「どうしたら良いかわからない」金正恩発言に幹部たちも愕然

朝鮮が日本の植民地支配下にあった1929年、咸鏡南道(ハムギョンナムド)甲山(カプサン)郡普恵(ポへ)面の大坪里(テピョンリ)、現在の両江道(リャンガンド)恵山(ヘサン)市で、大規模な抗議活動が起きた。

当時、朝鮮では朝鮮総統府の失政により、数多くの農民が火田民(焼き畑農民)に転落。未開拓地に農地を切り開いて暮らしていたが、総督府は森林保護のためとして、彼らを追い立てようとしていた。これに、大坪里のポンポムル村の村民が激しく抵抗したところ、恵山鎮警察署の警官11人、営林署6人がやって来て、村を焼き払い、畑を踏みにじった。

これに対して500人の火田民は警察署、営林署で抗議活動を展開、さらに咸鏡南道庁や総督府に代表を派遣し、社会運動団体やメディアにも窮状を訴えるなど、様々な手段で抵抗した。結局、総督府側が折れて、新たな土地とその年の収穫を保障するに至った。これを甲山火田民抗日運動と言う。

このような強圧的な農業政策の転換は、北朝鮮では今も行われている。平安南道(ピョンアンナムド)のデイリーNK内部情報筋が伝えた。

内閣農業委員会は今月18日、「誰よりも苦労を多くしている農業勤労者たちが豊かで文明的な社会主義理想郷で幸せな暮らしを心から享受できるようにしようというのが、わが(朝鮮労働)党の確固たる意思」だとして、地球温暖化で日照りが年々ひどくなるのに備え、灌漑施設の建設をすぐに行なえ、という指示を下した。

北朝鮮の多くの地域は、亜寒帯冬季少雨気候という気候区に属し、地球温暖化とは関係なく、秋から春にかけては非常に降水量が少ない。一方で韓国では南に行くほど、温帯夏雨気候的になり、降水量が多くなる。朝鮮総督府が取っていた「北工南農」――南部は農業、北部は工業という政策は、このような気候に基づくものだとされる。

南北の分断後、北朝鮮と韓国はそれぞれ、自国内で農業と工業を発展させねばならなくなった。それで、北朝鮮は灌漑施設の整備に力を入れたのだが、それをさらに頑張れということだ。

指示はそれだけではない。

気候条件の良好な地域にある農場は、ほとんどのトウモロコシ畑の灌漑施設を補強し、田んぼに変えよとの指示も含まれている。これは、金正恩総書記が2021年9月の最高人民会議第14期第5回会議の施政演説で行った、次のような発言にのっとったものだ。

農作物の配置を大胆に変えて稲作と小麦、大麦の栽培に方向転換をするという構想を明らかにし、全国的に水稲と陸稲の栽培面積を増やし、小麦、大麦の播種面積を二倍以上に保障し、ヘクタール当たりの収量を高めて人民に白米と小麦粉を保障して食生活を文化的に改善することのできる条件を整えなければならない。

救荒植物として多くの北朝鮮の人を飢えから救ったトウモロコシではなく、今後は稲や麦を栽培せよということだ。

だが、今の北朝鮮に必要とされているのはトウモロコシだ。極端なゼロコロナ政策で輸入がストップ。深刻な食糧難に襲われ、全国的に飢えに苦しむ人が続出し、命を落とす人も出ている。一般国民は「ともかく食べるものがほしい」と訴えているのに、金正恩氏は「食生活を改善しよう」という禅問答をしているのだ。

これに基づき、学校の生徒らを含めた一般住民は、低地にある貯水池、湖、川の近くにあるトウモロコシ畑を鋤き返す作業に動員されている。

このような農業政策に対して、住民の間からは不満の声が漏れ聞こえる。
「国は農村を助け、穀物問題を解決すると言っていたのに、結局こんな方法しかないのか」
「このままではまた今年の農業も駄目になるのではないのか」

農場の幹部ですら、「昨年はトウモロコシを植えよとの指示があった畑を、急に田んぼに変えよと言われても、土壌の分析もまともに行われておらず、どうしたら良いのかわからない」と戸惑いを見せているとのことだ。

灌漑施設の整備そのものは間違った政策ではない。しかし、朝令暮改の農業政策、営農資材の慢性的な不足、農民のやる気を削ぐ集団農業への回帰など、北朝鮮農業の未来が明るいと思える材料はない。

© デイリーNKジャパン