「背番号2」なのにポジションがおかしかったスター10人

今日は4月2日。ということで、風変わりな背番号2をつけた選手たちをあらためて紹介してみる。

アンディ・キャロル

かつてリヴァプールでもプレーした元イングランド代表の大型ストライカー。

9番タイプながら、2019年に古巣ニューカッスルに移籍した際に7番を着用した。

34歳になった現在は英2部レディングでプレーしているが、なんと背番号は2!

9番が空いてなかったため、クラブは2、20、26、27番あたりを打診。キャロルは子供たちの送り迎えをしており、ちょうどその日が娘さんの2歳の誕生日だったため、子供たちが2番を選んだのが理由だ。

エミリアーノ・ヴィヴィアーノ

アーセナルにも所属したイタリア代表経験を持つGK。

サンプドリア時代以降は2番を着用することが多いが、本人はこう説明している。

「理由はないんだ。

ここ(サンプ)に来た時、3,4日のテストしかなかった。ウェブサイトを見たら、すでに1番は別のGKが着けていた。

自分は70、80、90とかの番号を着けるのは好きじゃない…。

どの番号が空いているのかを聞いたら、2番だと言われた。そこで、『OK、2番ね』と答えたのさ。

1年後に1番は空いたけれど、ジェノアからクリスティアン・プッジョーニがやってきた。サンプファンの彼はこのユニフォームを着るのが夢だった。なので、自分は2番のままにしたんだ」

トルコでプレーする現在も背番号は2だ。

本田圭佑

日本を代表する攻撃的MF。パチューカで着けた02番は衝撃的だった。

10番も4番も空いていなかったため、世界平和とピースにちなんで02番にしたとか。

メキシコリーグは背番号がかなりユニークで、ユース選手がトップチームで3桁の番号を着けたりもする。

ガイスカ・トケーロ

アスレティック・ビルバオでプレーしたいぶし銀ストライカー。

実年齢より老けて見えたため、ビルバオは一旦獲得を見送ったとか。

FWとしては珍しい2番を着けたが、2009年1月に復帰した際に空き番号がなかったほか、カンテラ時代は右サイドバックだったからというのが理由だそう。

アブ・ディアビ

アーセナルでもプレーしたフランスの元大器。NEXTヴィエラとして期待されたが、度重なる怪我に苦しまされた。

ガナーズでは長らく2番を着用。「(クラブから2番を与えらたことに)正直、自分も驚いたよ。友達から『もし移籍しても2番は着けないで』と言われたのを覚えている。僕は『OK』と答えたんだけど、結局この番号になってしまった!」とのこと。

モルガン・シュナイデルラン

サウサンプトンで吉田麻也ともプレーした元フランス代表MF。

マンチェスター・ユナイテッドから移籍したエヴァートンで2番を選択した理由をこう説明している。

「8番がお気に入りだけど、ここでは偉大な選手なひとりであるロス・バークリーがすでに着けていた。

彼をリスペクトしているし、Schneiderlinという(長い)文字を背中に入れ終わった用具係を休ませてあげたかった。彼らはデカい番号を望んでいなかったはずさ!

多くの番号が空いていなかったけれど、2番はフリーだった。

13番は迷信的にありえなかったし、それ以外の36、37、38番はデカすぎると思った。

今のところは2番にする。もしよければ、着け続けるよ」

2番を2年間着けた後、3年目からは18番に変更した。今年1月にニースからローン移籍したウェスタンシドニー・ワンダラーズでは4番を着用。

サンドロ・ヴァークナー

バイエルンなどでプレーした元ドイツ代表FW。

190cmを超える体躯ながら、スピードやアジリティに不足はなく、DFラインの裏を抜け出すほうが得意で、献身性と守備意識もあった。

2018年1月、ユース時代を過ごしたバイエルンに復帰した際に2番を選択。

愛着のある14番がなかったほか、「自分にとってこのクラブでの2度目の在籍になるからね。幸運をもたらしてくれることを願う」というのが理由だった。

クリスティアン・ポウルセン

2010年ワールドカップで日本代表とも対戦したデンマーク代表MF。

華麗なテクニックとダーティなファウルを持ち合わせており、ファイルぎりぎりの球際の激しさは、相手に肉体的ダメージを与えるほどだったが、足元の技術レベルは高かった。

EURO2004でのトッティへの「唾吐き事件」でヒールなイメージが強いが、ピッチ外では好青年として知られる。2010年W杯とシャルケ後期に2番を着用。

クリント・デンプシー

ドノヴァンと並ぶアメリカ代表史上最多スコアラー。

アタッカーながら、MLS時代やトッテナムで2番を着用した理由をこう説明している。

「全ては大学時代に始まった。

上級生たちがそのポジションに基づく伝統的な番号を全部とってしまったので、唯一空いていた番号だったんだ。

そして、MLS入りした時に2番か10番を着けるチャンスがあった。

当時のニューイングランド・レヴォリューションでは、10番はアンラッキーな番号と見なされていた。だから、『触れたくない』って思ってね。

そして、自分が最初に着けた背番号も2番だったことに気付いた。だから、この番号は自分にとって特別なんだ」

登里 享平

運動量があり、低い重心の高速ドリブルを得意とする左サイドバック。

元々はサイドアタッカーであったが、風間八宏監督のもとで左サイドバックでの起用が増えると、2014年からDF登録に。

【関連】「背番号1」なのにフィールドプレイヤーだった8人の異端児

2016年、川崎フロンターレでの背番号を23番から2番に変更。「ヒロキさん(伊藤宏樹)とサネくん(實藤友紀)の番号」という思いを持ってこの番号を受け継いだ。

© 株式会社ファッションニュース通信社