伝説の仕掛け人《川添象郎》の軌跡!ユーミン、YMO、青山テルマもプロデュース  日本のプロデューサーの草分けのひとり!

本来のプロデューサーの仕事とは?

2023年3月29日に発表された『象の音楽』は、日本の音楽プロデューサーについて考える上できわめて興味深いアルバムだ。

音楽プロデューサーと言うと、小室哲哉、小林武史など、自分で楽曲やサウンドづくりも手掛けるサウンドプロデューサーのイメージが強いのではないかと思う。けれど、本来のプロデューサーの仕事とはそのプロジェクトを成立させる “責任者” であり、その人がその作品の音作りに直接関与するかどうかは関係ない。たとえば映画の世界では作品の直接の責任者である監督はディレクターと呼ばれ、そのプロジェクトに資金を提供する総責任者がプロデューサーと呼ばれるのだ。

音楽の世界でも、エルヴィス・プレスリーを世に送り出したサム・フィリップスはラジオのDJだったし、アトランティックレコードを設立したアーメット・アーティガンは在米トルコ大使の息子で熱狂的な黒人音楽ファンだったなど、音楽家出身でなくとも重要な役割を果たしているプロデューサーはたくさんいる。

日本の音楽シーンに重要な貢献をした川添象郎

しかし、日本では1960年代末まで音楽プロデューサーは存在しなかった。音楽業界も自由競争のアメリカではインディペンデントのレコード会社を設立する起業も盛んでさまざまな素性のプロデューサーが活躍する余地があったのに対して、かつての日本のレコードビジネスは少数のレコード会社が市場を独占し、作家や歌手などもレコード会社の専属となって他の会社では仕事ができないという縛りがあった。こうした体制では、制作スタッフも社員としての業務でしかなく、自分がリスクをとって仕事をするプロデューサーが生まれる可能性はほとんど無かったのだ。

そんな日本の音楽産業の状況に新しい風を吹き込んだのが、1960年代末のフォークやロックの台頭だった。それはアマチュアを主体としたムーブメントだっただけに、既成のレコード会社や芸能事務所のコントロール下にないアーティストや新しい音楽シーンをつくり出そうと動くフリースタッフが次々と登場し、URC、エレックなどのインディペンデントレーベルや新興プロダクションが誕生していった。

こうした動きの中で日本にもレコード会社の枠にとらわれるフリーに活動する作家やアーティストが生まれ、その流れの中から本来のプロデューサーと呼ぶべき才能も生まれていった。川添象郎もこうした流れの中で重要な貢献をした音楽プロデューサーのひとりなのだ。

しかし、川添象郎は当時から有名人として脚光を浴びていたわけではなく、知る人ぞ知る存在だった。僕が川添象郎という人を知ったのはロックミュージカル『ヘアー』日本公演の仕掛け人としてだった。

ロックミュージカル「ヘアー」の日本公演を実現

『ヘアー』は1967年にニューヨークのオフブロードウェイで公演がスタートしたミュージカル作品。ヒッピーを主人公に、ベトナム反戦メッセージが織り込まれたこれまでになかったミュージカル作品として大反響を呼び世界的に大ヒットした。川添象郎は『ヘアー』のパリ公演を見て感動し、その場でプロデューサーにオファーを出し、日本公演を実現させたという。

このエピソードは川添象郎の自伝『象の記憶』にも書かれているが、この一例だけでもこの人が並みはずれた行動力の持ち主だということがわかる。

余談だけれど、1969年2月に初演された『ヘアー』日本公演は成功を納めるが、その東京公演が終わると同時に、川添象郎や出演者が大麻取締法違反で逮捕された。もしかしたら、その時のニュースが彼の名を世に知らしめた最初の機会だったのかもしれない。

川添象郎、プロデューサーとしての個性とは?

川添象郎は1941年に、国際的に活躍した文化交流プロデューサーで明治維新の功労者である後藤象二郎の血を引く父とピアニストの母の間に生まれた。父である川添浩史は母と離婚したが、再婚した妻と飯倉に日本初の本格的イタリア料理店である「キャンティ」を1960年にオープンさせている。

そして、キャンティは、国内外の作家、画家、音楽家、建築家などの一流文化人が交流するサロンとなり、川添象郎、加賀まり子らの若い才能も彼らに混じってそのエッセンスを吸収していく場にもなった。

『象の記憶』によると、川添象郎の子ども時代は、かなり破天荒だったようだが、1960年に父に命じられて渡米。ラスベガスのショーの舞台美術アシスタントを皮切りにステージマネージャーの仕事を体験する。

さらにニューヨークでフラメンコギターを習得すると共にグリニッジ・ヴィレッジのライブシーンをリアルタイムで体験。さらにオフブロードウェイの前衛劇にギタリストとして出演し、この作品で全米、さらにヨーロッパ公演も行う。さらに、この間にジェローム・ロビンス、ピエール・カルダンをはじめとする多くの文化人、芸術家たちとも親交を結んでいった。

こうして、世界の音楽の流れが大きく変わっていった1960年代に、その空気感を現場で実際に体感した経験、そして現場で学んだショービジネスのノウハウが、川添象郎のプロデューサーとしての個性をつくりあげたと言ってもいいかもしれない。

1964年に帰国した川添象郎は、本格的なフラメンコショーの制作、さらには友人である村井邦彦らとマッシュルーム・レーベルやアルファ・レコードを設立するなど、1970年代の日本の音楽制作のスタイルが大きく変化していく中で、裏方として大きな貢献を果たしていく。

多彩な楽曲がちりばめられた「象の音楽」

今回リリースされる川添象郎プロデュース作品集『象の音楽』には、こうした時代の流れのなかで川添象郎がかかわった楽曲がちりばめられているが、改めてその多彩さには驚かされる。

雪村いづみ、いしだあゆみ、ミッキー・カーティス、ルネ、ガロ、小坂忠、サーカス、ブレッド&バター、吉田美奈子、大橋純子、細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一、YMO、CASIOPEAから青山テルマまで、収められている楽曲だけを見ても、日本の洗練されたポップスシーンの変遷がそのままパッケージされているようにも感じられる。

これまでにも触れてきたように、川添象郎はこれらのアーティストのすべてをひとりでプロデュースしたわけではなく、村井邦彦、ミッキー・カーティスらとともに作品をつくりあげたり、アーティストや作品が脚光を浴びるための道筋をつけたり、プロジェクトを成功させるための仕掛けをおこなったりと、さまざまな形でバックアップをしている。

その多くは、アーティストにふさわしいチャンスを与えるというものだ。例えば、アルファミュージックの創設期に立ち上げたマッシュルーム・レーベルから最初にデビューしたガロのメンバー大野真澄、さらにやはりマッシュルーム・レーベルからデビューした小坂忠はミュージカル『ヘアー』の出演者だった。

ちなみに小坂忠が『ヘアー』に出演することになったことで、彼を新しいバンドに迎え入れることを断念した。そのバンドこそ “はっぴいえんど” だった。

こうしたエピソートからは、川添象郎は細野晴臣たちとも交流があったことも伺える。事実、細野晴臣ははっぴいえんど解散後、村井邦彦や川添象郎といくつものプロジェクトを行っている。このアルバムに収められている雪村いづみの「バラのルムバ」もそのひとつで、服部良一の楽曲をキャラメル・ママのサウンドで雪村いづみが歌うという斬新な企画で話題となった『スーパー・ジェネレイション』(1974年)の収録曲だ。

エリート層の子女が牽引した日本のポップシーン

川添象郎はYMOにも深く関わっていた。そのサウンド構築は細野晴臣をはじめとするメンバーに委ねられていたが、その世界的な成功には川添象郎が培ってきた海外のネットワークや国際感覚、そして類まれな行動力が大きな貢献をしていたのだ。

さらにこのアルバムを見ていくと、日本のフュージョンサウンドやシティポップのムーブメントにも、彼が少なからぬ貢献をしていたことが伺える。

『象の音楽』には収録されていないが、この他にも川添象郎は、もとザ・タイガースの加橋かつみのソロアルバム『加橋かつみ・パリ1969』(1969年)で当時としては珍しい海外レコーディングを実現したり、荒井由実の作家としての才能を見出したりもしている。

加橋かつみも荒井由実もキャンティを舞台にしたコミュニティのメンバーだったことからも、改めてキャンティという場が川添象郎のプロデュースの引き出しのひとつとなっていたことが伺える。

当時、キャンティに出入りしていた若者はまさにエリート層の子女だった。そして、そんな裕福で遊び好きな若者たちが牽引していった日本のポップシーンが確かにあった。

海外渡航もままならなかった1960年代に、海外の音楽情況をダイレクトに体験したり、欧米のキーパーソンとコンタクトしたり、高価な最新楽器を手にすることができた一握りの恵まれた若者たちがつくり出していった音楽。それが、その後の日本のミュージックムーブメントの起爆剤となっていったのも事実だ。

『象の音楽』は日本のプロデューサーの草分けのひとりである川添象郎の仕事を網羅するとともに、日本のミュージック史のひとつの切り口の記録としての意味ももった作品だ。

とくに、シティポップが日本ならではの洗練と進化をとげた音楽スタイルとして世界的に評価されているタイミングで、その先駆的動きを記録したこのアルバムがリリースされたことにも大きな意義があると思う。

カタリベ: 前田祥丈

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