山内日菜子が地元宮崎で歓喜の涙 QT181位から“史上最大の下剋上”ツアー初優勝

大輪の“菜の花”が咲いた(撮影/村上航)

◇国内女子◇アクサレディス in MIYAZAKI 最終日(26日)◇UMKCC(宮崎)◇6565yd(パー72)

最終組から3組前がプレーしていた、18番のグリーン。パッティングを見守るための静寂が、突然破られた。遠くから、地面が揺れるような大歓声。その理由は、グリーンサイドにある大きなリーダーボードに映し出された。

大歓声の10秒後、地元・宮崎市出身の山内日菜子の名前が一番上へ。それを見た18番グリーン周囲のギャラリーから、また歓声。比嘉真美子と首位タイで並んで迎えた16番で、山内が5mのバーディパットをねじ込んで単独首位に立った。

最終盤の16番(パー3)。ピン奥5mからのバーディパットをねじ込んだ(撮影/村上航)

「16番を獲れた時にホッとした。うれしかった」と一安心したのも束の間。17番のティショットをフェアウェイ右のバンカーに入れた。左足がバンカーの外にはみ出るスタンスの取りづらいライにボールが止まった。「ボールのライはよくて、(問題は)足元だけ。(グリーン)手前に乗ればいいや、という気持ちで打った。なんとなくうまくいくと思ったので簡単に打った。100点です」。140yd、7番アイアンで放った自画自賛のショットは難なくグリーンオン。2パットのパーとして、この日最大のピンチを切り抜けた。

後続と1打差で迎えた17番。スタンスの取りづらいバンカーからの2打目でスーパーショットを放った(撮影/村上航)

パー5の最終18番は105ydの3打目を48度のウェッジでピン8mに乗せ、ファーストパットを30cmまで寄せた。1打差で追う比嘉のバーディパットはカップを逸れて、勝利を確信。「(比嘉)真美子さんが打つまではプレーオフを覚悟していた。自分がパターを打つ時は何も考えなくて、割と早く打った。入れた後の歓声だったり、周りの人の顔を見て、涙が止まらなかった」。自宅から車で20分の“超地元”コースで、涙の初優勝を射止めた。

ウィニングパットを決め、地元ギャラリーの大歓声に応えた(撮影/村上航)

「終わったと思った。調子は悪くない状態で臨めていたので、今年は絶対行けると思っていたときに…。自分のミスなので受け止めるしかなくて」―。昨年11月のファーストQTでの8罰打が響き、QTランキングは181位に低迷。下部ステップアップツアーの出場権を得るのも絶望的だった。今回は主催者推薦出場。2002年のQT制度開始以降、同181位からの優勝は史上最大の下剋上となった。2016年のプロ転向後、シード経験がなく、最終QT進出も17、18、20年しかなかった無名の26歳が「今季ツアー残り試合の出場権+来季のシード権」を手にする人生の逆転劇を演じてみせた。

「プロ8年目。いろんな方の優勝を見てきて、私にもできると思いながらも、そこまでたどり着けなくて…。本当に少ないチャンスを生かせてうれしい」と笑う顔には、大粒のうれし涙が輝いていた。

この勝利で、11月に地元・宮崎開催のツアー最終戦「JLPGAツアーチャンピオンシップリコーカップ」(11月23日~/宮崎CC)の出場権も獲得。「リコー(の出場権獲得)が一番うれしい。毎年その時期はQTを受けていたので」。2度目の地元優勝のチャンスを、自力でつかみ取った。

「父も母も一番近くで応援してくれていたので、優勝の景色を見せたかった。地元でできたので少しは恩返しできたかな」。“宮崎の太陽をいっぱい浴びて育つ菜の花のように”という願いを込めて名付けた両親が見守る前で、見事に大輪の“菜の花”が咲き誇った。(宮崎市/内山孝志朗)

QTランク181位からの優勝は、史上もっとも低い順位からの“大下剋上V”となった(撮影/村上航)

<主催者推薦出場のツアー優勝>
1990年 大王製紙エリエール女子オープン 村井真由美
1992年 安比高原レディース 肥後かおり
1998年 カトキチクイーンズ 上田珠代
2023年 アクサレディース in MIYAZAKI 山内日菜子
※日本人のみ

後続と1打差で迎えた17番。スタンスの取りづらいバンカーからの2打目でスーパーショットを放った(撮影/村上航)

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