「本当は思い出したくない。でも聞きたい人がいれば」荒木登志男さん(84) 体験、絵や手記に

手作りした爆撃機の模型を手に、戦争体験を話す荒木さん=諫早市高来町

 空襲警報のけたたましいサイレンが鳴る中、空全体を埋め尽くすような大軍で飛来した敵機。簡素な手作りの防空壕(ごう)に飛び込み恐怖に震えた。子どもながらに衝撃を受け、今でも鮮明に残っている。そうした記憶の一つ一つを、数年前から絵や手記としてかき残している。すべてが孫と次の世代に伝えたい戦争体験だ。
 1939年生まれ。84歳。終戦は小学1年生の時だった。生まれ育った湯江町(現・長崎県諫早市高来町)は、幸いにも大規模な空襲被害は少なかったが、爆弾が落ちてくるかもという恐怖から逃げ回ったことは、昨日のことのように覚えている。
 44年の冬、かわいがっていた愛犬を警察署に連れて行くと、棒を持った男性が来て、犬は目の前で殴り殺されてしまった。一瞬何が起きたのかわからず、ショックを受けた。親たちからは、兵隊さんが寒くないように毛皮を送ってあげられると聞いた。兵隊さんの役に立ったのだ、よかったと思い直した。翌年の初夏には、湯江駅から小長井駅方面に向かっていた汽車に戦闘機が集中砲火を浴びせる様子を目撃した。無防備な汽車が襲われる衝撃的な光景は、恐ろしくて見ていられなかった。
 約30キロ離れた自宅からも原子爆弾のきのこ雲が見えた。数日後、大きな水ぶくれができた人がボロボロの服装で痛々しく歩いていたことや、無事出征地から戻った父に長年かけて聞いた話など、思い出す限り細かく書き留めた手記はこれまでに13編。八つ切りサイズの画用紙に描いた絵は150枚を超える。
 記憶を形にして残そうと思ったのは、現在高校2年生の孫が小学生だった頃、学校での平和学習がつらい、気持ち悪いと打ち明けたことがきっかけだった。悲惨な話を聞くのはつらくても、自分の祖父が体験したことや地元で本当にあった話であれば聞いてくれるのではないかと思ったからだった。子どもでも理解しやすいようにと、戦争の話だけでなく楽しかった思い出も盛り込み、絵は重くなり過ぎないタッチで仕上げた。得意な工作を生かし、木材で爆撃機などの模型も制作した。2020年から、市立湯江小の平和集会で披露している。
 1年たっても終わらないロシアによるウクライナ侵攻。悲惨な現状を伝える戦地の映像を見て「人を殺さなければ自分が殺される。誰もが必死で、それが戦争」「食べることで精いっぱいで、惨めだった。本当は当時のことは思い出したくないし、描きたくもない。でも、聞きたいという人がいれば話さなければ。戦争経験者として、戦争はだめだと訴えたい」。
 一言一言かみしめるように、つぶやいた。
 市へ寄稿した手記は、他の戦争体験者の話と一緒に「戦争・被爆体験手記 戦争のない未来へ~子どもたちへの伝言」という本にまとめられた。本は市立図書館や市のホームページなどで閲覧できる。

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