『ドキュメント72時間』の歌姫・松崎ナオ 音楽生活25年の紆余曲折

「『川べりの家』のジャケットは私がデザインを担当していて、この不機嫌そうに胡座をかいている男性は高田純次さん(76)。『コミカルな人にこういう役をしてほしいな』と考えていたので、高田さんにお願いしました。いいジャケットに仕上がったのは高田さんのお陰ですし『川べりの家』の“影の立役者”といえるかもしれませんね」

こう語ったのは、ミュージシャンの松崎ナオ(47)だ。

人気番組『ドキュメント72時間』のテーマソング「川べりの家」で知られる松崎。同番組は’13年4月5日から第2レギュラーシーズンが始まり、今年でちょうど10年。また昨年12月には「川べりの家」が初めてレコードとしてリリースされ話題となった。

そんな松崎がデビューしたのは’98年3月のことで、今年でミュージシャン生活25年となる。デビューしたきっかけはオーディションだったが、「記念受験のつもりで受けたら通っちゃった」と笑う。

「18か19の頃、ある日、本屋に行ったらある雑誌が“光っていた”んですよ……。本当に(笑)。見てみたら、それは『De☆View』というオーディションの情報を掲載していた雑誌で。オーディションとかデビューとか意識したことがなかったので、手に取った自分にもびっくりしちゃって。それで、パーっと開いたページに消印有効がその日までのオーディションが載っていたんですね。

曲作り自体は子供の頃からやっていて、中3の頃には本腰を入れてしていました。でも裏方でいいとずっと思っていて、オーディションを受けようと思ったのも軽い気持ちでした。とりあえず急いで家に帰って、もうバーって歌を録音して。写真もその日のうちに用意して送って、それで満足していたんです。

でも、受かっちゃった(笑)。その時イギリスに行きたかったので、落ちたことをきっかけにしてイギリスに行って、自分の人生についてはそこで考えるつもりだったんですけど。人生が変わってしまったんです」(以下、カッコ内は松崎)

■ドラマ版「リング」で“呪いのビデオ”に!

その後、レコード会社のもとで“修行期間”を過ごすことになる。

「1週間に1曲持ってきなさいって言われたんですけど、面倒だなと思って半年くらい出さなくて(笑)。周りも別に怒らなかったんですけど、でもそろそろ出さなきゃと思って、出すだけ出して家に帰ったら連絡が来て『いいじゃないか』と言ってもらって。それからは週1ペースで提出するようになりました。

でも、だんだん手抜きの方法を覚えていくんですね(笑)。1週間に1曲だし、期限の直前に作るようになって。それまで遊んでいられるし。提出期限の5分前に作ったのを持っていったら『さっき作っただろう!』とか言われて(笑)。そんな感じだから、楽しかったんですよ。

修行中は曲作りを叩き込まれましたね。例えば『このサビのメロディをAメロに使って別の曲を作ってきて』みたいな感じで、すごくロジカルでした。後は、ほぼレコーディングをしていました」

そして22歳のとき、「花びら」でデビューを果たしたものの、当初はメディアに出る機会がほとんどなく「デビューした実感はあんまりなかった」という。神秘的なイメージを纏っていた松崎だが、’99年のホラードラマ『リング~最終章~』(フジテレビ系)で自身のMVが“呪いのビデオ”として登場することに。呪い扱いされることを当時、松崎はどのように考えていたのだろう?

「『私の曲を聴いて死ぬとかウケる!』みたいな感じでしたよ(笑)。ライブでやる時も『呪っちゃうぞ〜!』みたいな。けっこう、自分は楽しんでいましたね。まぁ、呪いってどうなんだとは一瞬思いましたけど(笑)。でも、人に知ってもらう機会が増えて嬉しかったです」

■現在は完全にフリー。学校で音楽の先生をしたことも

そしてメジャーでは8枚のシングルと2枚のアルバム、1枚のミニアルバムをリリースした。しかし、音楽活動を続けるうちに変化が訪れていたようだ。

「メジャーのレコード会社って組織がすごく大きいし、多くの人のことを想像しながら曲を作らなきゃいけない。次第にそういうやり方が、自分には合わないんじゃないかなって考えるようになっていったんです。別に嫌なことがあったとか揉めたとか、そういうことではなくて単純に性格的に合わないなぁと。

年齢的にも30歳になる前で、独り立ちしたいなとも考えていたんです。『やめます』と伝えた時もスタッフの方は『わかった』と言って優しく送り出してくれました」

インディーズに移ってからはライブを精力的に行い、時に年間50本近くのライブをこなしたことも。さらに6作のリリースも重ねてきた。現在は特定のレコード会社や事務所には所属しておらず、完全フリーで活動している。

「メジャー時代は安心感があるいっぽう、色んな人に“囲われている”という感覚がありました。でも、今の私は綱渡り状態ですけど、しがらみがない分、個人的にはこっちのほうが向いていたみたいですね。

あと去年、一年間だけ学校で音楽の先生をやっていたんですよ。若い子を見ていると刺激になりましたよ。みんな才能があるし、私も本気で向き合っていました。それに今って発表するためのツールがたくさんあるし、みんなどんどん出ていける。すごくいい時代だなって思います」

■椎名林檎と仲良し!忌野清志郎さんとも深い縁が

25年の音楽人生の中で様々な出会いも。例えば椎名林檎(44)とはデビュー年が同じで当初から仲が良く、ライブで共演したりCDや『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)でデュエットを披露したりと親交が深い。

「林檎ちゃんと仲良くなったのは、同じイベントで一緒だったから。最初、林檎ちゃんは電話番号が知りたかったみたいで携帯電話を片手に追いかけてきてくれて。それで家が近かったのもあって、仲良くなっていきました。ご飯を食べに行ったり、ライブを見にきてくれたり」

また’09年に亡くなった忌野清志郎さん(享年58)とも深い縁がある。

「清志郎さんはいろいろ気にかけてくださって……。ギターを買おうかなって考えていたら、ギターを貸してくれたんですよ。清志郎さんが人生で一番最初に買ったっていうギター。『初めからいい音のギターを弾いて、その音を覚えておくといいですよ』と言ってくれて、私もずっとそれを弾いて。曲のコーラスに呼んでもらったり、面倒を見てもらっていたんです」

あと3年で50歳になる松崎。「メジャーの時は考えたこともなかったんですけど今、音楽人生で一番売れたいなって思っているんですよ。でも、“売れる”の定義が自分でできていないから、漠然と売れたいって思っているだけ(笑)」と話す。

「私、ミュージシャンを辞めたいって一度も考えたことがなくって。誰かと一緒に音を合わせた時や、音楽を誰かに聴いてもらうのが面白くてしょうがない。どうやったら音楽をずっと続けていけるのかなって、そればっかり考えてきました。あまり過去のことは振り返りませんし、未来のこともそれほど考えるほうじゃない。多分何歳になってもずっとそうなんじゃないかな。

『川べりの家』は『ドキュメント72時間』を好きなかたを中心に、私が放っておいてもたくさんの方に聴いてもらえる曲なんだと思います。その分、『他の曲も聞いてもらえるようにいろいろ考えようかなぁ』って思っていて。だからそろそろ売れたいなぁって、ぼんやりとね。ふふふ(笑)」

紆余曲折あった松崎の音楽人生。それは『ドキュメント72時間』が映す世界のように、様々な思いや人間模様が交錯した25年と言えるのかもしれない。

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