「なにより1人が怖かった」凍死した中2女子生徒 苛烈ないじめは認定されたが…第三者委員会の姿勢に感じた疑問

いじめを受け転校した後の広瀬爽彩さん=2020年撮影、北海道旭川市(遺族の弁護団提供)

 2021年3月23日、雪が積もる北海道旭川市の公園で、一人の女子生徒が遺体で見つかった。市立中学2年の広瀬爽彩(さあや)さん=当時(14)。死因は凍死だった。先輩からの性的ないじめが背景にあったと「文春オンライン」が翌月に報じると、その約2カ月後の2021年6月、旭川市教育委員会が設けた「第三者委員会」が、本格的な調査を始めた。1年以上たった2022年9月、委員会がまとめた報告書は、先輩らによる行為をいじめと認定。一方で、いじめと死の関係は明確に結論づけなかった。自慰行為を強要されるほどの苛烈ないじめを受け続けたにもかかわらず、なぜ因果関係が不明なのか。
 疑問はそれだけではない。学校や教育委員会の対応について、報告書は母親からのいじめ相談に適切な対応を「怠った」とは指摘したものの、どうすれば防げたのかという検証が不足。これでは再発防止につながらない。遺族側の指摘を受けた旭川市は再調査委員会をつくり、検証を始めた。経緯を振り返ると、「いじめ防止対策推進法」の精神と学校や第三者委員会の姿勢にズレがあるのではないか、という疑問が見えてきた。(共同通信=石黒真彩)

 

万歳をする幼少期の広瀬爽彩さん=2008年ごろ撮影、北海道札幌市(遺族の弁護団提供)

 ▽明るく、積極的だった幼少期
 遺族らによると、広瀬さんは小学生時代、明るくて積極的な性格だった。学芸会の演劇で「皆が喜んでくれるから」とせりふが多い役を買って出て、役とナレーションを堂々とこなした。塾で友人が悪口を言われたのを見て「何でそんなこと言うの」とかばったことも。遺族は「人のためにしっかりものが言える子」と自慢に思っている。
 運動は苦手だったが、担任に「勉強は誰でも1位になれるよ」と言われたことをきっかけに熱心に勉強するようになった。2019年4月の中学入学後も意欲は変わらず。将来は法務省で働くことを夢見た。目指した高校は道内有数の進学校。休日には8時間勉強することもあった。

 

中学に入学した当初の広瀬爽彩さん=2019年撮影、北海道旭川市(遺族の弁護団提供)

 ▽いじめの実態とは
 しかし、楽しかった中学生活は間もなく暗転する。第三者委員会の最終報告書によると、その経過は次の通り。
 広瀬さんは中学入学直後、部活動の見学を通じて複数の先輩と知り合った。この先輩たちはLINEのやりとりなどで「下ネタ(性的な話題)」を持ちかけてきた。また、先輩を介して知り合った他校の上級生はビデオ通話で自慰行為を見せるよう繰り返し要求したり、下半身の写真を送らせたりした。2019年6月15日には、公園で広瀬さんを5人がかりで取り囲み、自慰行為をするようはやし立てるなどした。広瀬さんは断り切れなかった。
 5人のうち3人とは1週間後、再び公園で顔を合わせた。このうち1人にからかわれ、パニックになった広瀬さんは「もう死にたい」と口にした。別の1人は「死ぬ気もないのに」などと突き放すように言った。広瀬さんは近くの川に入って死のうとし、入院した。
 入院は合計1カ月以上に及び、8月には心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された。2学期からは旭川市内の別の学校に転校。しかし、次第に欠席や遅刻が増え、不登校になった。
 翌2020年5月、広瀬さんはツイッターに匿名で、一連のいじめ行為についてこんな投稿をしている。
  「私は前の学校でいじめを受けていました。とある先輩たちと仲良くしようと頑張りました。でもどこからか変わっていくのに私は気が付きませんでした。いつの間にか先輩達に頼まれて自慰行為まで見せることになってました」
 「人のことが上手くわかってあげられませんでした。だからいつも私が怒られました。だからいつも話を聞いて欲しかった。だから先輩たちから離れられませんでした。何より何より1人が怖かったから」(原文ママ)
 2021年2月13日夕、母親が外出した間に広瀬さんは自宅から失踪した。その直前には知人に「今日死のうと思う」とメッセージを送っている。1カ月以上たった3月23日、公園で凍死した状態で見つかった。

広瀬爽彩さんの遺体が見つかった公園の献花台に供えられたイラスト=2022年2月、北海道旭川市

▽因果関係、断定しないのは「割合が不明」だから
 ここまでを振り返ると、いじめが心に深い傷を与えたこと、広瀬さんが底知れぬ孤独を抱えていたことは明らか。第三者委員会も、広瀬さんが「抑うつ状態」になったため、死にたいと願う気持ちが生じていたことは認めている。それでも、いじめと死の間に因果関係があると断定しないのはなぜか。
 委員会は、抑うつ状態になる原因がいじめ以外に少なくとも二つあったとしている。一つ目は、発達障害という特性があり学校になじめず孤立したこと、二つ目は学業での挫折だ。その上で、こう説明した。「これらがどの程度の割合で、どのような形で関与したかは明らかにできなかった」

中学に入学した当初の広瀬爽彩さん=2019年撮影、北海道旭川市(遺族の弁護団提供)

 ▽「フラッシュバック」を見続けた遺族、納得できず
 遺族側はこの報告書に対し、いくつもの疑問を感じている。
 代理人弁護士が指摘する1点目は、因果関係を認めない結論部分だ。「いじめと死の関連性があるかどうかという調査に、『どの程度の割合か』は関係ない。学校内での孤立や学業の挫折があるとすれば、それはいじめを受けた結果だ」
 遺族側によると、PTSDと診断された広瀬さんは、その後もトラウマとなった記憶がよみがえるフラッシュバックを起こし「殺してください」「許してください」と叫ぶことが1日に何度もあった。徐々に頻度は減ったが、亡くなるまでずっと続いていたという。その状態を間近で見続けていたとすれば、抑うつ状態の原因が苛烈ないじめと断定できない、という報告書の結論は到底理解できないだろう。
 PTSDを巡っては、第三者委員会と遺族の間で「しこり」となって残った点がある。
 診断書を受け取った第三者委員会は、経緯をさらに詳細に調査するべく、診療記録の提出や主治医の聴取を求めたが、遺族側は拒否したのだ。なぜか。理由は委員会に対する不信感だ。
 遺族の弁護士によると、第三者委員会は調査にあたり、公的機関にある広瀬さんの個人情報について「開示請求をしたい」と遺族側に申し入れてきた。遺族側は「開示資料を委員会と共有できるなら」という前提で同意。しかし、結局は第三者委員会だけが受け取り、遺族には共有されなかったという。その後も不信感を募らせる出来事が続き、遺族側は態度を硬化させた。
 結果として、第三者委員会はPTSDすら認めず「罹患(りかん)した可能性は否定できない」という表現にとどめた。断定しなかった理由として挙げたのは次の2点だ。まず①(亡くなった)広瀬さんから直接話が聞けていない②診断の経緯が明らかでない―。遺族側は憤りを隠さない。「確定診断を受けているのに、PTSDすら認定しない」

手を振る3歳の広瀬爽彩さん=2010年ごろ撮影、北海道旭川市(遺族の弁護団提供)

 ▽「クラス内にいじめはなかった」?
 遺族側が違和感を覚える報告書の内容は、これだけではない。二つ目の疑問は「クラス内にはいじめはなかった」とされた点だ。
 第三者委員会は、元同級生らにアンケートを実施している。その結果、広瀬さんへの「いじりやからかい」「仲間外れや無視」を「直接見た」「本人から聞いた」という回答が6件、「本人が悩んだり困ったりしているのを見たことがある」を合わせると13件だった。これを踏まえ、報告書では広瀬さんを避けるような態度をとる生徒がおり、「広瀬さんが自己嫌悪や孤独を感じたと思われる」と分析した一方で「本来の意味の無視ではなかった」と判断している。「本来の意味での無視ではない」とは何か。報告書によると「広瀬さんの特性や言動の意図を理解することができず、不安や困惑から交流に消極的だっただけ」となっている。
 遺族側はこの説明について「いじめ防止対策推進法の定義から外れている」と指摘する。推進法は、いじめについて「被害者が心身の苦痛を感じるもの」と明記している。この定義に従えば、仲間はずれや無視がいじめかに当たるどうかは、行為に至った理由ではなく、受けた側の視点に立って判断されるはずだ。

 

保育園の卒園式に出席する広瀬爽彩さん=2013年ごろ撮影、北海道旭川市(遺族の弁護団提供)

 ▽学校と教育委員会は「怠った」。何を?理由は?
 遺族側が報告書で疑問視した3点目は、学校や教育委員会の対応だ。
 報告書によると、最初の中学校では、母親から広瀬さんが受けた被害について相談を受け、川に入ったことも当日に把握していたにもかかわらず、詳しく調べなかった。当時の学校側の認識では、先輩たちが広瀬さんに対し謝らなければならないことをしたという程度であり、川に入ったのも広瀬さんの特性に由来すること、と考えていた。
 このため、いじめ防止対策推進法が定める「重大事態」の疑いがあるとは考えなかった。
 しかし重大事態の定義は「児童の心身に重大な被害が生じたと疑われたとき」とされ、学校側に速やかな調査を義務付けている。当時の学校は、法やガイドラインの基礎的な理解を欠いていたと言わざるを得ない。報告書は、学校だけでなく教育委員会も重大事態とすることを怠ったと指摘している。
 遺族側はさらに、学校や市教育委員会がどうすれば死を未然に防げたかの検討が欠けているとして、再検証を求めた。

 

 ▽ついに再検証スタート
 旭川市の今津寛介市長は2022年9月、再調査委員会の設置を決めた。遺族の指摘を受けた形だ。再検証するのは①いじめの事実関係②死亡との関連③学校と教育委員会の対応の問題点―。教育評論家の尾木直樹氏を委員長に、精神科医の斎藤環氏ら5人で構成している。旭川市の担当者は5人に期待感を示した。「全員が重大事態の調査経験があり、専門性が高い」
 2022年12月の初会合後、尾木氏は「遺族の悲しみや苦難にしっかりと寄り添って調査する」と強調した。今年1月には5人全員が広瀬さん宅を訪問。広瀬さんが描いた絵や写真を見たり、母親に話を聞いたりしている。
 遺族は再調査についてこう話した。「娘に寄り添う調査であってほしい。ただそれだけです」

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