「世界最強リーグ・セリエA」90年代の最強ストライカー10名

1990年代から2000年代前半にかけて、世界で最もレベルが高いリーグとして知られていたイタリア・セリエA。

今回はその「90年代に活躍したイタリア・セリエAの最強ストライカー10名」をご紹介する。

ヴィンツェンツォ・モンテッラ

90年代に所属したクラブ:エンポリ、ジェノア、サンプドリア、ローマ

現役通算成績:480試合228ゴール

ローマ時代は中田英寿とともにプレーしたことでも知られる名ストライカー。飛行機のように手を広げるゴールセレブレーションも有名であり、機敏な動きからディフェンスラインを破壊する鋭い動き出しを持っていたほか、優れたパスとドリブルのスキルも備えたオールラウンドなFWでもあった。

ただその一方で2000年代に入ってからはかなり怪我が多くなってしまい、90年代後半から2000年代前半に活躍したのみで、晩年はなかなか本領を発揮できなかった。

エンリコ・キエーザ

90年代に所属したクラブ:サンプドリア、パルマ、フィオレンティーナなど

現役通算成績:557試合203ゴール

ユヴェントスに所属しているフェデリコ・キエーザの父親でもある名FW。4武にあたるセリエC2からのし上がってきた叩き上げの選手であり、下部リーグでの活躍が評価されて徐々にカテゴリを上げてきたというキャリアを持つ。

サンプドリアでは現イタリア代表監督のロベルト・マンチーニと黄金コンビで大ブレイクし、その後パルマとフィオレンティーナでセリエA屈指のストライカーとなった。機敏で力強く、さらにエレガントな選手で、自らゴールを奪うだけでなくアシストも得意。さらにフリーキックの名手でもあった一方、怪我の多さが欠点だった。

クリスティアン・ヴィエリ

90年代に所属したクラブ:アタランタ、ユヴェントス、ラツィオ、インテルなど

現役通算成績:476試合236ゴール

イタリアが誇る「重戦車ストライカー」。圧倒的なフィジカル能力によって強引にディフェンスラインを破壊する選手であり、空中戦でも卓越したパフォーマンスを見せた。そのプレーから「イル・トロ(雄牛)」の異名をとった。

90年代前半はまだセリエBの選手だったが、1997年に一度スペイン移籍してゴールを量産。その後ラツィオとインテルで活躍した。90年代はまだ彼の出始めであるため、2000年代まで入れればもっと上のランキングになるはず。

エルナン・クレスポ

90年代に所属したクラブ:パルマ

現役通算成績:608試合272ゴール

リーベル・プレートから1996年にパルマへと加入したアルゼンチン人ストライカー。その能力はまさに「パーフェクト」。スピード、パワー、技術、献身性、そしてセンスを兼ね備え、どんな形でもゴールを奪える万能性が魅力であった。

パルマでは4シーズンで公式戦151試合に出場して80ゴール。2000年には同じイタリアのラツィオへと引き抜かれ、2000-21シーズンには26ゴールを決めている。

ジャンルカ・ヴィアッリ

90年代に所属したクラブ:サンプドリア、ユヴェントス、チェルシー

現役通算成績:673試合259ゴール

チェルシー時代の「選手兼監督」での成功がよく話題になるヴィアッリであるが、選手のみで見ても素晴らしい実績を持つ。この世代では最強のストライカーの一人であり、高い得点力にチャンスを読むセンス、豊かな身体能力、アクロバティックなシュート、さらにサイドやトップ下もこなすパスセンスもあった。

引退後は解説者や指導者として活動していたが、2018年には膵臓がんの治療を行っていることを告白。回復した後に友人のロベルト・マンチーニに誘われてイタリア代表の団長となったが、残念ながら今年1月6日に58歳で死去した。

ジュゼッペ・シニョーリ

90年代に所属したクラブ:フォッジャ、ラツィオ、サンプドリア、ボローニャ

現役通算成績:614試合265ゴール

イタリア代表ではアリゴ・サッキ監督との対立が原因で活躍できなかったものの、セリエAでは常にゴールを量産した名ストライカー。小柄なためにインテルのユースから放出された後、小さなクラブを渡り歩きながらステップアップした。

特にラツィオでは素晴らしいゴールを量産。強烈で正確な左足のキック、助走を取らない独特のプレースキック、正確なクロスとパス、そして強靭なメンタリティを持っていた。引退後は八百長疑惑で逮捕されたものの、10年もの裁判の末に証拠不十分で一昨年無罪となっている。

フィリッポ・インザーギ

90年代に所属したクラブ:パルマ、アタランタ、ユヴェントスなど

現役通算成績:623試合288ゴール

「ワンタッチゴーラー」の名が最もふさわしいといえるリアルストライカー。試合中は常に飛び出しだけを狙っているようなタイプであり、対面するディフェンダーのあらゆるわずかな隙を利用してシュートに持ち込む。それのみが彼の生きる道だった。

代表に選ばれたときはあまりにも技術的にヘタだったために周りが驚いたというが、そのゴールを決める能力だけは圧倒的で、すぐに受け入れられたとか。

マルコ・ファン・バステン

90年代に所属したクラブ:アヤックス、ミラン

現役通算成績:373試合276ゴール

「ガラスのエース」といえるマルコ・ファン・バステン。80年代から90年代を代表するストライカーであり、その魅力はあらゆる体勢からシュートを放つことができるアクロバティックな動き。スラッとした長身からもはや芸術と言えるような動きでゴールを決めた。

ミランでも見事なプレーを何度も見せたものの、その一方でそのキャリアは多くの怪我に悩まされるものだった。足首の深刻な異常によってわずか28歳で現役を離れなければならなくなったが、今でも「歴史上最も完成度が高い選手だった」と評価される。

ガブリエル・バティストゥータ

90年代に所属したクラブ:フィオレンティーナ、ローマ

現役通算成績:516試合300ゴール

強烈なミドルシュートやボレーを得意としたアルゼンチン代表ストライカー。歴史上最高クラスの点取り屋の一人であると評価されており、高い技術と破壊力を備えた選手であった。あのマラドーナすらもその才能に「今まで見た中で最も優れたFW」と評価した。ファンからは「バティゴール」というあだ名をつけられている。

ローマ時代には中田英寿とともにスクデットを獲得するなどキャリアの頂点を極めたが、残念ながらその後は怪我もあって2000年代は輝きを失ってしまった。

ロナウド

90年代に所属したクラブ:インテル

現役通算成績:380試合269ゴール

並外れたスピードと技術によって多くのゴールを量産し、「フェノメノ」(怪物)の愛称を付けられたロナウド。バルセロナで大きな活躍を見せた後、1997年にインテルへと加入した。

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いきなりセリエAで25ゴールを決めるという素晴らしいデビューシーズンを過ごしたものの、1999年にそのスピードに膝が耐えられなくなり靭帯を断裂してしまう。ほぼ2年を棒に振ったものの後に復活し、まだピッチに戻ってから間もない2002年夏にはエースとして日韓ワールドカップを制覇している。

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