坂本龍一さん死去 田中正造に関心「思い継ぐ」 親交の県内音楽家ら悼む

ラジオ番組の収録時に坂本さん(右)と写真撮影した上岡さん=2016年12月、東京都(上岡さん提供)

 音楽家坂本龍一(さかもとりゅういち)さんの訃報が広がった3日、親交のあった栃木県内のミュージシャンからは突然の別れを悲しみ、悼む声が聞かれた。「音楽に謙虚な人だった」「感謝しかない」。環境問題や平和に向けた発信も続けた坂本さん。足尾鉱毒事件やその解決に奔走した田中正造(たなかしょうぞう)にも関心を寄せていた。環境問題に取り組むNPOの理事長は「遺志を継いでいきたい」と話し、冥福を祈った。

 「本当に優しい心根の人だった」。宇都宮市出身で三味線演奏家の本條秀慈郎(ほんじょうひでじろう)さん(38)=川崎市=は在りし日の姿を思い浮かべる。

 米国留学中だった2016年。自身のリサイタルに坂本さんが訪れたことがきっかけで、交流が始まった。その後、坂本さんのアルバム制作に参加。動画配信サービスでは共演した。音の追求に余念がなかった姿を思い出す。「感謝しきれない。音楽にあまりに謙虚な人だった」。

 矢板市出身でミュージシャンのタイロン橋本(はしもと)さん(68)=東京都大田区=は、学生時代から付き合いがあった。「居酒屋で一緒に飲んだり、音楽の話をしたりした」。矢板市の自宅や宇都宮市内などを坂本さんと訪れた思い出もある。

 20代の時には音楽グループ「イエロー・マジック・オーケストラ(YMO)」の楽曲にボーカルとして参加したこともあった。「具合が悪いのは知っていたので、覚悟はしていた。安らかに眠ってほしい。僕にとってはいつまでも学生時代の友人の坂本君」と話した。

 佐野市のNPO法人「エコロジーオンライン」理事長の上岡裕(かみおかゆたか)さん(62)は、坂本さんのラジオ番組に定期出演していた。「分け隔てなく接し、一緒に声を上げたりする希有(けう)な人だった」と語る。2019年に台風19号が本県を襲った際には寄付の支援を受けた。

 坂本さんは生前、正造が奔走した足尾鉱毒事件ゆかりの地の渡良瀬遊水地に「ぜひ行きたい」と話していたという。

 東京電力福島第1原発の事故後、坂本さんは「真の文明は山を荒らさず…」という正造の言葉を国内外に発信していた。「一緒にシンポジウムを開催したかったのに」。無念さをにじませながらも、「遺された言葉をつないでいきたい」と話した。

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