を立ち上げました。日本からも基金の公式ウェブサイト(文末参照)を見て寄付をしてくれた人が何人かいるんですよ。もし機会があれば、ウェブサイトを見てくれたら大変うれしいです。ためになる情報をたくさん掲載していますから。父を襲った肥大型心筋症という病気を知ることができます」

同サイトの記述によれば、ジョーダンの母レジーナが愛する夫デリックの生涯を称える形で基金を立ち上げたのは、悲劇の日から間もない2004年7月。基金の目的は、デリックと同じことがほかの誰にも起こらないように、また自分たちと同じ体験で悲しみの縁に立たされる人が一人も出ないようにすることだ。そのためにフェイゾン家で団結して基金を運営し、寄付で集めた資金でカリフォルニアのコミュニティーにおけるAED(自動体外式除細動器)設置数を増やす取り組みや、その使用方法やCPR(心肺蘇生法)を広める講習会の実施、心臓検診の定期受診の呼びかけなどを行っている。

アーバインのバスケットボール・コートの近くには、AEDがなかったという。あの時、もしもそれがあったなら…。

そんな思いを家族で共有する中、長男であるジョーダンは、プロアスリートとしての活躍と並行してこの基金の活動に力を注いでいる。「僕たちはそれぞれが特定の役割を担っています。僕の役割は弟とともに基金の拡大に向けたアイディアを検討すること。人々との交流を図るために定期的なニュースレターを発信したり、様々な工夫をして心臓に関する新しい情報を届けています。アメリカに戻っている時期には、母と弟と一緒になって高校や青少年センターのような場所でCPR教室もやるんですよ」

家族はそれぞれが、この活動と別に自身の人生を切り開くための仕事を持っている。ジョーダンの場合、その舞台が日本であるだけに難しさも伴うが、それでもブレインストーミングに参加し、資金を集めるためのチャリティーTシャツのデザイン(元NFLプレーヤーの父をモチーフにしたフットボール・プレーヤーのイラストを採用したそうだ)に携わるなど積極的だ。

突如として襲いかかった悲劇を前向きな力にして、社会的に意義のある活動を展開しているジョーダンとフェイゾン家の生き方は、決して簡単にできることではないだろう。デリックへの愛情や感謝、その家族として恥ずかしくない生き方をしたいという思いなど、そこから多くのものが伝わってくる。

横浜EX躍進を支える万能タイプのビッグマン

今シーズン、B3からB2への昇格に向けて格闘中の横浜エクセレンスにあって、ジョーダンは「心優しきGo-to Guy」というキャッチフレーズで親しまれる存在だ。

今シーズンは3月19日までの第23節を終えた時点で46試合すべてにスターターとして出場し、平均19.2得点、8.9リバウンド、4.3アシストにリーグトップの1.24ブロックという申し分ないアベレージを記録している。同日時点で34勝12敗の成績を収め、すでにプレーオフ進出を決めている横浜エクセレンスの躍進を支える原動力と言うべき存在だ。

インサイドもアウトサイドもこなし、ペイントでの肉弾戦でもトランジションでも強い。特に見応えがあるのは、ペリメーターからドライブしていく軽やかなステップと状況判断だろう。ビッグマンが相手でもスピードに長けたガード陣が相手でも、ゴールに至る道を見つけ、切り開いていく。

もうひとつの長所は、熱くなりすぎてしまいそうな場面でも取り乱すようなことがほとんどないことだ。コートビジョンも秀でており、オープンの味方をタイムリーに見つけてボールをシェアできる。行動力、遂行力、落ち着き、的確な状況判断。コート上のジョーダンの様子は、オフコートでの生き方を映す鏡のようなものとも感じられる。

バスケットボールを始めたのは5歳の頃。「両親がクラブリーグのようなところに入れてくれて、プレーし始めました。ほかのスポーツもやったことはありますが、バスケが一番楽しいですね」。ロサンゼルス出身で、人気チームであるレイカーズのコービー・ブライアントが1試合81得点を記録したり、レイカーズがボストン・セルティックスとのNBAファイナルで第7戦にもつれ込む大激戦を制して王座に就いた時期を見ているはずなのだが、好きなチームはマイアミ・ヒート、あこがれはドウェイン・ウェイドだという。

「同じ時代にスーパースターが多かったからか、彼はとても過小評価されていると思います。でも最初に見た試合がヒートの試合で、ウェイドのプレーは本当にびっくりしました。すごかったんですよ!」とジョーダンは語る。それが現在の万能的なプレースタイルの土台だ。また、大方がレイカーズファンだった中で、仲間とのトラッシュトークが反骨心を養う要素にもなっていたかもしれない。

日本でも心臓検診の受診、CPR資格取得を呼びかけ

「バスケットボールは心の動きを伴う詩のようだ」――ジョーダンはそんな表現でこのスポーツの魅力を語る。コート上の5人が同じ目標に向かって結束し、チームプレーが人々を一つにしてくれる。そこから生まれた友情は、いつしか家族のような絆へと昇華していく。そこが好きなのだという。自らの家族が体験した悲しみを、それが少しでも埋めてくれるものだからなのか。それはわからない。

カリフォルニア州立工科大ポモナ校では、NCAAディビジョン2の舞台でバスケットボール・プレーヤーとして活躍するだけではなく、心理学専攻の学生としても多くを学んだ。“カル・ポリ”と短縮された通称でも知られる同大は心理学で有名な大学ではないが、USニューズ&ワールド・レポート誌の全米大学ランキングで「革新的な大学」の4位、「西部の公立大総合」の2位に入ったほど、エリート大学として高い評価を受けている。

ジョーダンはそこで、バスケットボールだけに偏った学生生活ではなく文武両道での飛躍を目指した。プレーヤーとして引退した後には大学院に戻って修士号を取る考えもあるという。

人生におけるそうした選択に、父親デリックの影響がどれだけあるか、それも計り知ることは難しい。しかし、「あのときその場になかったAED」とその活用方法を社会に広めていくという、アスリートとは別の立場での目的を達する上で、学業に向けられた意欲は間違いなく大きな力になる。

日本のバスケットボール・ファンに向けて、AEDアドボケイトとして何か伝えたいことがあるかを尋ねると、ジョーダンは以下のようなことを話した。

「日本の健康管理は進んでいるので定期検診は身近だと思いますし、ぜひ皆さんも心臓の定期検診を毎年欠かさないようにしてください。アメリカでは少し事情が違うので、『毎年欠かさないように。念のためですから』という呼びかけを盛んにしています。もしCPR資格を取れるなら、さほど費用もかからないはずなので、取得をおすすめします。いつどこで人の命を救わなければならないことになるか、誰にもわかりませんから。日本の人々にもCPR資格と心臓検診の受診を勧めたいです」

毎日は贈り物(Each day is a gift)――デリック・フェイゾン基金のホームページにはそう記されている。

☆デリック・フェイゾン基金について

ジョーダンの父デリックの名を冠したデリック・フェイゾン基金は、下記の公式サイトで寄付を募っている。興味のある方はぜひ閲覧を。

Derrick Faison Foundation URL: https://www.dfaison.org/

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