2007年に廃止された「かしてつ」の足跡たどるツアーに同行 往年の名車、今も健在【レポート】

ちょっぴりクラシックなキハ714(右)。対照的にKR-501は今でも現役で走れそうです(左)=鹿島鉄道記念館=

2007年に廃止された、茨城県の鹿島鉄道(かしてつ)の足跡をたどるツアーが2023年3月26日に催行されました。約30人の参加者は、大正年間に開業、激動の昭和を生き抜いて、平成に83年間の歴史に幕を閉じた地方ローカル鉄道に思いをはせました。

かしてつの車両は6両が今も大切に保存され、現役時代を知らないファンに鉄道の魅力を伝えます。今回は関東観光が主催する関東鉄道100周年記念のバスツアー「鹿島鉄道保存車輌見学と廃線巡り」に同行。廃止から16年を経過した〝かしてつの今〟をお届けします。

鹿島神宮を目指した参宮鉄道

開業時の社名・鹿島参宮鉄道が、建設の目的を表します。参宮鉄道は1929年までに石岡―鉾田間27.2キロを開通させたものの、社名の「鹿島」を走ることはありませんでした(ただし当時の鉾田は鹿島郡鉾田町でした)。

会社は1965年、常総筑波鉄道と合併して関東鉄道鉾田線に。1979年には再度、分社化され新生・鹿島鉄道が誕生しました。しかし経営は厳しく、2007年3月31日が最終運行日になりました。

戦前生まれの内燃車両が温浴施設に展示

ほっとパーク鉾田で保存されるキハ601(手前)とKR-505(奥)。キハ601の車内ではかしてつをモデルにした鉄道模型ジオラマを見学できます

鹿島鉄道の車両は現在、3カ所で保存されています。行程順にご案内します。鉾田市の温浴施設・ほっとパーク鉾田の敷地内で保存されるのはキハ601とKR-505の2両。このうち、日本の内燃鉄道車両の歩みを伝える貴重な資料がキハ601です。

戦前の1936年製で、かしてつの廃止当時でも「全国最古の現役気動車」と紹介されました。国鉄からの譲受車で、国鉄時代の形式名キハ07。当時の〝流線形ブーム〟に乗って前頭部は半円形でしたが、譲受後に関鉄標準タイプに改造されました。

もう1両のKRー505は1992年に竣工、かしてつ最新鋭だった車両。全国の非電化鉄道に仲間がいる標準タイプの気動車で、現役で活躍したのは15年ほどでした。

デビュー87年、保存方法に創意工夫

ほっとバーク鉾田で保存活動に当たるのが「鉾田駅保存会」。2007年に活動を始め、メンバーは車両保全や修理、史料展示、広報活動などに当たります。

車両の定期公開は原則毎年4~11月の第4日曜日。キハ601はデビューから87年、廃線からも16年。サビ落としや塗装だけで対処しきれない傷みも目立つようになり、保存会は対処方法に創意工夫します。

北海道や富山からかしてつへ

鹿島鉄道記念館の説明会場はキハ431の車内。キハ714、キハ431、キハ432の3両は側面窓上部が固定式のいわゆる「バス窓」です

続いて、小美玉市の「鹿島鉄道記念館」へ。今回のツアーのハイライトです。個人所有施設のため、通常は非公開ですが、ツアーのために特別公開されました。

展示されるのは、キハ714、キハ431、KRー501の3両。キハ714は1953年製、キハ431は1957年製で、全国の鉄道が動力近代化を進めた時期に重なります。

キハ714は北海道の夕張鉄道から、キハ431は富山県の加越能鉄道からの譲受車。2両とも前面は、鉄道ファンおなじみの「湘南タイプ」です。国鉄湘南電車(80系電車)のインパクトは、相当に強かったのでしょう。

KRー501は1989年製。ほっとパーク鉾田で書き忘れましたが、新製時から冷房付き。車内はセミクロスシートでした。

テレビ番組でかしてつを知る

鹿島鉄道記念館を運営するのは「鹿島鉄道保存会」。記念館オーナーである薬剤師の加藤三千尋代表は東京在住で、複数の会社を経営します。たまたま視聴したテレビ番組で、沿線中高校生による応援組織「かしてつ応援団」を知り、自らも鹿島鉄道の存続運動に加わりました。

館内にはヘッドマーク、走行写真など貴重な資料が500点以上。90分の見学時間があっという間に過ぎてしまうほどの展示ボリュームでした。

鹿島鉄道記念館に展示される行き先標や駅名標

かしてつ運転士役でスクリーンデビュー

ラストはキハ431の兄弟車で、同じ加越能鉄道からやってきたキハ432が保存される小美玉市の小川南病院。屋外展示ながら、3年に一度再塗装するそうで、丁寧に保存されている様子が分かります。

小川南病院に展示されるキハ432。車両は幅2.73メートルで、一般の鉄道車両(一例で国鉄103系電車は2.87メートル)に比べてやや細身です
キハ432の台車は徹底して軽量化を図ったTS102Aで部材を組み上げたシンプルな構造です

諸岡信裕病院長は茨城県出身で、金沢大学医学部に進学。「北陸からやってきた気動車がスクラップになるのは忍びない」と、病院の高齢者施設での保存を決断しました。

余談ですが、石岡には1964年から17年間、国鉄石岡駅に通い続けた、まるで東京の忠犬ハチ公のような「石岡タロー」の実話があり今年、実写で映画化されました。

映画は2023年7月29日に石岡市内でプレミアム試写会の後、全国上映を予定します。映画のフィルムパートナーズは2023年4月3日から、映画の配給・上映資金をクラウドファンディングで募集中。作品には、諸岡病院長もかしてつの運転士役で俳優デビューしました。ご興味ある方は、「石岡タロー」で検索してみてください。

「最近乗車したのはJR留萌線」

ツアーでは旧坂戸駅付近の線路跡地が特別公開され、参加者が約1キロにわたる廃線跡ウォークを楽しみました

ここでツアー参加者の声。多くがベテラン鉄道ファンという中で、目に止まったのが小学生ファミリー。「最近乗車したのは、北海道のJR留萌線。本当は三江線も乗りたかったんですけど、行けなくて残念」と、熱心なローカル線ファンのお父さん。

本当は奥さんも連れて3人で旅行したいそうですが、乗り鉄だけだとお母さんは行きたがらないことも。その点、関鉄のツアーは茨城空港見学が行程に組まれ、鉄道に興味半分のお母さんも無理なく参加できます。こんなところにも、旅行会社が組む鉄道ツアーのメリットがありそうです。

もう1人、お話を聞かせていただいた単独女性は横浜からの参加。「自称鉄道ファンですが、好きなのは美しい景観を走る列車。北海道はほぼ全線をめぐり、なかでも花咲線(JR根室線釧路―根室間)に魅せられました」。本コラムをご覧の方にもうなずかれる方、いらっしゃるかもしれません。

保存団体の努力に敬意

レポートは以上ですが、同行取材で感じたのは廃止後16年を経過したかしてつが、今もきちんと丁寧に保存されていることです。昔の鉄道を取り上げる際、JRや大手私鉄はさておき、地方鉄道では保存車両がなくて紹介に困ることがあります。

その点、かしてつの歴史をたどれるのは、加藤代表や諸岡病院長、そして鉾田駅保存会、関係団体のメンバーの皆さんの日ごろからの努力があるからです。

「鉄道車両は、役目を終えたら解体される単純な機械ではなく貴重な文化資源」――そんなことを考えながら、かしてつ沿線を後にしました。

かしてつの線路敷き跡地のうち石岡駅―旧四箇村駅間5.1キロはバス専用道に整備され、路線バスの定時運行に効果を発揮します

記事:上里夏生

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