「迷うのは当たり前だと思っている」苦悩と向き合い震災の教訓伝える “あの日”高台へ逃げた女性

「東日本大震災の発生から12年。その教訓を静岡の方にも知っていただきたい」

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2022年3月まで7年間、岩手県内のテレビ局で働いていた私は、2023年2月、防災報道特別番組の取材のため、岩手県釜石市へ取材に向かった。話を伺ったのは、菊池のどかさん(27)。岩手県内外で語り部として活動するなど、“防災”を仕事にしていて、岩手にいた頃から、取材させてもらった経験のある女性だ。

語り部の活動を続ける菊池のどかさん

震災当時、菊池さんは中学3年生。釜石市では、多くの子どもたちが率先して高台に避難し、津波の難を逃れ、命を守ることができた。市内の小中学生の生存率は「99.8%」。当初は“釜石の奇跡”とも呼ばれた(現在は、釜石の“出来事”と表現)

「避難できたのは、偶然の要素も大きかったが、事前の防災教育の中で知ることができた部分も大きかった」菊池さんはそう振り返る。

一方で、釜石市では、震災で1,146人もの死者・行方不明者が出た。(2023年1月時点、岩手県まとめ)菊池さんの中学校があった鵜住居地区では、本来避難場所に指定されていなかった地域の「防災センター」に、多くの住民が集まり、命を落としてしまった事例もあった。

事前の防災教育の中で身に付けた知識を地域の大人たちに発信する活動も実施していた菊池さん。

「自分たちの声は届いていなかったのではないか。生き残ったことが申し訳ない」とかつて涙ながらに語っていたこともあった。

常にまっすぐ伝承活動に向き合えたわけではなく、“苦悩”も抱えていたのだ。それでも、発災から12年のタイミングの今回、菊池さんに心境を伺うと、意外な答えが返ってきた。

「正解があるかはわからない。悩み続ける日々もあったが、今は迷うのは当たり前だと思っている」

悩む自分も“受け入れた”菊池さんの表情は、すがすがしくも見え、「何か一つ、壁を越えられたのかもしれない」と感じさせた。

これからも伝承活動を続けていきたいという菊池さん。

「今までは『私はこうだった』という話しかできなかったが、これからは『震災後考えたことのある12年間』の話もできたらと思うし、一人でも多くの人が防災的な観点で自分の街をもう一度見るきっかけをつくりたい」。

岩手にゆかりのある一人のアナウンサーとして、私もその一助になりたいと、身が引き締まる思いだった。

そして、菊池さんのように12年で心境に変化のあった人もいれば、いまだ心の整理のつかない被災者もいる。これも、私たちが忘れてはいけない現実である。

(SBSアナウンサー 滝澤悠希)

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