「写真の町」「家具の町」…北海道東川町が目指す「適疎」って? 大雪山麓の自然に魅せられ移住者続々、留学生向けの日本語学校も

横浜市から移住し、総菜店を開いた芝園さん、浩晃さん夫妻=1月27日

 各地で人口減少や高齢化が深刻化する中、北海道の中央部、大雪山系旭岳の麓に広がる東川町は右肩上がりに人口増加を続けている。壮大な自然に魅せられ、都市部などから移住者が続々と集まっているためだ。美しい風景が人を引き付ける「写真の町」、木工職人が集まる「家具の町」など地域の文化資源を生かしたユニークな取り組みも効果を発揮。国内初の公立日本語学校は留学生を受け入れて「多文化共生」も目指している。(共同通信=宮沢大志)

東川町の位置

 ▽仕事前に“一滑り”
 東川町役場の近くに、建築家の隈研吾さんが設計に携わったおしゃれな木造2階建ての建物4棟が立ち並んでいる。2022年4月に町が開設したサテライトオフィス「KAGUの家」だ。高品質で知られる旭川家具の約3割が東川町で生産されていることから名付けた。隈さんの設計事務所や札幌のホテル経営会社のほか、起業した移住者らが利用している。

隈研吾さんが設計に携わったサテライトオフィス「KAGUの家」=1月27日

 その一人、成尾太希さん(37)はスイスに本拠を置く金融機関を退社して2022年7月に東川町へ移住、2拠点居住用の宿泊サービスなどを展開するため会社を立ち上げた。
 新型コロナウイルス禍をきっかけに「この先の人生をどう生きるか自問自答するため」沖縄県から北海道まで旅する中、友人の紹介で訪れた東川の大自然に一目ぼれし、移住を決断。「スノーボードで一滑りしてから働く日もある。仕事、プライベートともに充実している」と笑顔で話す。
 新型コロナの影響で場所に縛られない働き方が広がった。成尾さんは「地域の魅力を伝え、都市から地方へもっと人材が流れるようにしたい」と意気込む。2拠点居住者らを対象として住居や仕事、交通などをあっせんするサービスの事業化に向け準備を進めている。

北海道東川町が開設したサテライトオフィスで仕事をする成尾太希さん=1月27日

 ▽独自の文化資源で町おこし
 東川町は、1995年に約7100人だった人口が2022年12月時点で約8600人に増えた。旭川空港から町の中心部まで車で約10分というアクセスの良さに加え、「写真」「家具」といった独自の文化資源を生かした町おこしが奏功し、移住者が増加している。取り組みを参考にしようと、他の自治体や議会から視察が絶えない。
 1985年、国立公園や田園風景など“写真映え”する景観を生かそうと「写真の町」を宣言した。各自治体が特産品や観光を通じて地域振興につなげる大分県発祥の「一村一品運動」の手法にならい、写真を通じた活性化に着手。国際写真フェスティバルや「写真甲子園」などのイベントを開催している。
 木工家具の魅力を広めようと、町内で生まれた赤ちゃんに手作りの椅子を贈呈する「君の椅子」プロジェクトも展開。町全体をショールームとするべく、公共施設などで積極的に家具を利用している。

「君の椅子」プロジェクトで贈呈された椅子=2022年5月2日(東川町提供)

 ▽「人の魅力」で移住を決断
 カメラマンの和田北斗さん(38)は2017年に兵庫県西宮市から移り住んだ。これからの生活環境を考えて移住を検討していたところ、友人から「写真の町」である東川町を勧められ、妻(38)とともに旅行がてら訪問。飲食店やゲストハウスを営む移住経験者らから日々の生活について話を聞く機会があり、その充実ぶりに感動した。和田さんはこのとき「東川の人たちの魅力に引かれて直感的に移住を決めた」と明かす。
 引っ越してから3年間は、地域の活性化に取り組む東川町の「地域おこし協力隊」として、ふるさと納税の関連業務を担当した。任期を終えた後は、家族写真や結婚式の出張撮影などの仕事をしている。
 関西地方出身の妻は、知らない土地で暮らすことに不安を抱えていたという。しかし東川に来て子どもが生まれ、ママ友などとのつながりもできて「今ではすっかり楽しんでいる」(和田さん)。

兵庫県西宮市から移住したカメラマンの和田北斗さん=1月27日

 ▽良質な天然水が自慢「上水道のない町」
 東川町は、全国でも珍しく上水道がない。地中にしみこんだ大雪山の豊富な雪解け水を、各家庭がホームポンプで地下からくみ上げ、生活用水として利用している。町自慢の天然水を求め、町内で飲食店を開く人も多い。
 芝園さん(46)は2022年に横浜市から移り住み、総菜店を開いた。姉が東川町で暮らしていた縁があり「良質な水に、恵まれた自然のある東川でおいしいものを作りたかった。町の皆さんの台所となるようなお店にしていきたい」と話す。
 高校の非常勤講師を務める夫の浩晃さん(46)と、小学生の娘との3人暮らし。園さんは「休みの日は家族で出かけて自然を満喫し、毎日わくわくしている。周囲の方も本当に親切に接してくれる」。浩晃さんも「四季折々の景色が素晴らしい」と満足そうだ。
 札幌市から引っ越してきた平田千智さん(42)は2022年、シフォンケーキや大福をそろえる菓子店を構えた。以前から北海道内を旅行する中で「東川は元気な町」という好印象を抱いていたという。そこに「良い土地が見つかり、とんとん拍子で話が進んだ」。
 札幌では幼稚園の給食調理員として働いていた平田さん。移住を機に自宅兼店舗を建て「いつか自分の店を持ちたい」との長年の夢をかなえた。中学生、小学生の娘2人と暮らし、夫は平日は札幌で勤務、土日祝日は東川で生活する日々を送っている。

札幌市から移住し、菓子店を開いた平田千智さん=1月26日

 ▽中国、台湾、タイの留学生が農作業を手伝い
 東川町は「多文化共生」を掲げ、外国人留学生も積極的に受け入れている。2015年に国内初の公立日本語学校を設立。中国や台湾、タイなどからの学生が在籍しており、町が寮費の一部を補助している。
 「学生たちはコンビニでアルバイトしたり、農作業の手伝いをしたりして町に溶け込んでいる」(町立東川日本語学校の担当者)といい、留学生は地元経済の担い手にもなっている。

東川町立東川日本語学校で授業を受ける留学生=2022年6月8日(東川町提供)

 ▽ゆとりある幸せ感じる「適疎」な町を
 東川町は今後、どのような将来像を描いているのか。移住施策を担当する今野裕太住まい室長は「移住者の口コミがさらに人を呼ぶ好循環が生まれている。この流れを生かして国内外から人を呼び込み、地域の活力にしていきたい」と話す。
 ただ、筆者が取材する中で「特に近年は移住が増え、だいぶ町の景観が変わった。活気づいている一方、新規の移住者と、昔から暮らしている人との間で温度差が出ている部分もある」と話す住民もいた。
 今野室長は「単に人口が増えればいいと考えているわけではない。目指すのは『適疎』な町。過疎でも過密でもなく、住民一人一人がゆとりを持ち、幸せを感じられる空間が保てるまちづくりを進めていきたい」と強調した。

「写真の町」を掲げる北海道東川町役場=3月17日(東川町提供)

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