「ポリープは自然にちぎれて出ていく」 いきなりの発言、稲盛和夫さんは豪快だった 母校のため京都賞講演会を叶えてくれた

稲盛和夫さん

 京セラやKDDIを創業し、日本航空(JAL)再建に尽力した京セラ名誉会長の稲盛和夫さん=鹿児島市出身=が2022年8月下旬、亡くなった。日本を代表する経済人になってからも鹿児島を愛し、支えた「経営の神様」。薫陶を受けた人々に、心に残る教えや思い出を聞く。

■鹿児島大名誉教授 野崎勉さん(82)

 鹿児島大工学部が前身の鹿児島県立工業専門学校を含め創立50周年を迎えた1995年のある日、稲盛和夫さんと初めてお会いした。当時私は記念事業期成会の事務局長で、大学として稲盛さんからの寄付を正式に受けた日の夕食会でのことだった。私は少し早めに会場に到着。間もなくして稲盛さんもお見えになった。

 出席者が集まるまで座敷の一角で会話した。研究で一定の成果にたどり着くには人よりも時間をかけ失敗を重ねるしかないと話すと、「企業も同じ」と励まされた。その一言で、愚直に物事に取り組めば成功につながると確信した。話は健康にも及んだ。いきなり「ポリープは自然にちぎれて出ていく。先日赤いものが出たから」と話され、豪快な方だと驚いた。

 その後98年に学生部長となり、当時の学長らと稲盛さんに面会。鹿児島大となって50周年を迎える99年の記念事業として要望をいくつか伝えた。

 その一つで実現したのが京都賞受賞者の鹿大での講演会だ。京都賞は、科学や芸術といった分野の発展に貢献した人へ稲盛財団が贈る国際賞。受賞者の講演会はそれまで鹿大で実施されたことがなかった。

 県外大学の依頼は断っていたが「母校だからぜひ実現したい」と応じていただき、強い郷土愛を感じた。鹿児島大稲盛会館で開かれた講演会は研究者らの刺激になり、世間にもインパクトを与えたはずだ。

 その後私は定年を待たず海外に渡り、地球環境活動を始めた。現在は内モンゴル自治区で、砂漠化した土地での植樹に取り組む。大学には迷惑をかけたが、大なり小なり何か行動を起こすには勇気が必要だ。「世のため、人のため」に。そう教えてくださったのが稲盛さんだったと思う。

京都賞受賞者講演会の際の稲盛和夫さん(右)と野崎勉さん=1999年、鹿児島市の鹿児島大稲盛会館

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