外国人研修生に京セラフィロソフィをどう伝えたら…稲盛さん本人に聞いたが答えは「分からん」。でも真剣に考えてくれて感激した

稲盛和夫さん

 京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が2022年8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。

■松栄軒社長・松山幸右さん(49)

 稲盛和夫さんとの出会いがなければ、会社をつぶしていただろう。出水市にUターンして駅弁屋を手伝い始めた2004年ごろは経営状態がよくなかった。銀行の担当者から「どんな状況か分かって帰ってきたのか」と言われるほどだ。見返そうと必死で危機を脱したが、当時は売り上げしか頭になく、社員にきつく当たることもあった。

 取引がある熊本市の弁当メーカーの会長に紹介されて盛和塾に参加した。何のために事業をするのかという理念が大事で、それを数字にしたものが経営計画だという教えは反骨心だけで経営してきた自分には衝撃だった。社員を物心両面で支え客に喜んでもらうという利他の心も学んだ。

 京セラのフィロソフィ(哲学)をもとに松栄軒フィロソフィをつくり、毎朝社員の前で話し始めた。初めはうまく話せなかったが、8年、9年と続けるうちに稲盛さんの考えが自分にすり込まれ数字もついてきた。会社だけでなく人として成長させてもらった。

 稲盛さんとは3度お会いした。最も印象深いのは2017年の盛和塾世界大会。稲盛哲学とともに成長してきた経営体験を発表した。前夜、同じテーブルで食事したとき、「長く勤められない外国人研修生にフィロソフィを伝えるのに苦労している」と話すと、稲盛さんは「難しい問題やな」と言って考え込んだ。「うーん」とうなって数分後に「分からん」と。答えはもらえなかったが、真剣に考えてくれたことに感激した。

 翌日の発表は最前列で聞いてもらい、舞台で賞状と記念品を渡された。当時の写真の和やかな表情の稲盛さんと笑顔の自分を見ると、本当にうれしかったことを思い出す。

 新型コロナウイルスの流行で売り上げが半減したが、「常に創意工夫を」「経費は最小に」という教えに導かれて取引先を開拓し、駅弁屋から食品メーカーへと生き残りを図った。一緒にフィロソフィを勉強している社員も同じ方向を向いてくれた。今期はコロナ前を超えるほど業績が回復している。稲盛さんのおかげだ。

盛和塾世界大会2017で経営体験を発表し、稲盛和夫さんから賞状を受け取る松山幸右社長=2017年7月、横浜市(松山さん提供)
盛和塾世界大会2017で経営体験を発表し、稲盛和夫さんと握手する松山幸右社長=2017年7月、横浜市(松山さん提供)

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