日本代表戦でゴールの19歳デュラン。コロンビア新星を飛躍させた「育成クラブと早い国外移籍」

昨年末に行われたFIFAワールドカップ・カタール2022への出場を逃してしまったコロンビア代表。

長く南米の強豪として力を発揮してきたものの、近年はややラダメル・ファルカオやハメス・ロドリゲスがピークを過ぎたこともあって力を落としており、世代交代を余儀なくされている。

ただ、その一方で若手の育成に対しての投資を集中的に行っており、国外に移籍できるようになった18歳の選手を積極的に欧州へと送る取り組みをしている。

行き先は言葉が比較的通じやすいスペインやポルトガルが中心だが、さらにドイツやベルギー、イングランド、アメリカにも送り出す。若い頃から国外を経験することにより飛躍的な成長を促そうというものだ。

そしてその一人が、日本戦でゴールを決めたジョン・デュラン。19歳ながらすでにイングランド・プレミアリーグのアストン・ヴィラでプレーしている「国外組」だ。

ジョン・デュランはコロンビアの都市メデジンで生まれ、11歳でエンヒガドの下部組織に入団した。

このエンヒガドというクラブはコロンビアの強豪とはいえないものの、ハメス・ロドリゲスやフレディ・グアリン、フアン・キンテロを輩出した育成の名門である。

エンヒガドのオレンジユニに身を包むデュラン

もともとデュランはサイドハーフであったが、このクラブで「ストライカーのほうが向いている」と勧められてセンターフォワードに転向。フアン・パブロ・アンヘルやロメル・ルカク、ラダメル・ファルカオのビデオをお手本にしつつ、問題解決能力にピックアップされた育成を施されたとか。

そしてデュランが初めてコロンビアを離れたのが2021年。様々な選択肢はあったそうだが、エンヒガドは彼をまず送り出す場所としてアメリカ・メジャーリーグサッカーを選んだ。

当時エンヒガドで彼を教えていたウィルベルス・ペレア氏が『ESPN』に語ったところによれば、それは「彼の特徴を考えればアメリカが最適」だと分析されたからだそうだ。

そして、その中でシカゴ・ファイアーのテクニカルディレクターであるセバスティアン・ベルツァーがカルロス・テラン(現シカゴ・ファイアー)という選手を見に来たところ、たまたまデュランのプレーを目にしたという。

「テランを探しに来たら、たまたま後半にある少年が入ってきた。彼の身体能力はすごかった。ウイングで2回か3回の1対1を行い、何ができるかをすぐ証明したよ。あのジャンプと、あの加速。数週間観察すればするほど、彼の未来が見えてきた」とベルツァーは話していたそうだ。

そして2021年にシカゴ・ファイアー加入が決定、デュランは17歳というアメリカ・メジャーリーグサッカー史上最年少の外国人選手になった。

18歳になった瞬間に正式にシカゴ・ファイアーに合流し、昨年2月にデビュー。久保裕也が所属するシンシナティを相手に初ゴールも決めた。

そして、18歳ながらもアメリカで際立ったプレーをした彼に目をつけたのが、アストン・ヴィラのディレクターを務めるヨハン・ラング氏。

エンヒガドからわずか250万ドル(およそ3.3億円)でやってきたデュランは、わずか1年後には1800万ドル(およそ23.5億円)+ボーナス400万ドル(およそ5.2億円)という移籍金でイングランド・プレミアリーグへと渡っていった。

アストン・ヴィラに到着したジョン・デュラン。クラブのレジェンドでもある元コロンビア代表FWフアン・パブロ・アンヘルからこんなメッセージが届いた。

フアン・パブロ・アンヘル

「ジョン、兄弟よ。新しい君の家に迎えることができて嬉しいよ。君がやってきたこのホルト・エンド(スタジアムの愛称)には、私のキャリアの中で最も素晴らしい思い出が残っているんだ。

君はサッカー選手としての技術的な資質をすべて備えている。素晴らしい遺産を作れるだけの力がある。このクラブだけでなく、このリーグ全体でもだ。

このアストン・ヴィラで最高の幸運が訪れることを、最大限の成功が得られること、そしてみんなが喜びで満ち溢れることを願っているよ」

子供の頃からプレーを参考にしていたというフアン・パブロ・アンヘルからのメッセージに、デュランは「アンヘルがメッセージを送ってくれたこと、クラブがそれを手配してくれたことは、僕にとって信じられないほど感動的な瞬間だったよ。僕も彼のように、そして彼以上のことを成し遂げたい」と話したそうだ。

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すでに今季イングランド・プレミアリーグで6試合に出場しているデュラン。アンヘルのようにクラブのレジェンドになれるだろうか。次のワールドスター候補として、その名前を覚えておいて損はないだろう。

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